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はっぴーふぇいす

入院から誕生まで

 妊娠に気づいたのはつわりでした。
なんだか気持ちが悪い・・から始まって、吐き気が頻繁にあり
なんだろう?風邪かな?なんて呑気なことを思っていました。
 そのときちょうど夫が千葉県野田市まで三週間の出張に出かけていた
こともあり、会社には行っていたものの食生活は一人暮らし同然なので
むちゃくちゃでした。それもあるのかな、と思っていたのですが
ふと気づくと、生理が10日ほど送れている・・。ドキッとしました。
 翌日会社を早退して産婦人科へ。
この産婦人科は以前結婚式に生理がきそうだったので、生理日をずらそうと
ホルモン剤のようなものを処方してもらったことがあるので、そのまま
ここにかかろうと思って訪れました。出産後にこの産婦人科は最低の評判の
病院だったことがわかりがっかりでした。確かに内容は散々でした。
 まず初診の際に体重や身長の計測をし終わったところで、看護師が私に
「尿検査で妊娠反応が出たということだけど、先生に診察してもらって
 もしも妊娠が確実だったら産むつもりですか?」
と、ワケのわからない質問をしてきました。
「はい、そのつもりです」
と答えると
「あ、そうですか。じゃあいいんだけど。今すぐに堕ろすっていう人いるから」
などというとんでも発言をしてくれました。
 私は「ナニいってんの、この人?」ととても不快に思ったのを覚えています。
 そして人生初の内診検査。
「ちゃんと妊娠されてますよー。ほら、ココわかりますか?」
看護師さんの指差すモニターを見つめると、なんだかよくわからない画像
だったのですが、何か点のようなものが点滅しているのがわかりました。
「これ、赤ちゃんの心臓ですよ。点滅しているからわかるでしょ?」
  ・・・心臓!!♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
 感動の瞬間でした。
後にかなくんのときにも見たのですが、やはり初めてということもあって
かいくんの時の方が今でも鮮明に覚えており鮮烈な記憶として残っています。

 そのときの診察では不正出血があるので切迫流産になりかかっているといわれ
一週間毎日流産止めの注射を接種しに行くことになりました。
 でも、今思うのはあれは生理予定日くらいにあった正常な出血だったのでは?
と思っています。初めてのことといいつつも、何か不安な産婦人科通いでした。
 そして妊娠五ヶ月のときの内診で子宮頚管が通常の半分の長さしかない、といわれ
お腹が張りやすかったらいってね、といわれたのですが初めてのことで
張っているという感覚があまりわからなく、まだ会社勤務もしていたので
そのまま何も気にせずに過ごしていました。
 これも後から聞いたのですが、五ヶ月の時点で子宮頚管の長さが通常の
半分ということは「子宮頚管無力症」ないしは「弛緩症」の疑いがあるので
検査後、速やかに「子宮頚管縫合手術(シロッカー手術)」が行われるのが
一般的だそうです。
 ここの産婦人科はそういうことも全くしてくれませんでした。

 そして妊娠28週の検診で子宮口が開いてきているから安静にするように
といわれました。しかし、何のことやらいまいち緊急度の低かった私は
張り止めの薬ウテメリンを処方してもらい、退職日が2週間後ということも
あって、午前中は出勤し昼からは早退するという生活を送りました。
一週間後にもう一度診察ということで病院に行った私はそこで人生初の
「入院」を言い渡されてしまいました。唖然としました。
 子宮口が1cmほど開いてきているとのこと。29週などで生まれてきて
しまっては赤ちゃんのためにも大変良くないということ(当たり前ですよね)
このまま放っておけば陣痛がきてしまう可能性のあること。縫合手術はもうできない状況にあるということ。
 これらのことから「入院」して「24時間点滴」を2週間する必要があると
いわれ、その日の午後入院となりました。
 その日は土曜日で会社は休みだったのですが、その当時夫はバイトをしており
仕方なく実家に電話をしてその旨を伝え「入院するのに病院まで送ってほしい」
と頼んだのですが、その日は実父しか休みではなく実父はよくわからないヒトで
「いやいや、オレより○○くん(夫)に行ってもらったほうがいいから」と
断られてしまいました。このヒト、こういうヒトなのです。昔から。
 それでバイト中の夫に連絡をとり、抜けてきてもらって病院に向かいました。
 そのときの気分は初めての入院や点滴、これからどうなるのかといった
不安で泣きたい気持ちでした。
病室に入り点滴をしてもらいベッドに横たわると泣けてきそうで夫の顔を見上げた
私に夫は
「悪いけど、もうバイトに戻らないかんで」
といい、帰っていってしまいました。
 病室の天井を見上げながら、一人泣いてしまいました。

 夕方帰宅して実父から話を聞いた実母がすっとんで病院へ来てくれました。
父のことを散々罵りながら私のことを心配してくれる母に少し気分も落ち着き
そのまま私の入院生活は始まったのでした。

 そして、きっかり2週間入院し、8月初めに退院することができました。
でもできるだけ安静に、ということで会社も退職し自宅での生活が始まりました。
すぐにお盆休みに入り、子供が生まれるとなかなか出歩けなくなるからと
夫と毎日ドライブやらマンガ喫茶やらレストランで食事やらと盆休みを満喫
しました。入院生活の反動もあって、外出三昧がしたくて仕方なかったのです。
 が、当たり前ですがそれが災いして盆休みが終わった日の晩にどうも腰が
痛くてたまらなくなり、一晩中うなされました。陣痛かと思って時計を計って
みたのですが、そんな感じはありません。でも腰が痛くて立てないほどです。
朝一番で病院に電話し受診しました。するとまた子宮口が開いてきてしまって
いることがわかりました。とにかくもう縫合手術できるような状態ではないからと
また即入院。
 全く危機感がない私の呑気な性格が引き起こした入院でした。
実際病気でなければ、痛みがあるわけでもないので安静にするようにといわれても
ピンときていなかったのも事実です。
今から思うとよく持ったなあという感じです。
 また24時間点滴が始まりました。
そして2週間の点滴が終わり、日付は9月に入っていました。
予定日は23日だったのでまだまだなのですが、とりあえず37週までは
きていたので退院のタイミングを計るため、点滴を抜いて2、3日様子を見ることにしました。
 9月3日のお昼ごろトイレにたつとおしるしがきていました。
すぐ看護師に連絡をしました。するとたっぷり待たされてから看護師が病室に
やってきて、その場で内診。そして彼女がいった言葉は
「このままだと陣痛がくる恐れがあるので、今日のところは日曜だし先生が 不在だからとりあえず点滴で止めますね」
だった!!
 やっと産める、これで解放される、そんな気分だった私は目が点!
しかも「休みで先生が不在」などという理由でまた点滴!?
さらに看護師は
「でも点滴しても陣痛がきてしまうこともあるので、そうしたらもう仕方ないから
 産むことになっちゃうけどねー」
などと、トンデモ発言を繰り返しました。
  ・・・仕方ないから産むってどういうコト!?
でも従順な(?)私の体は陣痛がくることもなく、その日は過ぎていきました。
あくる日月曜日朝一の診察で先生に「どうしたい?」と聞かれました。
このまま点滴で止めて出産を予定日に近づけるだけ近づかせるか、それとも
このまま点滴をはずして自然に産むか。
「点滴は止めてください。自然に産みたいんです。産ませてください」
と懇願しました。その場で点滴は抜かれました。結局前回の入院と今回のと
合わせると一ヵ月ほど点滴をしていました。この時点で点滴からやっと解放
されました。

 点滴を抜いて病室で寝ているとお昼ごろにまた出血がありました。
いよいよということで、昼過ぎからお腹に陣痛計が装着されました。
夕方くらいに夫も病室にきたのですが、全く陣痛のくる気配はなく帰っていきました。
 この日は夫の誕生日でした。
私はこの日中に産みたいなと思っていたのですが夜8時を過ぎても何の気配もなく
寝る準備を始めました。
すると母から携帯に連絡が入り、これから病院にくるというのです。
「なんか今夜中に産れるような気がするから」
ということでした。
 なにをいってんの!?と思ったのですが、言い出すと聞かないヒトなので
9時前くらいに病室に現れました。
少し話しをしているとなんだかお腹が少しずつ痛くなってきます。
母が夫に連絡を入れたほうがいい、というので連絡をしました。
もうすでに9時半近かったので夫は呑気に
「まだ大丈夫なんやろ?行く必要ないんやねぇの?」
などと冷たい言葉を吐き・・(怒)
不思議なことに話しているそばからだんだんと痛みが強まってきます。
「もう、こんでいいわ!」
と怒って電話をきりました。看護師を呼ぶと子宮口が開いてきているということで
もう少し様子を見てから陣痛室に行くと告げられました。
30分後くらいに夫がなんだかんだいいながら病院に到着。
10時を回っていました。看護師がもう一度様子を見に訪れ内診をすると
「あっ、もう全開に近いからもう分娩室に入って!」
といわれました。陣痛の合間を縫ってヨタヨタと分娩室に。
分娩台にあがり
「まだ2時間くらいは産まれないですか?」
と聞くと
「もう1時間もしないうちに産れるから!!」
といわれてしまいました。でもホッとしました。かなりの痛みにまだまだ
産まれないといわれたらどうしよう、と青ざめていたので・・・
時計を見ると10時10分でした。
 そして、それからきっかり30分後、9月4日午後10時41分にかいくん誕生!!
初めてみるかいくんは肌の色がとても悪く土気色をしていてお世辞にもかわいいと
いえる状態ではありませんでした。私はビックリしてぼんやりしていました。
看護師さんが産湯に浸からせてきれいになったかいくんを見せにきてくれたのですが
あまり見たくなかったです。なんだかそれよりも自分のことで手一杯でした。
 かいくんは体重が2241gしかなく、保育器に入れられました。
その後処置が終わり病室に戻った私に、母と夫が何か言葉をかけてくるのですが
あまり耳に入らずボーッとしていました。
出産の感動というよりも、入院生活のしんどさの方が頭にありとにかくこれで
ようやく退院できるんだ、とそのことばかり考えて産まれたかいくんのことなど
考える余裕はありませんでした。
 こんな状態で白状な母親からかいくんは産まれてきてくれました。


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