2004/06/02(水)22:50
命の尊さは、現実の死を見ないと分からない!
今朝、ラジオで聞いた話だが、小学生の女の子が、ツバメの巣が汚いからと言って、壊してしまって、生き残った雛を別の子が育てているという。
長崎の小学生の女の子が、同級生を殺したことに絡めての話ではあったのだが、ツバメの巣を壊すという発想が、私の年代にはない。
家の中や軒下にツバメが巣を作るのは、その家に福が来るとか縁起が良いと教えられてきた。
益鳥と言われているツバメだから、人が勝手にそんなことを言い始めたのだとは思うが、今は、どこかでプッツリとそうした教えが途絶えてしまったようだ。
確かに、ツバメの糞が上から落ちてくるのは、嫌かもしれないが、嫌なら受け板を張れば良いことで、難しいことではない。
それに、ツバメの糞なんか、小さくて、服に付いてもさほど気になるものではない。
現代の異常なまでの潔癖症が、ツバメの巣を壊すことに繋がるのか?。
特に、女の子が、こんなことをするのは、あまり聞いたことがなかった。
以前にも書いたことだが、命の大切さを教えるとは、どういうことなのかと考えてしまう。
はっきり言って、理屈では分からないのではないだろうか。
長崎の小学生は、殺すつもりではなく何かの弾みだと思っていたが、殺意があったことを認めていると報道されている。
もはや理屈では通用しない。
例えば、鯨やイルカは、見て感激する動物としか今は教えないが、本来は日本人にとって食用動物だ。
私の知人で、ある島で育った人がいるが、高校の頃までは、家に帰ると、母親は血だらけになって、大ナタでイルカを捌いている光景を見ていたと言う。
「この母ちゃんには逆らえない」とその時は、心底思ったようだ(笑)。
こういう経験があると、命とはどういうものか分かるのではないか。
きれい事を並べるより分かるはずだ。
私も、子供の頃、父が、家でニワトリを捌いて料理していた。
当然、その前は、締め殺すわけで、私も父に教わって殺したことはある。
これは、残酷なことではなく、当たり前の光景だったのだ。
私は、これは素晴らしい情操教育になっていたと、亡き父に感謝したい。
情操教育がおかしいと言う方もおられるかもしれないが、ある農業高校では、ひよこから育てたニワトリを殺して料理することを実際にやらせている。
命の尊さを教えるために。
動物を殺すことが無理な現代でも、人の死を感じさせることは大切ではないだろうか。
私が、小学校2年の時に祖父が亡くなったが、人は死ぬと冷たくなる、硬くなるというのを知った。
こういう経験は、後々貴重な経験として生きてくると思う。
余りに死というものを、見つめる機会がない子供達は不幸だと思う。
ネット上では、簡単に殺せて簡単に生き返る。
こんなことばかりでは、子供も大人もおかしくなるのでは。
もう一つ付け加えれば、おかしくなっている証拠が最近の格闘技。
私も格闘技ファンで、よく見るが、最近の倒れた相手の頭を、サッカーボールのように蹴っているのを見て、喜んでいる自分が怖くなることがある。
そんな大袈裟なという人もいるだろうが、あれを見て、子供がケンカで真似しないはずはない。
やって良いことと悪いことの境目がなくなっている。
私たちの子供の頃は、ケンカでもルールがあった。
素人が、サッカーボールのように、倒れている頭を蹴られたら死ぬ可能性は大きい。
現に、少年同士のリンチ殺人では、サッカーボールのように蹴られた子供は死んでいる。
なんでもあり!と喜んでいる場合じゃないだろう。
ケンカにもルールがあるのだ。
ここまで書きましたが、今日は支離滅裂になってしまいました。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。