清河八郎記念館ギャラリートーク開催
令和6年10月24日(木)、公益財団法人清河八郎記念館、令和6年度特別企画展を企画構成した池田定志氏(元庄内町教育長、現公益財団法人清河八郎記念館理事)によるギャラリートークが開催されました。 約30人の聴講者を前にして、八郎は外国との通商により、庶民の暮らしが困窮を極める中、「経世済民」の理想を掲げ、挙国一致(オールジャパン)の攘夷運動を目指したと解説してくれました。▼開会の挨拶をする廣田幸記公益財団法人清河八郎記念館館長▼今年の特別企画展の狙いを解説する池田定志氏■以下の文章は、池田氏本人から講義の大筋としていただいた原稿です。 八郎の尊皇攘夷は「赤心報国回天倡始」 尊攘急進派として九州遊説をし、志士たちを奮い立たせ、薩摩藩と京都挙兵を試み、明治維新の扉を開いた。 さらに、幕府の尽忠報国の志士募集に積極的に協力し浪士隊を結成した。後の新選組、新徴組となる。京都で尊皇攘夷運動が最高潮に高まる中で、幕府の攘夷活動の実行促すべく計画した。この機を活かし、朝廷のもと国を挙げて国難を乗り越えようとした企画は、時代がまだ熟していなかった。 八郎には薩摩藩であろうが幕府だろうが挙国一致の国造りの道筋になればよかった。外国に侮られないオールジャパンの国づくりを目指したと考えられる。 また、広く身分を超えて有能な人材を登用し、慎重に開国し、富国強兵をめざしたと推測される。心から体制の御一新を願い、命がけで時代を先取りした秀才であった。