コラム「20世紀の常識に切り込む」 から
C・D・ラミス氏の著書「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのであろうか?」について中村達也氏がコラムで述べている。『東京の都心に雪が降ったある日のこと、ラミス氏が友人の言語学者と会話を交わした。 ビルの窓から外を見ると、眼下の公園に職場に向かう人たちの足跡が残っている。まるで定規で引かれたかのように真っ直ぐだ。ラミス氏は言う。雪国で見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。ネズミかウサギがあのように真っ直ぐな足跡を残すのは、捕食者に追われているときだけだ、と。 そこで言語学者が問う。だったら、あの人たちを追いかけているのは何だろう。経済成長の強迫観念、とラミス氏は言いたかったようだ。 成長は20世紀の常識ではあったが21世紀の常識ではない、と彼は言う。 ゼロ成長=定常経済を提唱した論者はこれまでにもいた。19世紀のJ・S・ミルがそうであったし、既に半世紀ほども前のこの日本で、GDPの成長を福祉の増大と見なす常識に都留重人氏が疑問を投げかけていた。そうした指摘が、しばしば現実主義の立場から空想主義として批判を浴びてきた。しかし今、経済の規模も一人当たりGDPの水準も各段に増えた。他の諸国とは違って、2006年をピークに日本は人口減少社会へと転ずる。 定常経済の社会というものを現実主義の立場から構想することのできる条件が、ようやくできてきたのではあるまいか?』 以前から疑問に思っていたことへのある程度の解が書かれていた。 21世紀は環境の世紀でもあり、人類が生き延びられるか否かの瀬戸際である。 物質的な豊富さを豊かであるとに勘違いしている社会から、精神的な本当の豊かさが満ち溢れた社会への転換を期待したい。