2008/08/05(火)00:25
佃(住吉神社)の祭りへ
何十年ぶりかで故郷(佃)の祭りへ行きたいとオババが言いだしたのはまだ肌寒かった頃
前回の大祭の前の年にオババの小学校時代の恩師が亡くなった
亡くなる前の年「来年の大祭には○○ちゃん(オババ)、遊びにいらっしゃいね」という言葉がずっと心残りだったようだ。
先生が存命の頃はオババは年に数回、先生の所へ遊びに行ってはいたけれど、祭りの時にわざわざ出かけることはなかった。
祭りに出かけるためにオババはこの一週間で自分と私の浴衣を縫っていた
「誰に会うかわからないから、無粋な格好では行かれない!!」
確かにオババの従兄弟達はまだ地元にいるし、私にしてみても元彼(学生時代の)を含め同級生の何人かは佃・月島界隈の出身だ
夏は時間があるので着物を着る機会が一番多いのだけれど、浴衣って着物より暑いので私は随分長いこと着ていない。
浴衣を最後に縫ってもらったのは高1位が最後じゃなかったかな?
電車を乗り継ぎ月島へ到着
すぐさま、住吉さんをお詣りする
高層マンションが建ち並び、すっかり変わってしまった街並みにオババは困惑気味
昔はああだったとかこうだったとか今日のオババはよく喋る
もんじゃ屋が立ち並ぶ西中通りもこの店は何屋だったとかあそこに和菓子屋があったとか
中央に位置するオババの従兄弟の建物
商才に長けていたオババの伯父さんのつくった某名所もついでに見てきた(笑)
祭りに寄付金 やはり一番に名前があった
商店街の酒屋のおばさん(母がこの地を離れてから嫁に来た)と立ち話
お互い「月島がもんじゃの街と言われると頭に来る」と話が盛り上がっている
時代の流れだから仕方がないと私は思うけれど確かに私の知っているあの頃よりかなりもんじゃの店が増えているのには驚きだった。
住吉さんに戻り、近くにいた老人にオババが声を掛ける
「昔この辺に○○さんというお宅があったとおもうのだけれど・・・・」
そのお宅はまだあったけれど、オババの同級生は3年前に亡くなっていた
もう1人の同級生は健在であることも教えもらった
先生が亡くなる少し前、お手伝いさんから聞いていた「△さんが体調を崩し危ないらしいので先生には言えない」と言われていた方の方が健在だった。
どうやら、お手伝いさんは名前を取り違えていたみたいだった。
オババはちょっとショックだったみたい。
友人が亡くなったこと、同じくらいの年かと思って声を掛けた老人が実は彼女より十も年下だったこと・・・・・
次の大祭にオババが今日みたいに元気でしゃきしゃき歩いて行かれるかどうかは本人曰わくわからない。
そして今回は私も休みで同行することが出来たけれど、次回の報償は全くない
滅茶苦茶暑い一日だったけれど、今日はオババへの親孝行のお付き合い日ということで終わりました。
私的には手持ちの江戸百景に描かれている大幟の実物をみることが出来たこと
八角御輿や獅子頭(龍や虎もある)を堪能できたことがHAPPYだった
美味しい中華にもありつけたし(笑)