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カテゴリ:資料
日本人の「いただきます」の意味、ある文化学者の説明に「驚いた」―華字メディア
Record China 2022年6月26日(日) 17時30分 2022年6月20日、華字メディア・日本華僑報網は、「日本語における『いただきます』はどれほど重要なのか」とする文章を掲載した。以下はその概要。 古代の日本人は神様にお供物をする際、儀式が終わるとお供物をみんなでシェアして食べることができた。その際、神様に供えた物を食べるという畏怖と謙卑の気持ちから「いただきます」という表現が用いられるようになったという。時代が下ると人びとはますます身分を重んじるようになっていった。そこで、年長者や上司など自らより身分や地位が高い人物から食べ物をもらう時には「相手から賜った恩恵を拝受する」という気持ちを込めて「いただきます」と言うようになった。 それが現代になると、食事を始める合図としての言葉に変化していった。もちろんそこには地位の高い人や年長者への感謝の意味が含まれているのだか、それだけでなく、自分においしい物を食べさせてくれるすべての人、物に対する感謝の気持ちも込められるようになった。具体的に言えば、料理を作ってくれた家族、あるいは店のコック、家政婦やレストランの給仕係、さらには漁師や畜産業者、農家に至るまでだ。 また、昭和の後期からは食べ物の大切さと生活上の礼儀を教育する目的で、「いただきます」という言葉に食材への感謝という意味も追加された。すなわち、肉にしろ魚にしろ野菜にしろ果物にしろ、すべて命ある存在であり、これらの命による犠牲のもとに人類の命が続いているから、無駄にしてはいけない、ということである。それ故、食事の前には謹んで感謝の心を示し、両手をあわせて「いただきます」と唱えてから食事を始めるのだ。 しかし、現代の社会の発展に伴って日本人の考え方も変化しており、食事前の「いただきます」という言葉をめぐってもさまざまな意見が見られるようになった。飲食店ではお金を払って料理を食べるのだから、コックや店員に対して「いただきます」を言う必要はない、と主張する人も出てきた。もちろん、この主張に異を唱える人はたくさんいる。 ネット上の議論で、日本のある文化学者が「ニンジンは自らの命を犠牲にして食べ物となってくれるし、卵もふ化するチャンスを放棄して食べさせてくれる」と論じているのを見たときは驚いた。そこまで考えていては、まともに食事ができなくなってしまわないだろうか。(翻訳・編集/川尻) ※「そこまで考えていては、まともに食事ができなくなってしまわないだろうか」 ・・・中国人朝鮮人は「そこまで」考える必要はない、なぜならこれまた前から言ってるが、中国や半島には神が存在しないからだ、日本人はオハナバタケのお人よしが多く、そのお人よしはなぜか中国人や韓国朝鮮人が顔が似ていることで中国人韓国朝鮮人が日本人と同じ慣習、世界観を持っているものと錯覚している、それはまさに「錯覚」である、中国人韓国朝鮮人には「神」の概念がない、昨今、韓国が国家として日本との条約、協定、合意を破って安倍ちゃんから「約束を守れ」と再三言われて、韓国はすっかり「約束ノイローゼ」になったと言ったが、くどく言いたくないが「約束」も「神」が関係しているのだ、個人2名が何か約束したとして、それを見ているのが「神」だ、この世にその2名しか見えなくてもその二名の間には「神」がいて、その約束の履行を見ている、韓国人に約束の概念がないのは神の概念がないので、約束を破ってもなんでもないのだが、日本人には神の概念があって、約束は神との約束でもあるので破ることができない、約束とはそういうものだ、また、レコードチャイナあたりに中国人の日本人に対する観察のような記事があったが、そこで中国人は「日本人は誰も見てないのに一人で仕事をするときも決められたとおりに仕事をする」というのがあった、しかしこれもたしかに人間は「誰もみていない」が、神は見ているのである、冗談でなく日本人はそういう返答をするはずだ、中国人の約束の概念はどうなのか、儒教の精神ではどうなのか?、中国は共産主義として「正式に」神の概念を否定している、 ・・・この「神不在の国、中国、韓国」というのは非常に「暗示的」ではなかろうか?、これまた何度も書いてるが韓国を見ていると中国と「相似」であり、中国や韓国をそれぞれ見ていると奇妙にも「既視感」があるのもそのように両国は親分子分として似たもの国家なのだ、オハナバタケの日本人が両国の人間と接触してとまどう部分というのはそういうところだ、顔が似ているから世界観まで共通と勘違いする、中国韓国が日本を非難し、反日に熱狂するのもそこにある、つまり中国も韓国も「神が不在の国」であり、日本人とは似ても似つかない民族なのである、牽強付会ではあるが、昨今民族のルーツをDNAによって分析する研究があるが、日本人と中国人韓国人とはこれだけ地理的に接近しているというのにDNAではほとんどつながりがないというが、DNAを見るまでも無く「神の不在」によっても「疎遠」は証明される、 髪形を変えるとはどんな体験?日本のネギの禰宜さんに中国ネット「真剣すぎて草」 Record China 2022年6月25日(土) 22時0分 中国版ツイッターの微博(ウェイボー)で最近、「髪形を変えるとはどんな体験なのか」とするハッシュタグが注目されている。 このハッシュタグを付けて、「日本のネギの禰宜(ねぎ)さん」を紹介する投稿もある。 ミントグリーンの袴をはき、頭に巨大なネギのかぶりものをしたネギの禰宜さんが茅の輪くぐりをする神奈川県海老名市の有鹿神社の動画に、「なにこれ」「日本の文化」「笑った」「妄想爆発」「真剣すぎる」などの声が上がった。(翻訳・編集/柳川) ※・・・画像を見るとたしかに滑稽な感じがあるのは確かだが、「神が不在の国」の中国人も笑っているようだが、日本人が面白がるのとは違う、ただ単純に「純粋に」面白がっているだけであるようだ、その神事のもつ意味に無関心であるよで中国人にはただ無意味なわけなのである、ここでも「神が不在」は証明されている、 ・・・まだあるけどまたね、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.06.27 01:54:41
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