|
カテゴリ:カテゴリ未分類
どんな形であれ、塾をやめてもらうのはつらい。
全くやる気のない、というより、勉強を拒否する生徒がいた。怒ってもなだめてもすかしても言われた宿題をやってこない。見た目に分かる反抗的な生徒ならまだ対処のしようがあるが、全く喋らない(学校ではよく騒いでいるらしい)、とにかく塾での時間のすべてを否定する生徒だった。要するに、僕のことが嫌いなのだ。 まだ中1の内に他へ変わった方がその子のためだと思った判断は間違っていると思わない。しかし、確かにそれをいきなり伝えられた親の気持ちは・・・ 単純に親を怒らせないためには、今回の面談あるいはもう少し前に状況を伝え、テストの結果をもって「やはり変わられた方が・・・」と勧めるべきだったと思うが、そしてまた無為な3ヶ月を過ごすことが正しいのか? 商売人として、どういった形であれお客さんを怒らせるのは良くないのは確かだ。しかし、それがために失ってしまうであろうその子の数ヶ月はどうするのか。 「もっと早く対処していれば」 「中1の1学期の時点ではそこまで悪くないのだから仕方ないだろ」 「もっと円満に退塾を促すことも出来た」 「迷いに迷って出した結論だからこれ以上どうしろと?」 様々に判断を迷いながら、プライオリティを最高値に引き上げたのは「時間」だった。その子の時間を少しでも無駄にしないために、と。 結果としてその子よりも親を傷つけることになった。親は親であって大人ではない。客観的な判断を欠くものだ。だから時間をかけて理解を得なければいけない。でも、子どもの時間は帰ってこない・・・ ////////////// 悪貨は良貨を駆逐する、じゃないけど、勉強しない子が集団の空気を悪化させることはある。そしてそうした子が複数となると、問題は大きい。 経営している以上、全体を見る目は持たなければいけない。しかし、子どもは一人一人だ。決して全体の中のポジションで見てはいけない(それは一つの判断要素であって、それがためにその子の扱いを決定づけることがあってはならない、と思う。「こういう子だからこうしとけ」、みたいなのはダメだ)。 「全体における悪い部品」と見てはいけない。その子の歴史の中で今、たまたま良くない時間の中にいる、だから良い方向へ向かわせてあげなければ、という視点は重要だ。しかしやはり全体のベクトルも堅持しなければいけない。堂々巡りだ。 /////////////// 塾は学校じゃない。お客さんに通わせる義務はない。僕らにも、「教育」する義理はない。お金をもらわなければ一切の責任から逃れられる。 力が及ばないと悟ったなら、またはその可能性が高いのなら、すぐさまお金をいただくことをやめて無理だと伝えなければならない、それが商売人の正しい姿だと思う。「平気な顔して頭を下げてでもお金をもらう」ことは、塾に関しては当てはまらないと思う。特にかいち塾のように相場よりも高くいただいて、成績も上位層に絞っているならなおさらだ。集団のクオリティ維持、塾内の「空気」そのものが商品だからだ。無理なら無理とはっきり伝えることが、やはり正しいと思う。 確かに「じゃ、今までお金もらってたのはなんだったの?」という思いもなくはない。が、過去と整合性を持たせる必要があるのかと問うてみると、そんなものはありはしない。気づいたその瞬間に取れる最善の方法を瞬時に選択肢続けるしかない。 /////////////////// もっとシビアにも考えてみる。 やめた子のたてる悪評は一瞬だし、限定的だ。特にやめた子になにがしか弱い点があればなおさらだ。人は表面では話を合わせながらも、心の底では「○○ちゃんじゃやめさせられても仕方ないね」と思ってくれる。もっと好意的に解釈すれば、「○○ちゃんみたいな子をちゃんとやめさせてくれていなくなれば安心」と思ってくれるかもしれない。 一方で、現に通ってきている子のたてる悪評は根が深い。話はリアルであり、通い続けている限り悪く言い続ける。こちらの行いすべてがネガティブフィルターにかかり、何をしても悪く言われる。こうした子は親の手前「やめたい」と言い出せないが、学校で友達に悪評をばらまき続ける。 ///////////// 色々な考えがまとまりもなく脳内をぐるぐる巡り続け、整理がつかないまま結論を出さなければいけなくなる。 判断を遅らせてしまったり謝ったりすると、どういった言い方であれ、痛みを伴う結論になる。 良い話ばかりではない面談は疲れる。 それでも立ち止まっていられない。進むしかない。現時点で出来る最良の判断だったと信じるしかない。かいち塾は上位層に特化した塾だ。最も大切にしなければいけないのはそこだ。それを礎にしてすべての判断をしていかなければ軸がぶれる。 ///////////////// 今回の判断を講師に話した時に、「あの子は先日も○○でしたからね・・・まったくやる気が見られないんだから仕方ないでしょうね・・・」と返してくれたのは救いだった。僕が感じているのと同じように感じてくれている。同じものを見てくれている。それが今回の判断が正しかったことの証明だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 30, 2008 05:57:37 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|