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飛ぶように売れる製造業『日はまた昇る!』

人生が二度あれば・・・!

■日付

2005年3月17日(木)


■タイトル

人生が二度あれば・・・


■本文

『人生が二度あれば』・・・などとは言いたくない。

池永

1970年に、八百長疑惑「黒い霧事件」で永久追放された元西鉄ライオンズのエースだった池永正明さん(58)に、35年の歳月を超えて漸く「復権」の道が開かれたようだ。

子供の頃、テレビで大騒ぎになっていたのを覚えているが、あれから35年、余りに時が経ち過ぎた。

プロ5年間で103勝を挙げた池永さんは当時、現金100万円を預かったことは認めたが、八百長行為に関しては一貫して否定している。

多くの支援者があり、嘆願書を何度も提出したが、いずれも却下されてきた。

歴代のコミッショナーは、任期中にこの問題を解決しようとはぜず、自分の保身のみを考えてきたのではないだろうか。


それにしても、35年は長すぎる。

池永甲子園

池永さんは、下関商業高校出身で在学中の2年時には、甲子園の春は優勝、夏は準優勝と輝かしい実績を残し、鳴り物入りで西鉄ライオンズに入団。

1965年は、新人でいきなり20勝を上げて新人王、3年目は23勝で最多勝を獲得。

高卒としては、今の西武の松坂を超える『怪物』だったのです。


彼は、強気でいわゆる竹を割ったような気性で、男気のある人でした。

先輩から「助けてくれ」と頼まれ、その場で先輩の顔を潰す訳にもいかず、新聞紙に包まれた金を受け取ってしまったのです。

脇が甘いと言ってしまえばそれまでですが、後で返せばいいという判断が、命取りなってしまいました。

ネット上で見てみると、事件が発覚した当初池永さんは、比較的罪は軽いと思われていたようですが、当時の新聞社の争いの格好の餌食となり、まさかの『永久追放』となってしまったのが真相のようです。

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この八百長をすっぱ抜いたのが報知新聞で、当時九州を支配していた新聞は西日本新聞であったのだが、全国制覇を目指す読売にとってこの八百長問題は、おししいネタだった。これを大々的に報じることで九州を支配してしまおうと、そのターゲットを九州に本拠を置く西鉄に絞り、潰しにかかった。
なんと朝日新聞もこの八百長をネタに虎視眈々と九州を狙いはじめた。
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巨大メディアに屈服した機構側は、「見せしめのスケープゴート」が必要だった。

それが5年で100勝した『大物』池永さんだったのです。

それから35年の歳月が流れてしまいました。


何より残酷だったのは、池永さんはその後プロゴルファーを目指すのですが、『永久追放』の看板が邪魔して許されませんでした。

西鉄に同期入団した尾崎将司選手は、プロゴルファーに転身し見事に成功しているのを考えると、中学時代陸上でも全国のトップクラスだった天賦の運動能力を持つ池永さんだったら、ジャンボ尾崎以上になれたのではないでしょうか。


そして、今回の復権をいわゆる『堅気』で迎えられたのは、奇跡と言っていいのではないでしょうか。

天職をもぎ取られ、天賦の才を生かす道も閉ざされ、普通なら腐って真っ当な人生など送れません。

八百長事件で同じように『永久追放』になったYさんが、1998年に亡くなった時、池永さんは、こう答えています。

「そうですか。ヤスさんが亡くなったですか。ヤスさんとは電話で話をしたことがあるのです。ヤスさん、負けたらいかんどって。亡くなってから復権してもらっても、なんもならんですよ。ヤスさんも可愛そうやった」

この言葉に、池永さんを支援してきた人が何故後を絶つことなく多かったが分かります。

男の美学を感じます。


最近、天職とかやりたいこと好きなことで仕事するとか、よく言われているようですが、池永さんのように天職をもぎ取られても、目の前のことを一生懸命に35年やり続けていれば、誰も見放すこともないということでしょう。

目の前のことを一生懸命になれないのに、天職ややりたいことを一生懸命やるはずがない。


池永さんの第二の人生が、素晴らしいものになるように祈るばかりです。

いや、今までの池永さんの人生は、素晴らしいと思います。



それではまた。







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