081145 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

かいとかいとかいとかいとかいとかいと

ロジャー・テイラー

ロジャー


1949年7月26日、英国ノーフォーク州キングス・リンの生まれ。
1950年代の半ばにコーンウォール州トルゥーロへ家族ともに移り住み、8歳時にウクレレとギターに興味を持ち音楽に目覚め、この頃には「バブリング・オーヴァー・ボーイズ」というスキッフル・バンドを作っていた。1960年に聖歌隊奨学金制度のあるカセドラル・スクールに転入し聖歌隊のメンバーとなるが、数ヶ月後にはトルゥーロ・スクールの特待生となっていた。

12歳のクリスマスに父からプレゼントされた古くて小さなドラムを叩き始め、1963年、カズン・ジャックスというバンドを結成。当初はリズムギターを担当していたが、素質のあったドラムを担当することになる。1965年、ジョニー・クエール&ザ・リアクションというバンドに参加。クラブ・サーキットを展開、活動する。1967年ロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジに進学し、歯科医学を専攻するも中退。しかしその後、ノース・ロンドン工芸学院へ入学し、生物学を学び卒業している。

1968年12月、インペリアル・カレッジに在学中だったブライアン・メイの貼り出した掲示板の“ドラマー募集”の広告の話を友人レス・ブラウンより聞き、ブライアン、そしてティム・スタッフェルと出会い、クイーンの前身バンド“スマイル”を結成。地道に活動をし、マーキュリー・レーベルとレコード契約を交わし、レコーディングする。

そのうち、アメリカでのみシングル『EARTH / STEP ON ME』をリリースするも、ヒットには恵まれなかった。(後にこの時のレコーディング曲は、1982年に日本でのみ「ゲッティン・スマイル」というタイトルでアルバム化された。)

1970年、ティムの脱退により空中分解したスマイルを、以前ティムから紹介された彼の学友“フレディ・マーキュリー”(当時フレディ・バルサラ)と意気投合、再生させるべく始動。バンド名も新たに“クイーン”として活動を始める。

1977年、ソロシングル『I Wanna Testify / Turn On the T.V.』をリリースする。(『I Wanna...』はPファンク・グループ、“パーラメンツ”のカヴァー。原題は『Testify』という。)クイーンとしても活動中の1981年に初のソロ・アルバム「ファン・イン・スペース」、1984年には2作目「ストレンジ・フロンティアー」をそれぞれリリースした。

1987年、クイーンとしての活動が一時休止している間に、バンド・ユニット“ザ・クロス”を結成し、アルバム「夢の大陸横断」、「マッド・バッド・ロックンローラー」、「ブルー・ロック」の3作を発表し、1991年までツアーも含めた活動を続けた。 尚、ザ・クロスではロジャーはドラムは他のメンバーに任せ、リード・ヴォーカルを担当している。

フレディが逝去した後、しばし沈黙していたロジャーだが、1994年に3作目のアルバム「Happiness?」を発表。ソロとして来日も果たす。クイーンは1995年にフレディの最後の作品をフィーチャーしたアルバム「メイド・イン・ヘブン」を完成させている。

1997年、クイーンのコンピレーション・アルバム「クイーン・ロックス」を発売するにあたり、ブライアン、ジョンと共に“クイーン名義”で『ノー・ワン・バット・ユー(オンリー・ザ・グッド・ダイ・ヤング)』をレコーディング。

1998年、新しいメディアであるインターネットでのライヴを試み、成功させて、4作目のソロ「エレクトリック・ファイアー」をリリースした。

ロジャーのドラム・スタイルは、キース・ムーン(ザ・フー)、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)の影響がみられ、スネア音に特徴がある。使用ドラムはラディックで、シンバルにパイステとジルジャンを使っている。クイーン最後のツアーだった"マジック・ツアー"では、ヤマハのドラムを使っていたこともある。

作曲家としても「戦慄の王女」から『モダン・タイムス・ロックン・ロール』という曲を書き自らヴォーカルをとり、アルバム毎に必ず自分の作品を提供しているが、クイーンの中では異質な作風の曲が多く、シングル曲としてなかなか採用してもらえない憂き目にあった(ロジャーのヴォーカルは、ハスキーで、フレディやブライアンとは異質のセクシーな味がありファンにはたまらないのだが)。しかし1984年に「ザ・ワークス」からの第一弾シングルとして発表した『RADIO GA GA』はフレディをヴォーカルとし、英国2位、米国16位のヒットを飛ばした。この曲はビデオ・クリップでの手拍子して両手を挙げるポーズが世界中のファンに受け入れられ、クイーンのライヴでは欠かせない定番となった。

メンバーの中では“ロックン・ローラー”としての振る舞いが一番強く、メンバーで唯一、あからさまな反戦歌や社会批判の曲を書くなどラジカルかつ改革派である。新しいモノを取り入れることが大好きで、1978年のアルバム「ジャズ」では『ファン・イット』で、いち早くエレクトリック・ドラムを使っている(この時点では、まだクイーンはシンセサイザーを使用していない)。メンバー中一番の読書家と言われ、SF好きでもあり、しばしばクイーンに見られるSF的モチーフはロジャーもしくは同じくSF好きのブライアンのアイディアではないかと思われる。


--------------------------------------------------------------------------------
ロジャーの主なセッション参加、プロデュース作品等

1973年

Al Stewart
アルバム「Past, Present And Future」の中の『Roads To Moscow』で、パーカッションを叩いている。
プロデューサーがジョン・アンソニーで、レコーディングがトライデント・スタジオであり、そのコネクションで参加したと思われる。

1975年

Eugene Wallace
アルバム「Dangerous」の中の1曲でドラムを叩いている。 このアルバムは他にもフィル・コリンズやフィル・チェン、クリス・スペンディング等の有名ミュージシャンが参加している。
Eugene Wallaceがクイーンと同じトライデント社所属なので、そのつながりで参加したと思われる。

FOX
アルバム「Tails of Illusion」の『Survival』という曲の中でバック・コーラスで参加している。
「オペラ座の夜」を録音したSarm StudioでFOXが同時期に録音していたので、彼らに参加を呼びかけられた。

1976年

Ian Hunter
アルバム「流浪者(All American Alien Boy)」の『傷心のハイウェイ(You Nearly Did Me In)』にフレディ、ブライアンと共に"クイーン風の"バック・コーラスで参加している。

1981年

Gary Numan
アルバム「DANCE」の『Crash』、『You Are You Are』、『Moral』の3曲でドラムを叩いている。

1982年

Billy Squier
アルバム「エモーションズ・イン・モーション(Emotions In Motion)」の中のタイトル曲『エモーションズ・イン・モーション(Emotions In Motion)』で、フレディと共にバック・ヴォーカルで参加している。

Kansas
アルバム「Vinyl Confessions」の『Diamonds and Pearls』、『Play The Game Tonight』、『Right Away』の3曲にバック・コーラスで参加している。

1985年

Jimmy Nail
シングル『Love Don't Live Here Anymore』のプロデュースをデヴィッド・リチャーズと担当。ドラムも叩いている。

Elton John
アルバム「アイス・オン・ファイアー(Ice On Fire)」の中の『トゥー・ヤング(Too Young)』という曲にジョンと共に参加し、ドラムを叩いている。

Roger Daltry
アルバム「Under A Raging Moon」の同名タイトル曲で、スチュワート・コープランド、コージー・パウエル、カール・パーマーなどの錚々たるメンバーと一緒に、ドラム・ソロを披露している。一聴してすぐにそれとわかるソロである。

1986年

Elton John
アルバム「レザー・ジャケッツ(Leather Jackets)」の中の『アンジェリーヌ(Angeline)』 に、ジョンと共に参加しドラムを叩いている。

1987年

Virginia Wolf
レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムのバンド「Virginia Wolf」のデビュー作をプロデュースしている。

1989年

Sigue Sigue Sputnik
パンク・バンドのジグ・ジグ・スパトニックのシングル『Dancerama』をプロデュースしている。

Rock Aid Armenia
アルメニア救済チャリティ・ソング『Smoke on the Water』にブライアンと共に参加して、ドラムを叩いている。
イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、トニー・アイオミ等の大物が名を連ねている。

1991年

Hale and Pace
チャリティ・ソング『The Stonk』にブライアンと共に参加。 ドラムを叩き、ビデオ・クリップにも顔を出した。

1992年

Shakin' Stevens
シェイキン・スティーヴンスの久々のヒット『Radio』にドラムで参加、ビデオ・クリップにも出演した。

以上が主だったデータで、これ以外にもいくつかのセッション、プロデュースをこなしている。
ロジャーの場合、ジャンルがハード・ロックのみならず多岐に渡っているのが特徴的。


© Rakuten Group, Inc.