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カテゴリ:在日・国籍
[ルポ]「残りの人生もウトロで生きる」痛みと差別を乗りこえ…ウトロ平和祈念館開館
登録:2022-05-02 06:18 修正:2022-05-02 08:05ハンギョレ 「ウトロ平和祈念館」開館式 住民をはじめ在日コリアン・韓国と日本の市民ら約150人が参加 「痛みと差別を乗りこえ、新たな出会いの場所になってほしい」 「アリラン~アリラン~アラリヨ~」 30日午前10時、日本の京都府宇治市ウトロ51番地。在日コリアンの集団居住地のウトロ地区にアリランが響き渡った。前日の豪雨が通り過ぎ空がきれいに晴れたこの日、住民など在日コリアンや韓国・日本の市民、政府関係者ら約150人が参加するなか、「ウトロ平和祈念館」の開館式が行われた。祈念館の建設・運営費用は、韓国政府の支援と韓国と日本の市民らの募金で設けられた。 チマチョゴリをきれいに着飾り参加したウトロ住民の韓金鳳(ハン・クムボン)さん(83)は「嬉しくてありがたい」と言い「残りの人生もここでずっと生きていく」と語った。ハンさんは、小さい頃は母親とともに大阪に住んでいたが、ウトロに移り住み、ここで結婚もした。彼女がウトロのアーカイブに書いた文章には「学校に行けば『朝鮮人は嫌いだ』という言葉ばかり聞いた。冬の寒さと貧乏は耐えがたく、雨が降るとあちこちで浸水し、大騒ぎだった。ウトロの人たちはみんなそのようにして生きてきた」と記されている。 在日コリアン3世で祈念館の建設運動などに取り組んできた人権団体「コリアNGOセンター」の郭辰雄(クァク・ジヌン)代表も、喜びの気持ちを隠せなかった。郭代表は「韓国と日本の市民が力を合わせて乗り越えてきた歴史がウトロ」だと述べ、「私たちが未来を考え、共に生きていける経験を学ぶことができる場所」だと強調した。 地上3階、延床面積461平方メートルの規模の祈念館には、日本の植民地支配と戦争、在日コリアン差別、生活を守るためのウトロの闘争、韓国と日本の市民の連帯など、過ぎ去った80年間の激しい歴史が、そのまま込められている。なぜ朝鮮人がウトロで生きていくことになったのかについての歴史的事実から、ケンガリ(金属製打楽器)・チャング(小型の太鼓)・プク(太鼓)などウトロの住民たちが故郷を思って長い間演奏してきた楽器も展示されていた。3階の企画展示室には、ウトロ地区で苦労して生きてきた在日朝鮮人1世たちの写真と略歴、生前に残した言葉が白い布に書かれていた。1980年代中頃までウトロで住宅として使われた木造家屋の「飯場」(建設現場などに臨時に設けられた食堂)も、解体して祈念館横に移された。 ウトロは日本の植民地時代の1941年、日本政府が京都の軍事飛行場の建設のために朝鮮人を大挙動員して作られた集団居住地だ。終戦後に工事は中断され、賃金の未払い、日本からの財産持ち出し制限などの多くの事情で故国に帰ることができなかった朝鮮人たちが、貧困と差別のなかで互いを頼り生きていくことになった。 その後、土地の所有者が起こした訴訟で2000年に裁判所が住民たちに退去命令を下したことにより、住民たちは新たな試練に直面した。生活の基盤から追い出される懸念が強まったウトロの状況が知られ、韓国と日本の市民の募金に加え、韓国政府が支援に乗りだし、土地を買い取ってウトロを守ることができるようになった。2018年に日本政府が住居改善事業で作った市営アパート1号棟に40世帯が入居し、来春に作られる2号棟に12世帯が入る予定だ。20年ほど前には320人ほどだったウトロの住民数は、現在は100人ほどに減った。ほどんどは一人暮らしの高齢者だ。「ウトロの生き証人」の姜景南(カン・キョンナム)さん(95)が2020年に亡くなり、1世はすでに誰も残っていない。 ウトロ平和祈念館の田川明子館長は、「故金君子(キム・グンジャ)さんの『ウトロだったから生きてこられた』という言葉が思い浮かぶ。子どもたちを育てながら必死に生きてきたウトロの1世たちが、あの空の上で嬉しい気持ちで見守ってくれているだろう」と述べた。田川館長は「韓国と日本の若い人たちが祈念館に多く来られるよう、様々な企画展示も計画している」と述べ、「痛みと差別の象徴だったウトロが、平和を実現するための新たな出会いの場になることを期待する」と強調した。祈念館の後ろの壁には「ウトロに生きる ウトロで出会う」という大きな垂れ幕がはためいていた。 京都/キム・ソヨン特派員 韓国語原文入力:2022-05-02 02:30 訳M.S お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.05.02 13:40:49
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