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大江戸遊歩(旧、鹿児島UFO)  気ままに「スピリチュアル」

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2019.10.14
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Kusanagi です。聖徳太子の番外編 その1。慧慈(エジ)法師と百済寺(ひゃくさいじ)について。


1. 慧慈法師(Wikipediaより)


慧慈法師は推古天皇の時代に、高句麗から渡来した僧。
聖徳太子の厩戸皇子の仏教の師となった。
仏教を日本に広め、百済の僧・慧聡(エソウ)と共に、
蘇我氏縁の飛鳥寺の住僧となり、三宝の棟梁と称された。


聖徳太子が著した法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書
『三経義疏』を携えて高句麗へ帰国した。
また、以下に依れば、釈日本紀に引用されている
伊予国風土記逸文には、聖徳太子と葛城臣と共に
伊予の湯郡(ゆのこおり)の湯岡(ゆのおか)
=道後温泉を見て、碑文を作っている。

http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099472.html



・日月が天上にあって世界を遍く照らし、
温泉が地から湧き出て、誰にも恩恵を与えるように、
偏ることの無い政治を行い、国民が安らかに生活できれば、
これは寿国と同じである。


太子と葛城氏=蘇我氏の密接な関係は既出の投稿記事を
参考頂くとして、この碑文は、
実は今日までその現物は発見されていない。



道後温泉は、日本書記にも登場する我が国最古と
言われる温泉であり、景行、仲哀、舒明、斉明、
天智、天武などの各天皇、神功皇后など、
多くの皇族方が行幸したとされる。



すなわち、皇室直轄の湯の邑(むら)と言える。
温泉地帯は地殻活動が活発な所で、金や水銀の鉱脈がある。
これらを採掘すれば、必然的に温泉や水が湧く。
金は縄文海人が管理し、水銀朱は弥生海人の海部氏が管理した。
特に水銀朱は不老不死の妙薬とされたが、
ライ病治療にも有効な治療薬であった。
故に、重要な湯の邑は皇室直轄である。



縄文海人が管理した金は、半島の羅津(らじん)を拠点とし、
大陸との交易を行っていた。
羅津は現在の北朝鮮にあるが、ほぼロシアとの国境に近い。
(これ故、満州や北の問題は、一筋縄ではいかない。)



つまり、昔で言えば高句麗である。
また、伊予国には、縄文の最高神で地球の主エンキを祀る
日本総鎮守・大山祇神社が鎮座する。
どうやら、慧慈は縄文海人と関係がありそうだ。



2. 百済と高句麗

聖徳太子は新羅建国に関わった海部氏系。
そこに高句麗の僧と百済の僧が合わさって、半島すべて。
これにて、大陸との交易がスムーズになる。


さて、新羅が海部氏の建国によるならば、
百済は仏教を隠れ蓑にした狭義の秦氏の渡来経路である。
百済本記に於ける建国神話には、次のようにある。



解夫婁(ヘブル)の息子、朱蒙(シュモウ)には
沸流(フル、兄)、温祚(オンソ、弟)という息子がおり、
半島を南下して、フルは海側に、オンソは内陸に国を造った。


オンソの国は百済へと発展したが、
フルの方は土地がやせて衰退し、これを恥じてフルは自殺した。
だが序文には、始祖はフルであるとも記されている。



百済王家の姓は解氏と真氏で、出自は扶余族である。
解夫婁がヘブライであることは、言うまでもない。
解氏は繁栄したのだが、真氏は滅びたとされる。
よって、解氏=オンソであり、真氏=フルである。


南下しての海側は、東側と南側があるが、
東側は海部氏の新羅があるので、
フルの造ったとされる国は伽耶である。




 
扶余族は高句麗から分かれたツングース系騎馬民族で、
二氏族と合流した十支族の王家の1つ、ガド族。
その大王が列島に渡来し、海部氏に婿入りして王権を委譲され、
応神天皇となった。


すなわち、行方が解らないフルこそ、応神天皇である。
この“フル”に因んで、王権を譲った側の大王の名は
“タケフルクマ”とされ、仁徳天皇とされた。
タケはヤマトタケル、タケミナカタなど、猛々しい意味で、
クマは神を意味する。



また、真氏の“真”は、大王の印として持っていた、
黄金のマナ(眞名)の壺に由来するが、
婿入りの証として、海部氏に手渡された。



その海部氏の籠神社の奥宮は、眞名井神社である。
眞名井神社の湧水は、天村雲命が高天原から
天神の使われる水をコハクの鉢に戴いて降臨し、
それを眞名井の湧水に和(やわ)したとされるが、
そのコハクの鉢とは、秘伝では黄金の鉢とされる。



つまり、改宗した騎馬民族となった十支族系に
原始キリスト教の二支族(狭義の秦氏)が合流し、
日本を目指して渡来した経路の途中に建国したのが、
高句麗と百済なのである。



3. 百済寺

慧慈と聖徳太子が開基に関わる寺に、百済寺がある。
百済寺は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。


本尊は十一面観音で、金剛輪寺、西明寺と共に
湖東三山の1つとして知られる。
以下がこの寺の謂れである。(Wikipedia)



・聖徳太子は慧慈と共にこの地に至った時、
山中に不思議な光を見た。

その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。
太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで
十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。



これが百済寺の始まりであり、
百済の龍雲寺に倣って寺を建てたので百済寺と号したという。
“くだらでら”ではなく“ひゃくさいじ”と
読ませているのは、本当の百済由来ではないからである。
それが、“くだらない”という言葉にもなっている。


そもそも、慧慈は高句麗の僧とされている。
また、十一面観音が「生命の樹」を具現化したものであることは、
これまでに何度も申し上げている。


では、この寺の真意は何なのか?
この近くには多賀大社、甲賀、三上山、伊勢遺跡があるが、
これらが鍵である。



多賀大社はイザナギ、イザナミを祀る社。

一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説があるが、
犬上=犬神="Dog God"=シリウスだから、縄文の最高神。
(しかも、DogとGodの文字配列が「合わせ鏡」。)


甲賀と言えば甲賀忍者。
聖徳太子は秦河勝、服部氏(伊賀忍者の祖)、
大伴細人(甲賀忍者の祖)らを使って、
各地の情報を収集したとされる。



すなわち、忍び集団の設立。
大伴氏は佐伯氏と同族関係とされ、佐伯氏は修験縄文海人系である。
特に甲賀は、普段は農業や行商で情報収集し、
指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。



薬の扱いに長けているが、これも縄文海人に特徴的である。
三上山は近江富士として知られ、
昭和天皇の指南役とされる三上照夫国師が参拝された。
(三上国師は、南朝系の縄文海人系である。)





 
麓にある御上(みかみ)神社=三神神社では、
鍛冶の神である天目一箇神と同一視される
天之御影命(アメノミカゲノミコト、天照大神の孫)が
祀られ、日本第2の忌火の神とされる。



三上山山頂には奥宮が鎮座し、奥宮前には磐座が残っているが、
ここでも天之御影神が祀られる。
(2018年には、御遷座1,300年祭となる!)





 
海部氏系図に依れば、天村雲命の子の倭宿祢命の亦名が
天御蔭命であり、倭宿祢命の曾孫、
建田勢命(タケダセノミコト)の時代に、
“天御蔭之鏡と天村雲之刀を二璽神宝とする”とある。



天御蔭之鏡は太陽神の分身となる鏡、
天村雲之刀=天村雲剣=草薙神剣は降臨の依り代であり、
この時代に鏡と剣に因る祭祀の基ができた。
(倭宿祢命は神武天皇を導いたともされる。)



天之御影命が鍛冶の神ならば、それは製鉄=剣を暗示する。
ならば、奥宮の磐座は、剣を依り代として降臨する
太陽神祭祀を暗示する。
その太陽神とは、磐座は縄文の祭祀だから、
縄文の太陽神である。



また、籠神社の秘伝に依れば、天御蔭命は彦火明命の亦名と言う。
彦火明命は海部氏の祖とされ、正式名は
天照国照彦火明櫛玉饒速日命であるが、
これは記紀が成立して以後の話で、
天照国照尊、彦火明命、櫛玉神、饒速日命の習合神。
ここでは、御蔭を「おかげ」とも読み、
それは“祝福”の意味である。



ならば、恵みを与える縄文以来の太陽神、天照国照尊である。
また、籠神社の葵祭は京都市内の葵祭の元であり、
藤祭り=不死祭りとも言われるが、
御蔭神事とも言われ、眞名井神社の鎮座する
眞名井原での水による御生れ(みあれ)の神事である。
天眞名井の水は太陽の霊威とされ、
日神から浄められた聖なる水とされる。



豊受大神の原型のイナンナは「生命の水」で蘇ったから、
不死祭りはイナンナの再生を祝福する祭り。
また、眞名井で祀られるのは根源神としての豊受大神だが、
眞名井神社の亦名が与謝宮で、根源の星シリウスの和名の
1つが与謝星ならば、この場合の根源神はシリウスである。



象徴としてのシリウスはシヴァ神で、
イナンナ(シヴァ)と水神エンキ(ガンガー)の重ね合わせで、
エンキを「合わせ鏡」で瀬織津姫とする。
これは、水の主ノンモ(エンキ)がシリウスからやって来て、
人類の祖となり、人類に様々な知識を授けて帰って行った、
というドゴン族伝承にも合致する。



つまり、陽の太陽に対する陰のシリウスが水として象徴される。
すなわち、御蔭とは、太陽を通じたシリウスへの祈りである。
(海部宮司は、「三上」という言葉の重要性を説かれている。)
この三上山の西南西の方向には、伊勢遺跡がある。
(伊勢遺跡の経度(136.0度)、緯度(35.0度)から
夏至の日の出、冬至の日の入り等を割り出しても、
合致しないのは残念。

http://keisan.casio.jp/exec/system/1184726771​)
 

 
東西約700メートル、南北約450メートルにも及ぶ、
弥生時代後期の大規模遺跡。
大型建物が計画的に立ち並ぶが、生活遺物はほとんど無い、
祭祀空間を持つ遺跡。



神宮の神殿と同様な掘立式の棟持柱付き神明造り様式が存在し、
出雲の大社造りとよく似た様式のものも見受けられる。
区画溝より取水する導水施設が発見されており、
水を使った祭祀が行われていたことを予測させるものである。



弥生時代後期半ばに突如現れて巨大化し、
後期末にはその使命を終えたことから、
邪馬台国の前身とも考えられ、伊勢神宮もまた、
この遺跡を神宮に先駆ける祭祀遺跡と認めている。




逆に、近くの下之郷遺跡の環濠からは、
生活や環境が復元できるような、遺物が多量に出土している。


もちろん、この下之郷という地名は、
伊雑宮のある上之郷と、卑弥呼の邪馬台国が存在した都祁野の
上の郷に対応していることは言うまでもない。
縄文の祭祀、太陽を通じたシリウス信仰、
邪馬台国と繋がる伊勢神宮の元となる祭祀場の存在。



縄文海人と弥生海人(海部氏)が重なるこの地。
現在の神宮は縄文の杜の中に、弥生式の神殿が調和した聖域。
百済寺の真意は、このようなことにあるが、
この地を治めていたのは息長(オキナガ)氏。



応神の母とされる神功皇后は息長氏の血統であり、
神功皇后のモデルは卑弥呼とされる。
次回は息長氏の素性を考察し、更に、
聖徳太子が果たした役割について見てみよう。


Kusanagi 拝


では  また~ (^_^)/

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Last updated  2019.10.14 22:15:18
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