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カテゴリ:つぶやき
小鬼一号を造形教室へ送って帰宅すると 郵便受けに、一枚の葉書が届いていました。 差出人は、私が中学時代に熱中した 軟式庭球部の顧問・I先生。 とても厳しく、とにかく厳しく。 その任期中に 女テニを数回、全国大会に導いて下さいました 一年生の時はかなりなさぼり魔だった 私SA☆SSEは 当然ながら実力がつかず・・・ 二年生のある時、 急にテニスの楽しさに目覚め 「強くなりたいっ!上手くなりたいっ!」と 必死にボールを追いかけ 暗くなってからのトレーニングでは ”とにかく一番になる!”を目標に 精一杯の力を出し 自主トレも余念なく頑張りました。 が、元来運動音痴なので・・・ 引退するまでの間 どうにもこうにも レギュラーの座に着く事は 叶いませんでした。 あ。 他校を招いての練習試合(団体戦)で 一度だけレギュラー扱いして頂いた ・・・のが唯一です^^; それでも引退試合の時には 本部のお仕事も兼務されていた この顧問・I先生は お仕事の場を離れ 私のそのゲームを フェンス越しに見守ってくださり。 大きな声を掛けてくださり 本当に、心強い支えを続けて下さいました その時のゲームの相手は 優勝候補の一つと目されていたペア。 同年代ながらうんと格上のペアを相手に 2-2のファイナルまで持ち越すと言う 粘りを見せましたが 最後のゲームのあるポイントを境に 私の気力(精神力)の糸がポツリと途切れ 先生もそれを見切ったかのように お仕事の場に戻られたのを ゲーム中ながら、そして かれこれ約20年近く経った今でも 実に鮮明に覚えています。 その引退試合の様子を 「3年生最後の思い出」そして 「後輩達に伝えたい想い」として 顧問・I先生から 3年生全部員に課された作文(宿題)に たっぷりと記しました。 私達が引退後、ある雨の日 コートも使えず 室内練習も行えなかった部活の日に I先生が当時の後輩達の前で その私の作文を 全文、じっくりと読み聞かせてくださったそうです。 テニスの練習は勿論のこと、 中学生として守るべき風紀や 言葉遣い、学習態度に成績・・・ 全てにおいて本当に厳しかった先生ですが、 その厳しいまなざしの向こうに とても温かい物をずっと感じていました。 だから、とても大好きな先生でした。 結婚式にはもちろんご足労願って(?) 阪神大震災のまさに直後、 そのお立場から本当にお忙しい時期でしたでしょうに わずかに遅ればせながらも 出席してくださり 温かい祝辞も頂きました そんな顧問・I先生とは 今は年に一度、年賀状でのご挨拶が 唯一の繋がりとなっていました。 この時期にご本人からのお便り。 どうして?と思いましたら。 そこには 「この度、三月三十一日付をもちまして、 ○○市立○○中学校を最後に退職いたしました。 <中略> 尚、四月より○○学院中学校・高等学校に勤務しております・・・ <後略>」 と言う内容。 え・・・? これって、定年退職をされた、と言う事・・・?? も、もうそんなお歳になるの??? 何だか一瞬にして 遠い過去・青春の一ページから ぐ~~~んと現実に戻されたようなこの感覚。 一時期、教職の一線から離れ ”きっとお戻りになる時には校長先生ね”と 思っていた通り いつの頃か、校長先生となっていらっしゃいました。 残念ながら、 私がお世話になっていた中学校には お戻りにならなかったようですが。 I先生のまなざしはきっと 当時のあの厳しさは表に出ず 穏やかな 温かいまなざしに なっていらっしゃるのかなぁ。。。 と。 とってもお会いしたくなった夕暮れでした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.24 21:21:58
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