2008/11/05(水)22:24
夜の鎖 21
9月のある日、ラインハルトはヒルダと昼食を取っていた。
「では陛下、その件につきましては後程ご報告させて頂きます」
「うむ」
席を立ち、礼をしようとするヒルダは異変を感じた。
「 ?」
「フロイライン・マリーンドルフ!?」
テーブルの脇で膝をつくヒルダにラインハルトが駆け寄った。
「・・・あ、申し訳ございません陛下。急に立ちくらみが致しまして・・・・」
「大丈夫かフロイライン?」
ヒルダはラインハルトの手を借り立ち上がると、心配そうな若き皇帝に少々ぎこちなく笑んだ。
「はい陛下、今は大丈夫な様です。ありがとうございました」
尚もラインハルトは心配そうだ。
「もしや疲労だろうか」
ヒルダは責任ある職に就いている。遺憾無くその才能は発揮されているものの、もしや彼女に仕事をまわしすぎたのではないだろうか。
さらに彼女は仕事後のプライベートな時間も自分と共に過ごす為に割いている。ラインハルトは急に心配になった。
ヒルダは皇帝の心中をほぼ正確に読んだ。
(陛下を不安にさせてしまった・・・・。倒れるなら一人で倒れればよかったわ)
心の中で舌打ちしたい気分だ。しかしいくらヒルダでも具合が悪くなるタイミングなど選べるはずがない。
気を取り直し、ラインハルトと視線を合わせもう一度笑みを浮かべた。
「もう大丈夫です。おかげさまで落ち着きました」
「そうか・・・・」
幾分顔色の戻ったヒルダの笑顔にラインハルトは安堵のためいきをついた。
「それでは失礼致します」
今度こそラインハルトに一礼すると、ヒルダは自らの執務室へ向かった。
(最近目眩が続くわ・・・・・。風邪かしら)
新帝国歴二年九月、この様な不吉な流言がフェザーンの帝国首脳陣の耳にも入る様になった。
『新領土総督オスカー・フォン・ロイエンタール元帥が皇帝に叛意を抱いている』
以前にも流れた噂だ。そしてそれはラインハルトによって既に否定されている-はずだったのだが。
そんな中でロイエンタールからハイネセンへの招請状が届いた。
「予はハイネセンへ行く」
ラインハルトの決定は、彼の性格を考えれば当然と言える。
オーベルシュタインをはじめとして幕僚達は反対したが、ミュラーとルッツを随員とし、出立を決めた。
「フロイライン・マリーンドルフは今回同行しないのですか?」
ミュラーのその問いかけに、ラインハルトは眉を動かしたが、
「彼女は昨今体調がいまひとつよくない。ワープが彼女の身に負担をかけるであろうから」
と、理由を述べた。
そう告げたラインハルトの物憂げな表情を目にした者達は、
(心配なのですね、フロイラインが)
と、例外なく思った。
ヒルダはその日、ラインハルトの執務室に呼ばれた。
「フロイライン、予は今月下旬から新領土へ行く」
「うかがっております」
「今回、あなたにはフェザーンに残ってもらう」
「・・・・はい」
碧緑の瞳に落胆の色がさした様に見えたのは、ラインハルトの気のせいだろうか。
「それで、予がフェザーンに戻って来るまでに、先日の件についてもう一度再考しておいてほしい」
ヒルダはハッとした。
「先日の件とは予が貴女に求婚した件だ」
彼女が息を飲んだ音が聞こえた気がした。ラインハルトは両頬が熱くなるのを感じた。
「は・・・い」
動揺して、短い返事を返すだけで精一杯。ヒルダはそんな自分を少々情けなく感じる。
それでもラインハルトは満足したのか頷いた。
気を取り直しヒルダは口を開いた。
「どうぞお気をつけて行ってらっしゃいまし」
情感がこもった声に、ラインハルトも微笑寸前の表情を浮かべる。
そして思い出したかのように不意に言った。
「それから・・・・暫く会えなくなるので、今夜貴女の時間を少し頂けないだろうか」
新帝国歴二年九月二二日、ラインハルトは新領土へと出発した。