案山子の世界

2009/11/09(月)20:49

見果てぬ夢

つれづれ(239)

果てしなく 遠い銀河の 物語 秋の夜長、今日は取り留めの無い話など・・・・ 病院が混んでいて帰りが遅くなったので、夕食は久しぶりに「すきや」の牛丼並を食べた。食が細ったのか量が多いのか、半分程食べて満腹になってしまった。 さて、かの将棋の鬼才、升田幸三九段がようやく名人位を取ったとき「辿り来て未だ山麓」という名句を言ったが、頂まで辿りつかない見果てぬ夢を追いかけている人の何と多いことか。かの自分も40代まではそれらしきものも見え隠れしていた。だけど50代になる早々そいつはバクにばくっと食われてしまった・・・・。 ドン・キホーテがさっそうとロシナンテにまたがり、従者のサンチョ・バンサを従えて旅にでたように、自分もいつかはミーちゃんとチーチ君を従えて旅に出ようと思っている。中国大陸などを目指してみようかな。黄砂の砂塵にまみれてギターを弾きながら行脚する・・なんてね。 見果てぬ夢ってなんだろうか。今は何でも、人の心さえもお金で買える世の中。お金で買える夢ならば見立てぬ夢には値しない。う~ん、難しいね。しいていうならば、子供がまだUFOにさらわれ人格が変わる前、それはそれはかわいかったころに戻り、世間一般の普通の父親を演じてみたい。美しき家族愛などを育んで、アットホームな家庭を築く・・・はぁ~無理でござる。 適わなかった夢で言えば、10代のころは船乗りになりたかった。本気で弓削の商船学校に行こうと思ったけど、気がついたら地元の普通科に通っていた。20代は一流の調律師を夢見ていたが、所詮ピアニストの華やかさには適わないことを自覚した。30代、これはもうドン・キホーテの世界とマッチする時代。忽然と現れた釣り団体に飲まれ、気がつけばブラックバス釣りのプロを目指していた。大会に出たり、釣り雑誌に記事を掲載したり家族を省みずに悦に入っていた。40代は音楽業界の波に翻弄されたが、仕事が順調で独立の機会も多々あった。やらなかった事に悔いは残っているが、独立したら今より崩壊が早く訪れていたかもしれない。そして50代、いきなりバクがコンピュータのバグのように現れて、夢をばくばく食ってしまった・・・・で、現在。 さて、現在見果てぬ夢を追いかける夢をたまに見ている・・・嘘。

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