1990315 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

全26件 (26件中 1-10件目)

1 2 3 >

歴史・文化

2015年08月18日
XML
カテゴリ:歴史・文化

本年10月11日揖斐川町で第39回全国育樹祭が開催されます!

育樹祭の開催機運を高めること、森林を次世代に継承していくことの大切さを啓発することを目的とし、樹齢100年を超える丸太を木曳きし、県内全市町をリレー形式でつなぐ「100年の森づくりリレー」が以下により開催しますスピーカ

日時 平成27年8月19日(水) 午前9時30分~午前11時

場所 海津市歴史民俗資料館
    ※行事開催時間帯に限り、入館料無料とします。

内容 1.木曳き車引継ぎ式
   2.市の木「松」引渡し式
   3.三世代により森づくり宣言
   4.アトラクション
    ・キャラクターショー「ミナモと森のほったらかし男爵」
    ・木曽三川子ども狂言「失せうろこ」(作:やまかわさとみ)
   5.大木丸太の木曳き

2の市の木「松」引渡し式では、海津市の木である松の苗木を、岐阜県の代表者へ引渡します!
その後その苗木は、育樹祭会場で植樹されることとなります。

海津市の木が松に決まった理由として、今から約260年前の宝暦治水工事があります。
多大な犠牲を払いながらも工事を完成させ、当時の海津市を助けていただいた薩摩義士
その宝暦治水の歴史を今に伝える千本松原の松は、薩摩義士の偉業を称え、工事が完成した後、故郷から取り寄せたものを植えられたと伝えられています!

今回引渡す苗木は、当時に植えられたとされる松のマツボックリから育てた2世松の苗木ですスマイル
木曽三川千本松原を愛する会の皆さんが、治水神社に育苗場を設け、大切に育てていただいた松を市へ寄贈いただくものです!!

開催を2日後に控えた17日、当日育樹祭の会場へと引き渡される苗木について、その苗木の根巻きと市への引渡しが行われましたスマイル
木曽三川千本松原を愛する会からは、代表の川畑様始め、宇都宮様、小澤様が来られました!

集合.jpg

天気は雨が予想されましたが、奇跡的に雨が止みましたウィンク
引き渡される松が、育苗場から丁寧に掘り出され、根巻きが行われます!
布にくるんだ後、麻縄が巻かれ、苗木の旅立ちの準備が整いましたグッド

掘り出し.jpg

根巻き.jpg

完成.jpg

市を代表し、農林振興課長が受理しました!

引渡し.jpg

受け取った苗木は責任を持って明日の森づくりリレーの会場へ届けます!
そして育樹祭会場への引渡しを行いますグッド

集合2.jpg

約260年前の思いの入ったこの由緒ある松は、木曽三川千本松原を愛する会から海津市へ、そして海津市から岐阜県へ、そして10月11日の全国育樹祭の会場へ旅立ちます音符

育樹祭の会場でも、すくすくと育ち、当時の義士たちが見守るが如く、海津市の木として立派に成長してくれることでしょう!!







Last updated  2015年08月18日 12時02分59秒

2015年06月01日
カテゴリ:歴史・文化

こんにちは、ニンニンでござる!

連日の暑さで、少しお疲れ気味でござる晴れ雫

 

さて、今年は、世に知れた宝暦治水が完成して260周年記念の年でござる!

 

宝暦治水とは、今から遡ること260年前に、度重なる水害で困っていたこの地域に、徳川幕府からの命令で1000kmも離れた鹿児島からおよそ1000人の薩摩藩士が治水工事をしてくれたことを指すでござるよ。工事期間中に、80名近くの藩士の方が犠牲になった大変な工事だったのでござるよ。それ以来、この地域では、その功績を讃えて、彼らのことを薩摩義士と呼んでいるのでござる!

 

そして、毎年、岐阜県でも鹿児島県でも薩摩義士を偲び慰霊祭が行われるのでござるが、先週5月25日に鹿児島市で「薩摩義士頌徳慰霊祭」が開催されたので、紹介するでござるスピーカ

 

慰霊祭が行われたのは、鹿児島市の平田公園。工事完成後に亡くなった総奉行平田靱負の屋敷があった場所で、平田靱負の銅像が建っているでござるグッド

1.jpg

 

平田公園には、600人を超す人が全国から集まり、海津市からも市民訪問団をはじめ、海津市の中高生、治水神社春季大祭の心男などおよそ60人が参加したでござる!

2.jpg

2-1.jpg

 

式典では、慰霊祭を主催する鹿児島県薩摩義士顕彰会の島津修久会長が「薩摩義士が残した偉業と崇高な精神を継承していき、鹿児島と岐阜との友好と交流をさらに深めていきたい」誓うとともに、岐阜県・鹿児島県の関係者が顕彰の言葉を述べたでござるよ!!

3.jpg

 

そして今年は260周年を記念して、薩摩義士作文コンクールの表彰や羽島市竹鼻別院の藤の記念樹贈呈式が行われたでござるよ。

竹鼻別院の藤は、樹齢およそ260年以上で、もしかしたら薩摩義士も見たかも知れぬ目

4.jpg

 

式典最後には、鹿児島の古武道「東郷示現流」の奉納演武。「ヤー!」という大きな声と共に、木刀を振り降ろす姿はまさに見ものでござった。拙者も、血が騒いだ出ござるよ音符

5.jpg

 

こうして、無事に式典も終了。帰り際にふと公園内をみると、松の木が目に入ったでござるウィンク
250周年の時に記念植樹された海津市の千本松原の苗木で、ふるさと鹿児島の地に根付き、人の背丈までに大きく成長していたでござるちょき

6.jpg

 

260年前の偉人たちの顕彰!これからも、薩摩義士の偉業と精神を未来へ継承していくでござるよスマイル

 

最後に、告知を1つスピーカ海津市でも薩摩義士に関連した記念行事を開催するでござるひらめき

平田靱負翁感謝の集い

日時:7月4日(土)午前8時30分~9時 

場所:平田公園(海津市平田町三郷)

 

7.jpg

これは、昨年の様子でござるオーケー

 

また、次のとおり260周年記念事業を開催!

私たちの生活の中に生き続ける顕彰活動を振り返るとともに、珍しい資料も公開するでござるので、ぜひ、ご来場くだされ音符

 

「宝暦治水と平田靱負-顕彰の歩みを振り返る-」

講演会・展覧会

○講演会

日時:7月4日(土)午前10時~正午

場所:海津市文化センター小ホール(2階)

(海津市海津町高須)

講師:中西達治氏(宝暦治水史蹟保存会会長)

 

○展覧会

 日時:7月4日(土)~6日(月)午前9時~午後5時

 場所:海津市文化センター農事研修室(1階)

※4日は午前10時~、6日は午後3時終了







Last updated  2015年06月01日 17時29分15秒

2014年12月10日
カテゴリ:歴史・文化

4.jpg 

ども、よっしーですスマイル音符 

11月30日の日曜日、庭田の古墳見学に行ってきました星

 

実はこの日は、海津市及び海津市教育委員会主催の「円満寺山古墳群現地説明会」があり、石窟などが現地で直接見ることができるめったにない半日だったのです!!

この古墳群については、歴史民俗資料館のスタッフの皆さんを中心に何年も前から調査が進められてきましたきらきら

前方後円墳で今までに刀や土器等の副葬品が見つかり、円墳の部分に遺体を安置するための石窟や木棺が3つ並んで配置されていると想定される全国的にも珍しい造りなのだそうですびっくり

1.jpg

当日は、雨あがりにも関わらず約百人の方が古墳までの急な坂道を登ってこられ、説明者の話に熱心に耳を傾けてみえました耳

 

来年度からは、2,3号古墳の調査に入るそうですグッド

みなさんもお時間があれば、休日にウオーキングを兼ね紅葉を眺めながら出かけられてはどうでしょうか??

2.jpg

3.jpg

 

古墳からは、大垣や一宮、名古屋などが一望できます目

以上、よっしーでした星







Last updated  2014年12月10日 14時01分00秒

2014年06月12日
カテゴリ:歴史・文化
 

其れがし、歴史好き歴男と申します。今回は歴史ブログなるものを書いてみたので興味のあるものはご覧あれ!!スマイル

と、まあ前置きはここまでで、さてさて今日は歴史の勉強しようかなーっ、ということで歴史民俗資料館へ行ってみました。

1

歩く人てくてく、てくてく、とまあ自身度目歴民グッド

歴史好きにはたまらんスポットきらきらなのですよ。そしたらブログでもおなじみわれらが高須4兄弟のことを思い出しちゃいましたので、ちょっとその中で松平定敬について歴史散策しようかなーと思いたったわけですうっしっし

11

    上矢印↑(一番左の方です目

そこで松平定敬と言ったら桑名のお殿様、ということで桑名城跡(九華公園)へ行っちゃいました車

あ、ちなみに松平定敬についておさらいすると、高須藩主松平義建の8男で、養子として桑名藩へ迎えられて藩主となった人です。その後はご存じのとおり幕末においては京都所司代(幕府の役職で治安維持とか西国の監視等行ってたようです)として一会桑政権の一翼を担っていた、、、とまあ難しいお話はこの辺にして、松平定敬の足跡を求めいざ!

おおっ!まずは徳川四天王本田忠勝公がお出迎えですかい。

2

 

そして中を散策四つ葉

 

3

花菖蒲祭りやってたようっしっし

4

お堀に亀多っ!!スマイル

5

あっ、爆弾大砲だ炎

 

さてと天守のあった本丸跡上向き矢印

 

6

現在は鎮国守国神社がありました。

 

7

こちらは天守閣跡に戊辰戦争で亡くなった桑名藩士を弔う戊辰殉難招魂碑がありました。

8

よく見ると定敬の文字が、どうやら撰文は定敬のようです。

んーなんか歴史に浸っていると心がなごみますねーwww日本茶

 

ここまできたらもう少し定敬に触れたい!!と思って桑名市博物館に行ってみました。(歩いて10分くらいでしたよ歩く人

9

おー、吉田 沙保里の展示やってる!国民栄誉賞とかメダル、本物が飾ってある!!

 

 

って、違う違うダッシュ 定敬見に来たんやった雫

 

んーでも定敬の展示ないなー・・・・・・・・・・

 

あれ?

平成20年10月定敬展・・・・・・・

 

 

ショックすでに終わっていたんですね、残念下向き矢印

さてさて帰ろうと岐路についていたら近くに海蔵寺発見!

10

みなさん知ってますか?

ここには宝暦治水での薩摩義士のお墓があるんですよ。

とまあ先人たちに感謝しつつ、桑名を後にしました。

結構脱線しましたけど、たまには海津ゆかりの歴史へ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。






Last updated  2014年06月12日 10時41分32秒

2013年08月08日
カテゴリ:歴史・文化
「住みなれし 里も今更名残にて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」

ご存じの方も多いかと思いますが、これは宝暦治水工事の総奉行・平田靱負公の辞世の句です。

 

江戸時代、宝暦4~5(1754~1755)年に幕府の命により「御手伝普請」として薩摩藩からおよそ千人の藩士がこの地に赴き、大がかりな治水工事を行ってくださいました。大規模な工事であったにもかかわらず、僅か1年余という短期間で見事に完成しましたが、その代償に80余名もの藩士が病や割腹により命を落とすことになりました。

総奉行であった平田靱負公は、多額の工事費や多くの犠牲者を出したこの工事の全責任を負い、割腹するという悲しい結末を迎えます。江戸時代の「御手伝普請」は全国各地で行われていましたが、これほど多くの犠牲者を伴う工事はこの宝暦治水工事のみですから、この工事がいかに難工事であったか、おわかりいただけるのではないでしょうか。

このように、私たちの住むまちは、薩摩藩士ひいては薩摩藩から多くの「恩」を受けました。
薩摩義士顕彰団体であります当地の「宝暦治水史蹟保存会(中西達治会長)」は、毎年お盆前にこのご恩に感謝しながら、宝暦治水工事の犠歿者の墓所14か寺を参詣しています。

今回は、私(市長)がその様子をみなさんにお伝えしたいと思います。

 

朝6時50分

1 常栄寺(海津市)/薩摩義士1名の墓

1.JPG2.JPG

3.JPG

お供えのほおずきと薩摩焼酎を委員一人一人が墓前に...。

宝暦治水史蹟保存会委員全員で参詣。墓所の説明もあります。

 

その後、

2 霊松院(岐阜市)/幕府水行奉行家来1名の墓

3 真宗大谷派竹鼻別院(羽島市)/幕府方役人1名の墓

4 少林寺(羽島市)/薩摩義士1名の墓

5 清江寺(羽島市)/薩摩義士3名

 

4.JPG5.JPG

 清江寺は毎年住職さんにお出迎えいただき、本堂のお位牌に手を合わせます。住職さん、お世話になりました。

 

 岐阜市、羽島市の墓所に続いて、輪之内町の墓所へ...。

 

10時30分

6 円楽寺(輪之内町)/幕府水行奉行家来1名の墓

6.JPG

 

10時40分

7 江翁寺(輪之内町)/薩摩義士6名の墓

7.JPG8.JPG

 焼香の間、住職さんがお経をあげてくださいました。ありがとうございました。

 

10時55分

8 心岩院(輪之内町)/薩摩義士1名の墓

9.JPG

委員が4台の車に分乗し移動。予定時間から既に20分以上の遅れが...。

 

10.JPG

 

11時20分

9 天照寺(養老町)/薩摩義士3名の墓

 隣接する「六角堂」には24名の薩摩義士が祀られています。

11.JPG

 

再び海津市の墓所へ...。

 

11時43分

10 円成寺(海津市)/薩摩義士13名の墓

12.JPG

地元の団体(薩摩義士をたたえる会)により、毎年4月3日に法要がいとなまれています。

 

12時07分

11 常音寺(桑名市)/薩摩義士5名の墓

13.JPG14.JPG

 焼香の間、住職さんがお経をあげてくださいました。大幅な遅刻にもかかわらず、お待ちいただきありがとうございました。

 

その後、

12 長禅寺(桑名市)/薩摩義士1名の墓

13 海蔵寺(桑名市)/薩摩義士24名の墓

15.JPG16.JPG

 まわり全てが薩摩義士の墓石です。「24名」と文字では簡単に書けますが、ふるさと薩摩に帰ることなく果てられた多くの義士の無念さを思うと、熱いものが込み上げてきます。

 

 そして最後の

14 長寿院(桑名市)/薩摩義士3名の墓

を参詣し、13時00分に今年も全14か寺を参詣することができました。しかし暑かったな~。

 

私たちのまちは、古くから「水との闘い」があり、宝暦治水工事や明治時代のオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケ氏指導による三川分流工事等多くの方々のお陰で「今」があります。この宝暦治水が縁となって、海津市は鹿児島県霧島市と姉妹都市交流を続けており、教育・産業の分野を中心に相互訪問を実施しています。この秋には霧島市の中高生が海津市を訪問してくれます。

今回の墓所参詣により「報恩感謝」の思いも新たに、これからも薩摩義士の顕彰活動に尽力していきたいと思います。

みなさんも、お近くの墓所を参詣されてはいかがですか。きっと「報恩感謝」の思いが心の底から湧き出てきますよ...。

 

-余談-

 みなさまに支えられてきました職員ブログ「かいづ、つーかい日記」は、本日誕生日お誕生日を迎えました。この記念すべき日に掲載できたことをとても嬉しく思っています。

2年という長い間、このブログを見ていただいた全てのみなさまに感謝申し上げますと共に、これからも「かいづ、つーかい日記」をよろしくお願い申し上げます。







Last updated  2013年08月16日 10時18分41秒

2013年08月01日
カテゴリ:歴史・文化
YO-!チェケラッチョ。YO-!!

キャラが変わったような気がしますが、久々登場ミッチーですうっしっしきらきら

 

毎日、暑い日が続きますね炎ショック熱中症には要注意です失敗!

 

小学生の皆さん、夏休み宿題はおわりましたか???

ぼっくんの時は、まだ終わっていなく、遊びほうけていましたびっくり(笑)

 

参考になるといいですが、夏休みの宿題又は課題研究として、

羽沢貝塚を紹介しますウィンク

 

あんまり期待しないでねあっかんべー

 

それでは、早速、羽沢貝塚に向かうとしましょう?

あれ、まったはく場所が分からないぞダッシュ

 

羽沢貝塚のインフォメーションですスピーカ

 

名称:羽沢貝塚

場所:南濃町羽沢←各自調べてみてくださいダッシュ

 

実は、探すのに苦労しました。トホホわからん

 

目的地の付近まできましたが、どの道も狭いですねほえー

お、お、このあたりかな?

IMGP0527.JPG

 

そろそろ、目的地ですかねダッシュおや、これかな??

IMGP0532.JPG

 

ターゲット発見目目的地に到着!

あれ、ただの芝生や雑草地のようだけど、どこが貝塚なんだろう?

 

ちなみに

遺跡の形成は縄文中期後半に始まり、貝層形成期は縄文晩期後半(約2500年前)で、東西約20mと南北約25mの範囲内にある

 

となっているそうです!!!

 

貝塚はごみ置き場って学校で習った気がしますそういうイメージで

想像力をふくらましてみてくださーい(>_<)

 

 

よく足元をみると、貝殻等がいっぱい落ちてるぞひらめき

IMGP0533.JPG

 

 

もうすこし拡大虫眼鏡

IMGP0535.JPG

 

貝類はほとんどがヤマトシジミだそうです!

他にも土器・石器・人骨・甕棺が出土したそうです。

 

ちなみにヤマトシジミって準絶滅危惧に分類されていますオーケー

 

興味がありましたら、一度みて見てみてはいかがでしょうか?

IMGP0540.JPG

 

近くに水晶の湯の温泉がありますので、羽沢貝塚の散策のあとによってみてはどうでしょうか??

 

さようなら。Bye Bye!!バイバイ







Last updated  2013年08月16日 10時21分21秒

2013年03月08日
カテゴリ:歴史・文化
 

ポカポカきらきら 春の陽射し晴れ幸せを感じますよね~(*^。^*)ダブルハート

 

こんにちは!今シーズンは薬を替えたせいか、花粉がめっきり気にならなくて、

地に足足跡のついた春さくらを迎えているTate PONですウィンク

 

さて、大河ドラマテレビ「八重の桜さくらのおかげで、

海津市ゆかりの"高須四兄弟"にも俄然、注目目が集まっていますよね上向き矢印上向き矢印

 

1.JPG

上矢印高須松平家家紋

今まであまり関心のなかった方からも

「今度、会津へ行ってみるよ。」

なんてワクワクした声が聞かれます耳音符

 

・・・というわけで、あちこちで会津藩→松平容保→高須藩話題沸騰中炎な今日このごろ、

な、な、なんとぉぉぉ

 

高須四兄弟すごろくなるものを作ってみましたぁ!

 

きっかけは、某全国紙に掲載する海津市紹介のネタづくりだったんですあっかんべー

ところが、小学生の頃、新聞委員として壁新聞づくりに情熱を傾けていた(!?)血が騒いだのか、試行錯誤すること数日、やっと完成にこぎつけました!

 

卓上サイズも考えましたが、ここはやはり、特大サイズで・・・

2.JPG

上矢印ロール紙のプリンターで出力中FAX

 

3.JPG

上矢印2枚を中央で貼り合わせます

 

4.JPG

上矢印テーブルの上に乗りきらない大きさびっくり

5.JPG

上矢印はじまりはこんな感じ...

 

6.JPG

上矢印ド~ン!出来ました星

 

まだ試作版的な仕上がりでイビツな所がたくさんあり、手作り感てんこ盛りですが、

四兄弟をとりまく歴史のあらましを分かっていただけるかなと思いますウィンクグッド

 

このすごろくは、歴史民俗資料館の高須四兄弟紹介コーナーにてご覧いただけます!

3月10日(日)に開かれる「円満寺山古墳群範囲確認調査成果報告会」でご来館の折にも、ぜひ見てくださいね音符







Last updated  2013年03月08日 13時08分43秒

2013年02月20日
カテゴリ:歴史・文化
こんにちはスマイル音符

前回「高須四兄弟」をご紹介しましたクロですグッド

 

今回はちょっとだけ高須藩にゆかりの人物をご紹介します猫

(かなりマニアックかもしれませんが...ショック

 

 

その人物とは・・・

秋月悌(あきづきてい)次郎(じろう)手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)ですウィンク

たぶん聞いたことない方のほうが多いかもしれませんね~あっかんべー

 

この2人は幕末の会津藩士なのですが、

戊辰戦争終了後の明治2年7月に高須藩にお預けとなっています!

 

戊辰戦争の際、高須藩は尾張藩と行動を共にし、新政府軍として出兵していますが、

国元では会津藩に同情を寄せる声が少なくなかったようです失敗

 

秋月悌次郎が明治2年10月家族に送った手紙eメールに当時の様子が書かれていますえんぴつ

 

『七月五日 高須表に着く、飲食万端誠に御丁寧毎日御菓子・御酒下され、風呂も日々相い立ち、即日若年寄役の人見舞として参り、・・・』

 

手紙はまだまだ続きますが、高須藩が会津藩の預かり人を

いかに大事に保護していたかきらきら

感じられますねウィンク!

(読みにくいですがなんとなく意味は分かりますよねグッド

 

またこの2人は高須藩にいた際に漢詩えんぴつや和歌音符を詠んでおり、

海津市歴史民俗資料館3階にて見ることが出来るようになっていますウィンク!

画像1.jpg

 

下矢印秋月悌次郎 漢詩

画像2.jpg

下矢印手代木直右衛門 和歌

画像3.jpg

 

せっかくなので、2人のことを簡単にご紹介しますうっしっし!

 

≪秋月悌次郎≫

京都守護職時代は、容保公が守護職を拝命し上洛すると※公用方に採用されます。薩摩の高崎佐太郎と謀り、八・一八の政変を成功させ、会薩同盟を結ぶ立役者となります。

戊辰戦争では籠城戦に入り副軍事奉行として防戦を指揮しますが、ついに降伏を決意。米沢藩(現:山形県)を通じて手代木と共に降伏の使者に立ちます。

戦後は新政府に仕えますが、いくばくもなく会津に帰り母を養います。母が亡くなった後は東京大学・高等学校等に出仕し、のち熊本五等学校の教授となります。同じく熊本五等学校に在籍した小泉八雲と親交を持ち神様のような人と言われ尊敬されていたようです!

 

公用方...藩主を補佐し、仕事を処理する会津藩最高の諮問機関であり、政策立案機関。対外的には朝廷・幕府・諸藩関係者との折衝や情報収集を行った部署。(会津藩士のなかでもエリート集団が集まっていたそうです。)

 

≪手代木直右衛門≫

 京都守護職時代は公用人として渉外関係を担当し、新選組や所司代・町奉行を動かして市内の治安維持に尽力します。禁門の変では、容保公に代わって参内し、長州藩追討の勅を得て、容保公に復命するという大役をしています!

 戊辰戦争が勃発すると奥羽越列藩同盟にあっては諸藩との周旋役となり、籠城戦では若年寄として奮戦しましたが、開城にあたって秋月悌次郎とともに米沢藩への使者に立っています。

 戦後は美濃高須藩で禁固生活を送りますが、赦免されると新政府に出仕し、香川県・高知県・岡山県の役人を務めました!

 

 

今年の大河ドラマ『八重の桜』会津が舞台ですグッド

もしかしたら今回紹介した2人もどこかで登場するかも...うっしっしきらきら

(秋月悌次郎は2/10の回からちょこちょこ登場してますね。)

 

 

以下、ちょこっと観光案内ですひよこ

金戒光明寺(京都府左京区)

4.JPG

京都守護職を拝命し、京都で活動する際の本陣として使用されました!

黒谷にあったことから当時は「黒谷さん」と呼ばれ、親しまれていたようですきらきら

 

京都守護職屋敷門(京都府左京区)

5.JPG

現在の京都市役所にあった会津藩の「京都守護職屋敷」の表門。

現在は平安神宮敷地内に移築されています!







Last updated  2013年02月20日 10時42分05秒

2013年02月15日
カテゴリ:歴史・文化

こんにちは~スマイル音符

またまたまたの投稿、Tate PON ですぅウィンク

海津市が誇る天下の奇祭"今尾左義長"も終わり、これからドンドンさくらめいてきますネ黄ハート  

 

えっ、なんの関係があるのかって?ほえー

 

皆さんの地元では言いませんか?

「寒い、寒いも左義長まで。」って雪

(※事務局注:海津市でも誰も言いません!ショック

 

毎年月に行われる左義長の頃は、冬将軍が最後の力を振りしぼるゾ!ぐーって感じで寒気雪がやってきて、祭りの準備期間や当日に雪混じりのみぞれが降ることがよくあるんです失敗

 

だから、「いくら暖冬でも、2月中旬までは油断できないヨ~((+_+))雫というわけで、Tate PONは毎年左義長が終わると、春まっしぐら!上向き矢印という気分になるんですうっしっしグッド

(その前に、花粉の飛散で春を実感するかも...しょんぼり

 

 

さて、前置きが長くなりましたが雫

海津×会津 エピソード1に引き続き エピソード2ちょきをお送りしますウィンク

大河ドラマ「八重の桜」観てますか~!?

いよいよ会津藩にとって悲劇の幕開け

藩主松平容保が京都守護職に任命されてしまいますね!

1.JPG

 

さくら新島八重イメージキャラクター"八重たん"さくら

              Ⓒ福島県

 

無法状態になっている京都の治安を守るという、重要かつ危険な任務を引き受けるにあたり、会津藩の行く末と幕府・天皇への忠誠とで板挟みになった容保は、悩みに悩みます!

そして、苦渋の決断を下すわけなんですが...。

 

ここで、容保の実のお父さん、われらが高須10代藩主松平義建の出番です!

会津松平家に養子に入ったとはいえ、同じ江戸にいて父子の交わりは続いていましたグッド

 

容保は、京都守護職を受けるかどうか迷っていた時期、義建にこんな和歌を贈っています音符

     「行くも憂し止まるも辛し如何にせん

                   君と父とを思う心を」

(先へ進む事も、今のままとどまることもできません。どうしたらいいのでしょうか。主君と父上どちらも大切に思っている私ですが。)

*筆者口語訳

3.JPG

松平容保

 

これに対する義建からの返歌音符は、

       「父の名はよし立てずとも君が為

               いさお(勲)表せ九重のうち」

2.JPG

松平義建

と、父親のことよりも主君のため、武士としての務めをしっかり果たすよう激励された容保は心を決め、過酷な運命を受け容れる覚悟をしたといわれています!

 

ちなみに、容保はわりとお酒日本酒を好んだようですが、義建の前では酔っぱらって乱れたり、醜態を見せるようなことはなかったそうですうっしっし

(旧高須藩家臣の談)けっこう厳しい父親だったんでしょうかねーわからん

だからこそ、あえてイバラの道を行かせるというか、情よりも義を重んじたんでしょうね、きっとダッシュ

 

ではでは、エピソード3でお会いしましょう♪♪♪うっしっし







Last updated  2013年02月15日 16時44分46秒

2013年01月31日
カテゴリ:歴史・文化

こんにちは!Tate  PONですウィンク

間もなく立春さくらだというのに、なかなか春の兆しが見えないですねーしょんぼり

 

さて、大河ドラマビデオ「八重の桜さくらにも登場する、

会津9代藩主松平容保美濃高須藩(海津市)の出身で、

養父松平容敬(かたたか)とは叔父と甥の関係だという事は、

前回チラッと触れましたよネあっかんべー

 

今回は、もう少しそこのトコロをつっ込んでみたいと思いま~すうっしっし!

 

会津8代藩主の容敬は、水戸徳川家から高須9代藩主となった松平義和(よしより)の子として、1803、江戸小石川(東京都文京区)の水戸藩邸(現在の東京ドームとその周辺)で誕生しましたグッド

 

 容保の実父で高須10代藩主の松平義建(よしたつ)は1799年に同じく水戸藩邸で生まれていましたから、容敬の兄という事になりますきらきら

1311.JPG

当時の会津藩主はなぜか子どもに恵まれず、7代容衆(かたひろ)4歳(!)

で当主となっています!しかもあまり丈夫ではなかったと言われていますから、

周囲の人たちは不安だったんでしょうネー失敗

 

ある時、ひとりの会津藩家老が、親しくしていた水戸藩家老に、

この悩みを打ち明けたんだそうですダッシュ

(世間話のついでっていうか、同業者の愚痴みたいな・・・?)

 

そしてなんと!幼い容敬(当時3歳:幼名算三郎)をこっそり会津家へ養子させ、

表向きは容衆の異母兄弟ということにする話でまとまります。

 

一説には、義和(当時は(もり)(すけ)と名乗っていました。)が水戸家から高須家へ養子に入ることが決まった後に、身分の低い女性から容敬が生まれたので、水戸藩の家老も困っていて、渡りに舟!とばかりにこの養子縁組が成立したとも言われていますオーケー

 

1312.JPG

上矢印義和自作の茶碗ごはん(海津市歴史民俗資料館蔵)

 

 う~ん。幕府にウソの届け出をすることになるので、

この家老たちもよっぽどの覚悟がないと出来ませんよねーしょんぼり

ただ、江戸時代の大名家は、後継者がいないと御家断絶!ショック

になってしまうので、会津藩もそれだけ必死だったんでしょうが・・・ほえー

結局、容敬は17歳で会津藩を継ぎました。

 

以後30年間会津藩主を務めた容敬ですが、兄の義建が遺した書物ノートに、

 

 「・・・若松城主会津四位中将容敬は、私と深いゆかりのある人物で、折々に交歓を重ねている。この間和田倉(東京都千代田区/現在の皇居前広場の一角)の会津藩邸を訪ねたとき・・・」

 

と書かれていて、兄弟の交流があったことが分かりますスマイルグッド

FJs2IU2Zg5slCPO1359591242_1359591367.jpg

江戸城和田倉門内の会津藩上屋敷(江戸切絵図より)

 

ちなみに高須松平家の系図パレットには、容敬のことは

「義和三男。文化3(1806)年某月某日 故あって他家を継ぐ」

とだけ記されていて、かえって意味深な気がしないでもないですけど。

まあ、これも体面を重んじる武家社会ではアリだったのでしょうか・・・びっくり

 

以上、容保以前から結ばれていた会津と海津の絆についてご紹介いたしましたウィンク!

では、次回エピソード2をお楽しみに!!

 

注:本文中「  」内は、わかりやすく現代文にしてあります。







Last updated  2013年01月31日 14時01分48秒

このブログでよく読まれている記事

全26件 (26件中 1-10件目)

1 2 3 >


© Rakuten Group, Inc.