126708 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

清河八郎顕彰会のブログ

清河八郎顕彰会のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

カレンダー

バックナンバー

2025年06月
2025年05月
2025年04月
2025年03月
2025年02月
2025年01月
2024年12月
2024年11月

プロフィール

魁”さきがけ”

魁”さきがけ”

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2019年06月20日
XML
カテゴリ:里山ウォーキング
号泣​開催の前日から雨になっていた6月16日(日)、本来なら爽やかな初夏の風を受けて山道を歩こうと思っていたのですが、安全第一を考え残念ながら予定を変更しての実施となりました。
 参加申し込みして頂いた皆さんには数日前に、悪天候でも予定を変えて実施する旨をお知らせしていましたので、開会式が始まる8時15分前に全員の方からご集合頂きました。
下矢印受付の時点で変更する大まかな日程を説明していますが、皆さん一様に残念の様子でした。


下矢印本会常任理事で清河八郎記念館館長の廣田幸記の進行で開会式を行いました。


下矢印最初に4月から正木尚文会長から引き継いだ本会の新しい会長齋藤満が挨拶しました。冒頭、今日は雨天のため日程を変更せざるを得なくなったことをお詫びした上で、昨年は明治維新150年を記念して「清河八郎はどんな人⁉」と題したフォーラムを二日間にわたり開催したことや、八郎の大河ドラマ誘致協議会への加入、更には八郎顕彰会への加入をお願いする旨の話をしました。



下矢印次に来賓の紹介です。庄内町長代理、庄内町副町長阿部金彦氏、庄内町教育長菅原正志氏の二名の方から出席頂きました。庄内町と庄内町教育委員会からは本事業に後援を頂いております。


下矢印来賓を代表して庄内町副町長阿部金彦氏から祝辞を頂きました。「清川地区は歴史の里づくりをコンセプトに頑張っている地区で、町もその要請に応えるため、今年4月に清川関所をオープンさせ、地元の皆さんから運営に携わってもらっている。関所は、日本遺産 出羽三山「生まれかわりの旅」の構成要素にもなっており、戊辰戦争や松尾芭蕉、源義経等と関連し、今後、歴史資産の結節点として活用してもらいたいと話されました。



マル次に日程説明をしたのですが、当ブログの管理者である私が行っておりますので写真はありません。
雨による日程の変更を次の通り話しました。

 回天の道は雨で滑る可能性もあり、安全を図るため山歩きは取りやめること。それに代わり、八郎に付いて、いつもの年は45分の説明だが今日は倍の90分で廣田館長にお願いした。それが終わったら、昨年顕彰会で作成した「歴史の里清川」のスライドを見てもらい、10時30分にはマイクロバスに乗って、4月にオープンした「川口番所」、「船見番所」を見学してもらう。その際、きよかわ観光ガイドの会から展示内容等の説明をしてもらうようにお願いしている。11時頃には「月の沢温泉 北月山荘」へ移動して昼食、入浴にする。そして再びバスに乗り記念館に戻って解散になることを話しています。

下矢印日程説明が終わると開会式は終了し、続いて廣田館長から八郎の一生に付いて講話をお願いしました。
 廣田館長は、「幼名を元司、元服して正明、そして後に清河八郎と名乗っている。この八郎は、当時江戸で剣術の師範代として活躍していた、千葉道場「玄武舘」師範代井上八郎、伊庭道場師範代伊庭八郎、幕府講武所師範代天野八郎に影響されたのではないだろうか。即ち剣の道に秀でた八郎と云う名を自分も名乗り、幕末四八郎と呼ばれる様になったと思っている。」と改名にまつわる自説を披露していました。



下矢印約半年間、母を連れて伊勢参りをした際の行程図を示しながら、「八郎は毎日こまめに日記をつけていて、それが「西遊草(全8巻)」として編纂されている。また日記の他に、宿泊した旅籠の名前や宿代を記した「道中旅籠帳」、さらには、どんなお土産を誰に買ったか、昼食は何を食べその代金は幾らだったか等を記した「道中安全記」を残している。八郎は自ら自分は書くことが癖になっていると書き残している通り、道中諸々のことを実に仔細に書き残している。」と話しました。
 講話の最後は八郎が幕府刺客の刃に掛かったことに触れ、「八郎切られるの報を受けた同志石川周造(妻桂子は山岡鉄舟の妻英子の妹)が、遺骸の周りを取り囲む人垣を押しのけ、「この清河八郎は親の仇、この首それがしがもらい受ける。」と言い放って首を落とし小石川の伝通院に埋葬した。」と講話を締めくくりました。


下矢印清河八郎記念館所蔵「西遊草」全8巻(山形県指定文化財)



下矢印八郎の一生についてを聞いた後は「歴史の里清川」を鑑賞して頂きました。このスライドは悪天候で清川巡りが出来ないときに、せめて清川の歴史資産をスライドで見て貰いたいと顕彰会が昨年製作したものです。ユーチューブで見ることが出来ますので是非​こちらから​ご覧下さい。説明している箇所は清河八郎記念館、清河神社、金華山歓喜寺、北楯大堰、御諸皇子神社、八郎生家跡、芭蕉上陸の地、清川関所跡、御殿林、官軍墓碑の10箇所で時間は18分40秒です。





下矢印スライドの後は4月にオープンした荘内藩清川関所「川口番所」に移動です。きよかわ観光ガイドの会本間洋子さんと佐藤由美子さんから、​清川歴史公園構想​の一環として、施設が造られた経過や展示物に付いて説明してもらいました。明治天皇東北巡行の際に清川が宿泊所になり行在所が建てられたこと。清川にあった大庄屋のミニチュアについての説明。戊辰戦争清川口の戦いに付いて等を説明してもらいました。



下矢印関所見学が終了した頃に丁度雨が止みましたので、記念の集合写真を撮りました。この写真は後日参加して頂いた皆さんに郵送しております。


下矢印清川関所からマイクロバスに乗り「月の沢温泉 北月山荘」へ向かいました。北月山荘の料理は地元のお母さん達で組織されている「やまぶどうの会」が運営しているもので、その料理は滋味溢れるものを食べることが出来ます。この日は北月山荘で育てているイワナの塩焼き、ウドや月山筍の天婦羅、フキの煮物、それに胡麻豆腐等が並び、極め付きは採りたての月山筍の味噌汁をご馳走になりました。中でもふっくらと焼け、骨まで食べられるイワナには皆さん大満足の様子でした。


マル今年はこれで全日程を終了することになります。この事業は平成25年から始まり今年で12回目になりますが、雨で予定変更となったのは初めてでした。これも自然現象ですから致し方ないですが、来年に期待したいと思います。参加して頂いた21名の皆さんに感謝しつつ今年の報告をこれで終わります。











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年06月21日 15時42分17秒
コメント(0) | コメントを書く
[里山ウォーキング] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X