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テーマ:まち楽ブログ(32564)
カテゴリ:歴史・文化
今日は「杖つき坂」の話題に続き歴史シリーズでもう一つ
![]() こんにちは
ヤマトタケルノミコトの時代からさらに遡ること数千年・・・ 思い立ったように、海津のかいづか第2弾です 貝塚第1弾からすでに3カ月、2月16日にご紹介しました海津市に2か所ある貝塚のうち「羽沢貝塚」に続いて「庭田(にわだ)貝塚」をご紹介しましょう
ちなみに・・・ 岐阜県全体でも貝塚があるのはこの2か所だけ!!!!! 岐阜県指定史跡です
ちょっと前回の復習になりますが「羽沢貝塚」は、縄文時代中期後半から晩期にかけての貝塚で、今から2,500年くらい前のものとされています しかぁ~し!!!!!!!! 本日ご紹介します「庭田貝塚」は、それよりもっと古く、 縄文時代中期初頭約5,000年前に形成されたとされています 集落形成はさらに前の縄文前期(約6,000年前)になります
この「庭田貝塚」は、本市の西側に位置し、西は養老山地、東は揖斐川に挟まれた羽根谷(はねだに)扇状地の北側にあります ここに集落が形成されたとされる時期は、 縄文海進(今から約6,000年前に起きた日本付近で発生した海水面の上昇のこと ・・・前回のブログ参照)から海退が始まる頃で、 この「庭田貝塚」の辺りは、絶好の沿岸住居環境であったわけです 魚釣りに絶好の環境ですねぇぇぇ ・・・今はその面影は全くありませんが・・・
出てきた貝類はマガキなど鹹水(かんすい=塩化ナトリウムなど塩分を含んだ水のこと)産貝類が圧倒的に多く、食べていた魚 ということは・・・この場所が、前回ご紹介した「羽沢貝塚」のように川の河口部ではなくて、 「庭田貝塚」は海の沿岸部ということですね 集落の形成が縄文前期、貝塚の形成は中期であることから、海に適応した集団が移住してきたのではなく、この地方の人が徐々に海に適応して海産物を食したと考えられるのです。 この頃は、まだまだ山や野での狩猟が中心の時代であったので、 貝や魚を獲るということはとっても先進的であったのです
貝や魚の骨の他には、縄文中期の深鉢型土器を中心とした土器群、骨角貝製品では骨針・固定式銛頭(もりがしら)・髪飾り状骨針が出土しています また、石皿・叩石(たたきいし)・磨石などドングリなどを加工するのに使った石器なども見つかっています う~ん・・・ 獣や木の実など山の幸に、貝や魚など海の幸、この地で暮らした縄文時代の人達は食に恵まれていたんだなぁ 現代に生きる我々も肉ばかりでなく魚も食べないかんですね。。。 ところで、この「庭田貝塚」 場所が非常に分かりづらい!ので、
今は小さな貝塚に、岸壁で釣りに勤しむ縄文人を想う「ネタチョウ」 絵 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月21日 15時05分21秒
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