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ヒロリン☆☆☆
龍馬を中心に幕末関係、また、格闘技関係も好きです。
マニアックなblogですが、訪れた方はコメントをくださいね。
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日本のフリーメイソンの歴史は1866年(慶応2年)に「横浜ロッジ」が開設されたことから始まります。1869年(明治2年)には2番目の「オテントサマ・ロッジ」が開設されました。
日本にあまりフリーメイソンが根付かなかった原因の一つとして、1887年(明治20年)に出された「保安条例」が上げられています。
これは、自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するために警官の立会いがないと集会が開けないというものですが、これがフリーメイソンの集会にも当てはまるのです。そこで、1888年(明治21年)の2月には「日本人を入れなければ保安条例から外す。」ということで集会が解禁となります。ようするにこの頃のメイソンには日本人は入れなかったのです。
そして2次大戦のときには、同盟国のドイツの意向もあって日本政府によるフリーメイソンへの弾圧、ロッジ閉鎖という事態になります。
日本のロッジが再開されたのは戦後になってからです。
さて、話がそれてしまいましたが、龍馬が亀山社中を設立したのは「慶応元年(1865年)5月末頃」ですので、正式な日本でのロッジはまだ開設されていなかった頃になります。
だからといって、そのことで龍馬がメイソンでなかったという証拠にはならないと思いますが、なぜ今、「坂本龍馬はフリーメイソンだった。」という説が流行しているのでしょう??
と、いうことでいよいよ加治将一の「石の扉」「あやつられた龍馬」そしてテレビ放映された「龍馬の黒幕」から、その「根拠」を検証していきたいと思います。
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