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テーマ:まち楽ブログ(32559)
カテゴリ:歴史・文化
こんにちは 皆さん、「洗堰(あらいぜき)」ってご存知ですか え 今回は、「洗堰」をご紹介しますねぇぇぇぇ
ではまず、海津市内を北に向かいます すると、海津市のほぼ北の端、桜並木 この堤防はかつて長良川から分流し高須輪中の北端を揖斐川へ西流していた大榑川の左岸堤防です 大榑川は長良川が増水 つまり、長良川の水勢を緩和するため大榑川経由で揖斐川に流したというわけです ところが、揖斐川と長良川の川床に2m以上の差があったために大雨が降ると長良川の水は激流となって大榑川に流れ込み、今度は大榑川流域に多くの洪水被害をもたらすようになっていました そこで、長良川の分流部分に「堰」を作って大榑川への流入量を調整しようと考えられました ここに作られた「堰」は「洗堰」といって、ある一定の水位を越えると自然に越流する仕組みになっていました 賢いですね~
実際には堰は場所を変えて何回も作られ、その後も紆余曲折を経て、最終的に明治32年(1899)の「明治改修」によって大榑川は締切られることになります この「洗堰」 が、 その仕組みを簡単に勉強できる場所があります それが、海津市の北にある、へら鮒釣り の中にある「洗堰公園」 ここではその仕組みを耳
まずは、この公園の解説パネルの前へ・・・ この公園の全容が分かります 次にパネルの右下のボタンを「ポチッ」と すると、洗堰の説明が始まります そして 長良川と揖斐川に水が流れてきます
そして、しばらく・・・ なんと 長良川が増水です おお~っ!!! 長良川から水があふれるぅ~ と、思ったら、 増水した水は、真ん中あたりの「洗堰」を越え大榑川を通って揖斐川に流れ始めました 長良川の水はあふれることなく増水は治まったのです よかったよかった
何百年も続いてきた高須輪中の水との闘いは、簡単に語りつくせるものではありません 太古の昔、この地域は低湿な沼地で、揖斐・長良・木曽の三大川 その知恵の一端を知ることができる「洗堰公園」 (水との闘いと言えば、有名な薩摩藩による宝暦治水、ヨハネス・デ・レーケによる明治改修などがありますが、それはまたね
(この記事は、国土交通省中部地方整備局木曽川下流河川事務所発行の「KISSO」を参考にさせていただきました
この「水と共に歴史を刻んだ海津市シリーズ」 次回掲載は未定です^_^; 「ネタチョウ」
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Last updated
2012年01月19日 20時50分12秒
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