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『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』100万部?日記

2011.10.12
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カテゴリ:歴史の話
前日のブログのつづき)


「1179年」というのは、地味ですが日本史にとってカギとなる大切な年でして、

「現代ビジネス」の連載『経営者・平清盛の失敗』2011年9月23日分5ページ

にも少し書きましたが、


1179年

6月  摂関家領を保有していた娘・盛子が死去
    「銭の病」と記される
7月  宋銭への対応で朝廷が割れる
    清盛の嫡男・重盛が死去
11月 治承三年のクーデター


と立て続けに事件が起きます。



その中でも『百練抄』治承三年六月の条に「近日、天下上下病に悩む、これ銭病と号す」

と記された「銭の病」

この「銭の病」が、なにを指しているのかについては謎とされています。



1.流行病説


素直に読めば、「病が大流行していて、それを通称で『銭の病』と呼んでいる」でしょう。

流行病はなにかを媒介として流行る場合も多いので、

海外から流入してきた宋銭を病気の原因としたのでしょう。

この10年ほど前に病が流行った時は「羊病」と呼ばれたことがありました

(ちょうどその頃、ちょうど羊が輸入されたのです)。



さて、この病気は「おたふく風邪(流行性耳下腺炎)」のようなものだと言われています。

しかし、おたふく風邪にかかるのは子供が中心なので、この「天下上下」という表現や

子供が銭を扱うのか? といった疑問点も出てきますが、

いずれにせよ、それだけ宋銭が世間に普及した証拠でもあります。



2.インフレ説


その一方で、この「銭の病」を物価騰貴だとする説も根強いです。

急激な宋銭普及に伴うインフレーションにより世間の人々が困り果て、

「銭の病」と称したというのです。

宋銭が普及する、つまり「マネーサプライ(通貨供給量)」※が増加したため

貨幣的要因のインフレーションが発生する


ということを言っているのだと思います。


※郵政民営化に伴い日本銀行は2008年5月から名称を「マネーストック(通貨残高)」に変更



この説は、経済理論的には間違ってはいないのですが、よくよく考えると

ちょっと矛盾点も見えてきます。



さて、貨幣的要因のインフレーションについて、もう少し細かく解説すると、

通貨量が増大した結果、通貨を手に入れる人が増え購買力も増加します。

購買力が増えるとモノがたくさん売れるため、モノの生産のほうが追いつかなくなり、

供給不足になります。

その結果、物価が上昇するのが貨幣的要因のインフレーションです。


通貨量の増大 → 購買力の増加 → モノの大量購入 → モノの生産追い付かず →

 → モノ不足 → 物価高騰
 



しかしこの場合、見た目には銭が多いのが問題というより、

モノが不足していることが問題なので、「銭の病」というより

「モノの病」や「米の病」などと表現したほうが適切です。



単に通貨量が増大して貨幣価値が下がった場合も、相対的に物価は上がりますが、

そのときは、また米や絹といったモノでの取引に戻れば、問題はすぐに解決します。


特に、『百練抄』に「銭の病」と書いた人物は特定されていませんが、

貴族であることには間違いありません。

貴族にとって、モノの価値が上がること、すなわち荘園から上納される絹や米の価値が

上がることは、好ましいことであっても、悩ましいことにはなりません。


前に宋銭が普及したことで、絹・米の価値が下がった「物価安」=「デフレ」

という話をしましたが、インフレはその逆なので貴族は喜んだはずです。


当時は、銭が急速に普及したといっても、絹や米での取引が完全になくなったわけではないので、

インフレであっても絹や米を持っていれば困ることはないのです。


そうなると、貴族を含めた世間のみんながインフレで困った、というのは

当時の状況を考えると想像しづらいです。



3.多額債務者説

「銭の病」を素直に「銭」の問題だと捉えると、第3の説が浮上してきます。

それは「銭出挙」問題です。


以前、平清盛が宋銭の導入した動機の中には、いまでいう消費者金融に近い

「銭出挙」を行う意図があったのではないか、というお話をしました。


現在の消費者金融が多重債務者問題を引き起こしたように、

当時の「銭出挙」も多額債務者問題を引き起こした可能性があるのです。


銭出挙については、1187年には(世の実態に合わせるために)利息を上げる宣旨を

出す話が出てきており(『玉葉』)、1193年の「宋銭停止令」では、

銭出挙の利息制限法が出ています。



「銭出挙」は、基本的には借りた銭を1年4ヶ月後には100%の利息を付けて

返さなければなりません。返すには、借りた2倍の銭が必要になります。

かなりの高利貸しです。

(実際にはいまの闇金融のように、それ以上の利息を取っていたところもありました)


稲の「出挙」ならば収穫をすれば済む話ですが、2倍の銭を集めるためには

仕事をして得るだけでなく、人から借りたり、家財を売る必要も出てきます。

まさに四苦八苦の状態です。



現在の多重債務者問題が多くの自己破産者の発生させ、社会を不安定にさせているように、

当時の銭出挙の多額債務者問題も自分だけでなく家族、親族、そして

社会全体の問題として捉えられていた可能性があります。




そうなると当然、朝廷でもこのことが問題視されるのですが、

「銭の病」が記された翌月1179年7月から宋銭普及の是非について

貴族を二分する激論が繰り広げられます。


そして、このことが治承三年のクーデター、ひいては治承・寿永の乱を

引き起こすきっかけとなるのです。



(つづく)








最終更新日  2011.10.13 15:31:21
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