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2006年06月05日
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カテゴリ:Pに思うこと
 わが子が、友だちのお母さんの手で命を奪われる事件がふたつ(秋田の件は、まだ犯人が誰かは不明ですが)続きました。

 世の中、どうしちゃったんだろう。わたしたち、何をすりゃいいんだ。そう頭を抱え込みたくなりますよね。
 PTAだって、パトロールを強化したり、不審者対策をあれこれやって。で、こんな事件が続くと「どうやって防げばいいの!?」と叫んじゃう。無力感、徒労感に襲われたりもしちゃう。

  * * * * * * *

 まずは、現実をしっかり見つめること。
 少年犯罪データベースドアによれば、小学生児童が被害者となる殺人事件(未遂を含む。傷害致死は含まない)の被害者数は、1976年の約100人をピークに(おそらく、昭和20年代30年代にはもっと多かったと思われますが)年々減少し、2004年には26人になっています。
 治安も、子どもたちをめぐる状況もどんどん悪化しているような印象がありますが、このデータはそれを裏切っていますね。子どもの数が減っているので単純に4分の1になったとは言えませんが、殺される子ども(小学生)は、明らかに減っているのです。

 ちなみに、未就学児童や嬰児が殺される事件は、さらに急カーブで減少しています。未就学児童の被害者数は、2003年から2004年にかけて急増していますが、それでも1970年代に比べれば3分の1、赤ちゃん殺しなど10分の1近くに減っています。
 なお、嬰児、未就学児童の事件の加害者は多くが保護者であり、小学生になるといわゆる「不審者」の比率が高まっているようです。
(こうした数値は、警察庁の「犯罪統計書」から、一件一件の事件を少年犯罪データベースドアさんが抜き出して調べたものです。
「事件が増えている」「子どもたちにとって危険な時代になってきている」という印象はあるものの、それを裏付ける(あるいは否定する)公式のデータがどこにもないってのはどういうことなんでしょう?)

  * * * * * * *

 なぜこんなに減っているのかは、やはり社会全体が豊かになったから、というのが大きいんだと思います。70年代の親は、戦後の混乱期にまともな教育を受けることができなかった人もまだ多かったでしょうし、今の『トンデモない』親たちより、さらに無茶苦茶な親が多かったのでしょう。

 だから、わたしたちは、「昔に比べれば保護者もずいぶんまともになったよ」とか、「昔の日本は、子どもたちにとって危険に満ちていたよねぇ。山や川での事故は激減したし、犯罪もずいぶん減っちゃって。いい時代になったよね」なんて安心していてもいいはずなんです。
 はずだけど、ぜんぜんそんな風に思えないのはなんででしょう?

  * * * * * * *

 ひとつの原因は、マスコミの取り上げ方にあるんでしょう。昔なら三面記事にひっそり載ったような事件が、一面にどかーんと載り、連日続報やら社説やらコラムで目にするから、どうしたって意識せざるを得なくなる。
 それと、子どもひとりひとりの(わたしたちの意識の中での)価値が、昔よりうんと貴重になっているから。昔はそれほど珍しくなかったこと、「あら、またあったんだ。怖いわねぇ」で済んでいたことが、「決してあってはならないこと」になっちゃった。

 ええ、それは悪いことじゃないんでしょう。子どもたちひとりひとりが、昔よりずっと大切にされるようになったんだから、良いことだよね。マスコミが危機感を煽り立ててくれたおかげで、わたしたちはより安全な学校、より安全な地域を目指そうと努力し、結果として事件も事故も減っているんだから、よしとしましょう。

 いや、わたしの中には、子どもを朝から晩まで見守り(監視し?)、危険が予想されるあらゆる場所・物を取り除き、転ばないように、怪我しないように、事故にあわないようにすることが本当のところ子どもたちの成長にとって良いことなのかどうか大いなる疑問もあったりするわけだけどさ。

 でもって、「安全・安心なまちづくり」なんてスローガンをよく聞くようになったけれど、「安心」なんていつまでたっても手に入らない幻想のようなものかもしれません。子どもが被害者になる事故や事件がゼロになるわけはなくて。日本のどこかで、事故も事件も起こり続け、それがテレビや新聞で大きく扱われ(事件事故が減れば減るほど、ニュースとしては大きくなるんだよね)、わたしたちは心配し続けなきゃいけない。
 それは子どもを持ったことに自動的についてくる“親の業”みたいなもんだろうし、だからこそわたしたちは、「万が一」の覚悟をいつだってしていなけりゃいけないと思うんだ。

  * * * * * * *

 話が脱線しました。
 いくぶんの疑問を抱きつつもわたしも人の親、子どもに死なれるのは大いに困るわけで。社会全体にとっても、子どもひとりの価値は昔より高くなっているわけで。

 やっぱり「限りなく安全な社会」を、「事件・事故の可能性が少しでも少ない地域・学校」を目指してあがいていくっきゃないでしょう(事件はともかく、事故については、いくぶん「子どもたちの健全な成長」とのトレードオフな部分もあるような気がするけれど、そのバランスは、その時代時代のオトナがみんなで考えていくしかないよね)。

 で、とにかく安全を求めるのであれば、ここはひとつPTAが頑張るしかないのかなぁ、なんてことを思ったりするわけです。(おまえは何でもPTAに引っ張ってくるのか! とか言わないでね)

 秋田の事件のように、友だちのお母さんが加害者(まだよくわかっていません!)になる場合を想定すると、それを防ぐのは限りなく難しくて。ほとんど「不可能」だと思えるぐらい。
 で、もし仮に、そうした事件を防ぐ方法があるとすれば、
「保護者と保護者、保護者と学校のコミュニケーションを深めることで、加害者になりそうな人に事前に思いとどまらせる」
ぐらいしかないんじゃないのかなぁ。

 ちょっと前の滋賀の事件なんて、わが子が苛めにあっていると思い込んだ(本当のところは分かんない)、日本に来て間もない母親が加害者だったわけで。彼女の悩みに親身になって相談に乗る人がいたら、もしかしたら防げたのかもしれないって思ったりするんだよね。
 人が誰かを殺めるからには、そこには孤独とか絶望とか、「もう他にどうすることもできない!」な思い(こみ)があるんじゃないのかな。で、「そんなことないよ。こんな道があるよ」と誰かに言ってもらえれば、なんとかなる(場合もある)んじゃないだろうか?

 あるいは、今の子どもたちが、将来、子どもを殺める人間にならないように育てるにはどうすればいいのか?

 これだって答えがあるのかどうかわかんないけど、もしあるとしたら「人と人との結びつきを深める」なんてあたりにしかないんじゃない?

 ほら、PTAがやろうとしていること、PTAにしかできないことのような気がしてこない?

 甘い甘い理想論だし、正しいかどうかもよくわかんない。
 でも、とりあえず、そんなことしか思いつかないんだよなぁ……。





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最終更新日  2006年06月05日 23時07分59秒
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Re:事件に思うこと(06/05)   りうりう* さん
ん>かいちょーさん

> もしあるとしたら「人と人との結びつきを深める」なんてあたりにしかないんじゃない?

私も滋賀の事件、そして昨夜の衝撃から、ずっと考えてたことです。
匿名の不審者、変質者による事件ではない、こうした「顔見知り」による事件は、
私たちの誰にでも起こり得る「ひとごとでない事件」ではなく、
不幸な事件が絡んだ特別なひとの起こした、特別な事件、と捉えなければ、
子どもたちに対して、自分自身に対して、途方にくれるだけ、になってしまいそうです。

ひとがひとである限り、それぞれが持っているこころの闇。
そんなものに呑み込まれてしまわないよう、吹き飛ばしていけるよう、
こんな事件が起こらないよう、起こすようなオトナとならないよう。
そして、起きたときには、最低限の被害で済むように、日々努力するしかないよね。

そのためには、個の闇を吹き飛ばせるような関係性。
 → 皆と語り合え、手を繋げる関係性。
 → 日頃からのお子たちへの声掛け、挨拶、見守り。

まさに今、PTAが全力をあげてやってること、やろうとしてることだよね。
皆で知恵を出し合い、闇を近付けず、お子たちを健全に育みたい。

変質者や不審者による無差別な事件も起こしてはならないけれど、
今回のような「顔見知り」「同じ保護者」による事件が、
「特別な事件」「稀なケース」で終わるよう、祈るような想いです。
(2006年06月05日 23時49分38秒)

Re:事件に思うこと(06/05)   Chiyomi Kubota さん
 こんな事件が起こるたびに、安全対策の強化とか、この世の中は、どうなってしまったんだろうか・・なんて悲観的になってしまいますが、かいちょーさんのお書きになられているように、テレビや新聞で大きく取りざたされていて、不安が強くなってしまうような気がしますね。いきなり、隣の人が殺人者になったりすることは、日常では、ほとんどないことで、交通事故に遭う確立よりもはるかに低いんですよね。メディアに踊らされず、現実の今の子育てに注目したいものだと思います。
 2年前、奈良で起こった小1女児殺害事件は、私が会長をしているときでした。近隣の校区のことで、衝撃でしたが、こんなときこそPTA。親の安心ではなく、子どもが、不安にならないで、安心して生活できるように、たくさんの人から愛されていますよ。見守られていますよ。ってことを伝えたいなという思いを伝えました。 (2006年06月05日 23時52分08秒)

私もそう思います   washimiya さん
私達の町で起きた騒動「給食の日を減らして代わりに親の愛情弁当を」と決議を出した議員も、最近の少年犯罪の増加や親子間での殺傷事件などを理由に挙げていましたが、むしろ逆で犯罪件数は減少傾向にあるという事で突っ込まれていました。
やはり、マスコミがセンセーショナルに報道しすぎるのも原因だと思います。いまごろ各メディアが競って秋田の件の母親のこれまでの所業を面白おかしく、それこそ言わなくてもいい事まで報道しまくるのでしょうね。辟易します。

>人と人との結びつきを深める
それでいいと思います。とても大事なことだと思います。 (2006年06月06日 00時53分11秒)

Re:事件に思うこと(06/05)   ★のん★きっず さん
今だからこそもっと落ち着いた対処が必要なのではと思います。

現実うちでは不審者情報が流れるたびにパトロールなどを強化する口実ができたと校長は喜びます。
けれどこれはおかしい。

そしてパトロールの目的が自治会や地域の人に見せるためになってるような気がしたりします。

滋賀の事件でもこういうやらねばならない的な強制があったように感じます。

いろんなこと表向きがどうであれ、本質的に子供たちのためになっているのかどうかを考えて一人一人を大切にしてあげられればと思うのです。 (2006年06月06日 02時06分32秒)

特別なのか、と言われると>りうりうさん   かいちょー0011 さん
 年にたかが20数件、一件一件思い出すことができちゃうぐらいだし、どれも加害者の側には“特別”な心の闇があったような気がします。

 でも、被害者にとってみれば「なんでウチの子が?」だし、それがウチの学校で、あるいはわが子の上に起こっていてもおかしくなかったとも思っちゃう。

 んで、どうしていいか途方にくれる、っていうのも実はアリかなぁ、なんてことも思ったりしないわけじゃなくて。
 隕石にぶつかるみたいな、もうどうしようもない不運とあきらめる部分もなきゃいけないような(それを「諦観」と言う人もいるだろうけど、わたしとしちゃ『覚悟』と表現したいんです)。

 覚悟を決めた上で、100%の安全なんてありえないと知った上で、ひとつひとつ、いろんなケースをつぶしていくっきゃないんでしょう。行政にやらせることはやらせ、自分たちにできることはやって。
 どこまでやるか、ってのにも正解はなくて。コストは無視できないもんね。みんな忙しい。コストパフォーマンスも考えなきゃ。
 で、考えるばっかじゃ頭が煮えちゃうから、たまには後先考えずに動いてみたりもして。結果見て動き方考えるのもいいよね。

 あ、りうりうさんちにトラバ打つの忘れてたや。打っときますー。


(2006年06月06日 02時46分11秒)

うんうん>Chiyomi Kubotaさん   かいちょー0011 さん
>>子どもが、不安にならないで、安心して
>>生活できるように、たくさんの人から愛
>>されていますよ。見守られていますよ。
>>ってことを伝えたいな

だよね。社会の中で生かされてると知ること。社会に対して自分の役回りを果たすこと。みんなが、それぞれの余裕の範囲でそれをやれば、いい方向に進んでいけるような気がするんだけどなぁ。
 でも、なかなかこれが難しいんだ。わたしも怠け者だからなぁ……。
(2006年06月06日 02時50分41秒)

ジさまたちは>washimiyaさん   かいちょー0011 さん
「昔は良かった」と言う生き物なんだから、これはこれでしょうがないかも。
 でまあ、現実に昔のほうが良かったように思える側面もあったりするから難しいんだよね。

 だからわたしらは、今の現実の中で、良いと思えることに向かってジタバタしなきゃ。ジタバタしてこそ、ジさまたちに立ち向かえるんだよね。理屈だけじゃなかなか説得はできないもんだから。

 頑張らなきゃ……(「ボチボチ」で勘弁して~)
(2006年06月06日 02時59分36秒)

落ち着いて考えよう>★のん★きっずさん   かいちょー0011 さん
 だね。熱に浮かされて無理なことやると失敗すること多いし。

 でもまあ、たまには熱に浮かされるのもいいかもよ、なんてことも思ったり。それが、わたしたちみんなが「やらなきゃ!」と感じていることであればね。わたしなんか怠け者だから、考えてるばかりだと何もしなかったりして。勢いってのに押される部分もあってもいいんでない?

 シンドすぎれば、やめりゃいいじゃん!(これもけっこう難しいけどさ)
(2006年06月06日 03時04分25秒)

トラックバックをありがとね。   りうりう* さん
ありがと>かいちょー0011さん

ぅんぅん、前に【覚悟】について語り合えたことがあったよね。
結局、そこへ行き着くんだと思う。
それが在るのとないのとでは、大きく違うし。
んで、その【覚悟】とは、こうして、大きな事件が起きてしまい、
私たちは、それに学ばせて貰ったから、ひとごとぢゃない、と感じたから、
生まれてきたのだと。

目の前に事件や事故が起きたとき。
当事者がのたうちながら、長い苦しみの果てに行き着く悟りのようなところ。
周囲のひとびと、遠くに在ってこころ寄せるひとびと、それぞれが自分で辿りつくところ。

自分が自分に言い聞かせるこころの在りようを指す言の葉のように思います。

うだうだ考え、やっさもっさ動き。
やっぱりやっぱり手と手をつないで、皆でお子たちの成長を見守り、育みたい、と願う。
家庭で、学校で、地域で、たくさんの笑顔と愛情を感じて、お子たちは育って欲しい。

おとなたちが手と手をつなげるかどうかで、子どもたちにとっての人災というべき災害は、
少しでも減っていくものだと信じたい、な。
(2006年06月06日 10時14分26秒)

うん。>りうりうさん   かいちょー0011 さん
 あれこれ頭で考えて、理屈こねて、コストだの優先順位だのに悩んで。

 それもこれも、まずはみんなの、わたしの、
「こうしたい!」
「こうしなきゃ!」
な思いがあってのことだよね。

 いろんな人、思いがあるけれど、この問題についてだったら、かなーり重なり合う、分かち合えるような気がするんだ。

 だから、手をつなげるよ。たぶん。きっと。 (2006年06月07日 03時06分45秒)

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