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2007/08/25
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カテゴリ:人生・教訓!
今月の16日と17日に、第二次世界大戦の悲劇を扱ったドキュメンタリーが放送されていた。

17日は、鹿児島の知覧より飛び立った特攻隊員の妹さんが、もしかしたら「お兄さん」は生存しているのではないか、と母親の遺志を継いで、今でも捜し続けている姿を追ったもの。

前日の16日は、戦時中最強部隊と謳われた『菊兵団』の激戦地ビルマ(現在のミャンマー)での悲劇的な戦いを追ったものだった。

『菊兵団』は、皇室の紋章である『菊』を名乗ったことでも分かるように、勇猛果敢な精鋭部隊だったようだ。


「証言記録 密林に倒れた最強部隊~福岡県・陸軍第十八師団~」
 太平洋戦争から60年余り、元兵士たちは長く自分の戦争体験について口を閉ざしてきた。しかし近年、このままでは自分たちの体験が忘れられてしまうと、ようやく重い口を開き始めた。福岡県久留米市にあった陸軍第十八師団、通称“菊兵団”。日中戦争のぼっ発以降、中国、シンガポールを転戦、常勝の部隊として勇名を馳せた。昭和17年菊兵団が転戦を命じられたのは、ビルマ、現在のミャンマーだった。しかし、菊兵団のビルマでの戦いは戦略も戦術もなきに等しいものだった。ジャングルの泥沼で野砲が運べない、砲弾も医療品も足りない・・・逆に連合軍は飛行機と戦車を駆使した戦術で圧倒。密林にこもる菊兵団を追い詰めていく。終戦間近の昭和20年、すでに野砲も失った部隊は小銃と短刀だけで捨て身の戦闘に走る。番組では、陸軍第十八師団に所属し、過酷な戦場体験をくぐり抜けた人たちの証言をつづり、その生々しい証言から戦争の悲惨さと極限における人間の姿を浮き彫りにする。



実は、今は亡き父は『菊兵団』ではないが、同じく久留米の56師団に所属し、やはりビルマで戦っている。

否、もしかしたら間違っているかもしれないが、戦車に乗っていたこと、56連隊に所属していたことを聞いた記憶があるので、おそらく56師団だと思われる。

ビルマの戦い ( Wikipedia)


そんなわけで、部隊は違っていても、同じビルマで戦っておられた方々の証言を、食い入るように見てしまった。

父は、生前過酷な戦場体験の話は殆どしなかった。

酒を飲んで酔えば、真偽は定かでない手柄を立てた話などを聞かせてくれたが、これも今となっては良い思い出となった。

番組の中で、八十代後半から九十代前半の方が、正に遺言のように重い口を開き、あまりにも過酷、あまりにも無惨な体験を語っておられた。

生きながらウジがわいているような戦友を助けることも出来ず、ただ前に進むのみ。

父は、こんな体験を胸の奥に仕舞ったままだったのだろうか。


そう言えば、こんなことがあった。

姪が小学校の時だったと思うが、たまたま我が家で軍服を着た父の写真を見た時、「えっ、おじいちゃんは戦争に行ったと?」と怖い顔になった。

そして、あろうことか姉がその写真を隠そうとするではないか。

聞けば、学校で戦争に参加したもの全てが犯罪者のように教えられているとか。

それを聞いてショックだったが、強い憤りも感じた。

尋常小学校しか出ておらず無学な父だったが、御国のために命を賭して戦ったことを誇りにしていたはず。

学歴など無いに等しい父などは、番組で証言されておられた方々同様に、最前線に行かされ戦ったのではないか。

それが、まさか加害者、犯罪者とは。

幸いと言うか、父はこの時既に他界していたので、娘や孫のこの様子を見ることはなかった。

その後、姪はバランス感覚を持って成長してくれたので、それだけは救いかもしれない。


被害者としての『平和の語部』はいらっしゃるが、最前線で戦った名も無き兵士の『語部』など殆ど聞いたことがない。

況してや、戦地で亡くなった方々の『声無き声』など聞こうともしない。

著名人の平和へのメッセージを聞いて感動するのもいいが、名も無き人たちの声をもっともっと聞くべきではなかったか。

しかし、よく考えてみると、新聞の字も半分も読めなかった父が、自らの体験を文章に、或いは人前で『語る』など出来るはずもなく、父ほど無学ではないにしろ、名も無き兵士たちに、それをやれと言うのも、余りにも酷なことかもしれない。

そういう意味では、この番組での証言は貴重だったと思う。


それにしても、当時の一部の軍指導者、指揮官たちの無能、そして非道ぶりには目を覆うばかりだ。

補給路を断たれ、最後は武器も食料もない状況で、ただただ前に進め、そして死ぬまで戦え。

『13人の小隊に6挺の小銃しかなく、それでも戦った』という証言には言葉もなかった。


番組の中では語られなかったが、そもそも作戦そのものが無謀極まりないもので、敗色濃厚と知るや多くの部下を見捨てて敵前逃亡し、あろうことか戦後も生き抜き余生を言い訳で全うした指揮官もいたようだ。

インパール作戦

そんな中にあって、こういう指揮官もおられたことは唯一の救いか?。



私が何故こんなことを書こうと思ったか、と問われれば、元菊兵団の証言番組を見たためと言うより、終戦の日に「靖国神社に行くか行かないかは言わない」という言語明瞭意味不明なことを言う首相がいたこと。

そして、その首相が任命した防衛大臣は、部下を見捨てて敵前逃亡し、戦後も生き抜き言い訳に終始した指揮官とダブって見えたこと。

携帯電話が繋がらなかったとか、大臣になって1ヶ月足らずで私は辞める宣言?、この人物に自衛隊20数万人の運命が託されていた、と考えるだけでゾッとするではないか。


本来私ごときが、こんなことを書く資格はないのだろうけど、ちょっと酷すぎる気がする。

まだ読んではいないが『幼児化する日本社会』というタイトルの本が出ているらしい。

幼児化?とは何を意味するのだろう?。

テレビでは、怖い顔をした占い師のおばさんやニタニタ笑っている霊能者が幅を利かせているが、もしそんな能力があるのなら、戦地で未だに彷徨っているであろう英霊を慰めていただきたいものだ。



戦場に散った名も無き兵士の皆様、安らかに御眠りください。



それではまた。






父は10数年前に亡くなったが、あの防衛大臣を見たら何と言っただろう?・・・クリックよろしく!。
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最終更新日  2007/08/25 09:39:41 PM
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