中央日報・「慰安婦謝罪」談話発表した河野元衆院議長、「当時の首相、募集の強制性認識」
「慰安婦謝罪」談話発表した河野元衆院議長、「当時の首相、募集の強制性認識」 中央日報/中央日報日本語版2023.12.28 06:47 日帝強占期の慰安婦問題と関連し、旧日本軍当局の直接的・間接的な関与を認め、これに対するおわびと反省を盛り込んだ「河野談話」を1993年に発表した河野洋平元衆議院議長が当時の宮沢喜一首相も慰安婦募集に強制性があったことを認識していたと明らかにした。27日に衆議院ホームページに公開された歴代衆議院議長口述記録でだ。河野元議長は記録作成に向け2019年10月から2022年6月まで合計31回にわたり実施されたインタビューで、「日本政府の人が韓国に行って、慰安婦だった人たちに聞き取り調査をして、これを一部の人たちは、でたらめだとかうそ八百だとか言っているけど、発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢総理も思われて、そういう意味で強制があったということで結構ですとなった」と話した。慰安婦強制連行を立証できる資料に対しては「具体的に連れてこいとか引っ張ってこいという軍の資料は残っていないけど、軍がそんな公式文書を残すわけがないよね。当時の内務省の事務官だった奥野誠亮さんが、終戦の日に軍の資料をいっぱい燃やして処分したとインタビューでも言っているとおりですよ」と紹介した。河野元議長は談話が閣議決定をしておらず内閣全体の立場ではないという一部の主張に対し「官房長官が公式の記者会見で公式に発言していたら、それは内閣の意思として官房長官が言っているということになるでしょう」と反論したりもした。その上で、1995年8月15日に当時の村山富市首相が発表した談話とは違い、閣議決定はしなかったが、河野談話があったから村山内閣が慎重を期して閣議に諮ったと説明した。村山談話は日本が植民支配を通じてアジアの人々に大きな損害と苦痛を及ぼし、これに対し反省とおわびを表明するという内容が盛り込まれた。これと関連して彼は「河野談話というのは、韓国に向けてだけ出されたものではなくて、太平洋戦争当時に日本軍が関わった、フィリピン、台湾、インドネシアとかにも慰安婦はいたわけで、その人たちに対して、あるいはその国々に対して向けた談話なんです」と話した。最近日本社会の右傾化とともに河野談話の意味を否定する声も出ているが、歴代日本政府は河野談話継承の原則を持続して明らかにしてきた。談話から30年を迎える今年8月に松野博一官房長官(当時)も「慰安婦問題に関する政府の基本方針は1993年8月4日の内閣官房長官談話を継承するということ。岸田内閣でも変更はない」と明らかにした。※「日本政府の人が韓国に行って、慰安婦だった人たちに聞き取り調査をして、これを一部の人たちは、でたらめだとかうそ八百だとか言っているけど、発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢総理も思われて、そういう意味で強制があったということで結構ですとなった」・・・「心証として明らかに強制」、「宮沢総理も思われて」って、つまり「心証」と「政治的妥協」の産物ってわけね、わかりました(笑)、「具体的に連れてこいとか引っ張ってこいという軍の資料は残っていないけど、軍がそんな公式文書を残すわけがないよね。当時の内務省の事務官だった奥野誠亮さんが、終戦の日に軍の資料をいっぱい燃やして処分したとインタビューでも言っているとおりですよ」・・・???「軍がそんな公式文書を残すわけがないよね」、証拠が無いのは証拠を消したから?、それなら誰でも犯人にできる(笑)、「官房長官が公式の記者会見で公式に発言していたら、それは内閣の意思として官房長官が言っているということになるでしょう」「河野談話というのは、韓国に向けてだけ出されたものではなくて、太平洋戦争当時に日本軍が関わった、フィリピン、台湾、インドネシアとかにも慰安婦はいたわけで、その人たちに対して、あるいはその国々に対して向けた談話なんです」・・・やっぱり事実かどうかでなく、「自称慰安婦の本人談」で、「心証」と「政治的妥協」として、さらに「軍がそんな公式文書を残すわけがないよね」と、始めから「証拠」を求めないというトンデモ、それでやったわけね、つまり意図的に犯罪を作り出す欺瞞と偽装、それが慰安婦問題、このコーノSr、何か自信たっぷりに言ってるようだが、結局、「心証」「証拠は無い」「政治的妥協」と白状、これってお笑い?(笑)、河野洋平氏が口述記録、慰安婦問題「強制あった」…宮沢首相も了解Posted December. 28, 2023 08:28, Updated December. 28, 2023 08:28東亜日報「(慰安婦が)強制的にさせられてというふうに宮沢首相(当時)も思われた」日本政府レベルで初めて慰安婦問題に対する謝罪と反省を盛り込んだ「河野談話」を発表した河野洋平元衆議院議長(86)は27日、衆議院のホームページに公開された口述記録でこのように明らかにした。河野氏はこの口述記録で、「もう四十年以上たって記憶が曖昧な部分はあっても、発言の内容は心証として明らかに強制的にさせられてというふうに宮沢首相も思われて、そういう意味で強制があったということで結構ですとなった」と明らかにした。河野氏は官房長官だった1993年8月の談話で、慰安婦の募集について、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」とし、「癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と発表した。河野氏は口述記録を通じて、談話当時、首相の了承を得たことを明らかにした。そして、「内閣の意思として官房長官が言っている」とし、「あれは知らないなんて内閣が言ったら逆に大変なことになる」と語った。当時の謝罪が官房長官の談話にすぎないという一部の主張を真っ向から反論したのだ。河野氏は慰安婦募集に強制性がなかったという一部の主張についても、「具体的に連れてこいとか、引っ張ってこいという軍の資料は残っていないけど、軍がそんな公式文書を残すわけがない」とし、当時の内務省が「終戦の日に軍の資料をいっぱい燃やして処分したとインタビューでも言っているとおり」と明らかにした。日本の国会は歴代議長および副議長の口述を歴史記録として残す価値があると判断し、口述記録編纂事業を推進している。河野氏はこの事業の最初の対象者だ。外相を務めた河野氏は、金大中(キム・デジュン)元大統領との逸話も紹介した。河野氏は、「将来韓国をしょって立つすばらしい政治家」と金大中氏を紹介されたという。光州(クァンジュ)事件の後、死刑判決を受けたものの恩赦で自由の身になり、大統領選挙で当選し、「びっくりしました」と話した。そして、「その頃僕は無役だったのに、金大中さんは個人的な手紙をよこして、就任式に参加してもらいたい」と言ってきたという。特別席を用意され、二人で食事をし、「こうやって君と食事できるのが一番嬉しいと言って、とてもいい関係でした」と振り返った。東京=イ・サンフン特派員