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曹操閣下の食卓

☆リンケージ戦略

☆リンケージ戦略


 このように考えていくと、われわれは戦略オプションを考えるときに、失敗の原因となるマイナス要因に絶えず注意をはらうばかりでは「勝算」は成り立たないであろう。
 われわれは情報を把握し、特殊な状況にあってはマイナス要因が逆にブラスになったり、プラス要因をより強化するような政策を心がけなければならない。

 これを具体的に明らかにしたのが、キッシンジャーのリンケージ戦略法である。
 これはトービン経済学の「リスク分散」と「ポートフォリオ管理」を同じ問題意識を、トービン以前に政治の戦略理論に展開していたもので、キッシンジャーの独創性と天才的な発想を証明するものであろう。
 一石二鳥や三鳥を狙って戦略オプションを考えれば、マイナス要因をすべて差し引いても、プラス要因だけが大きく生きのこるような方策が立てられる。
 ただし、これは一種の「コツ」であって、全てに万能のメソッドではない。
 頭の中だけで架空の一石二鳥を狙いすぎて、逆に偶然かつ絶好のタイミングをはずして空振りしたりする場合はどうするのか。
 また一石二鳥が得られるということで、実際には十個以上も石を投げて、すべて空振りに終わっている場合などが成功といえるのか。
 私が「失敗の原因・失敗の法則」から、このテーマを説き起こしたのは、こうした理由からである。
 ペーパーの上で立派な戦略を立てても無意味であり、実現の可能性から、手を打てる戦略オプションを想定しなければならない。

 キッシンジャーも、学術のメソッドとしてリンケージ戦略法を語っているわけではない。
 ベトナム戦争で、ジョンソン政権がホーチミン・ルートの攻撃に失敗した経験から、ニクソンとキッシンジャーは、その供給を根元から断ち切るために、北ベトナムを軍事物資や兵器技術面で支援していたソ連を、外交交渉のテーブルに引っ張り出そうとしていた。
 そこでキッシンジャーが考え出したのが大陸間弾道ミサイル制限条約(SALT)の米ソ交渉であり、その大詰めの局面でニクソンはアメリカ海軍に指令して、北ベトナムのハイフォン港を機雷封鎖した。これでソ連は北ベトナムに軍事物資を海路から輸送できなくなった。
 唯一の陸路は、北ベトナムと対立し、アメリカと国交を回復した中国がおさえていた。
 これで一つのリンケージ戦略が成功したが、ハイフォン港の機雷封鎖作戦そのものは、海軍長官のムラー提督が沖縄駐在の東アジア方面艦隊司令長官だったころから十二年間も主張し続けて、海軍長官に就任してからは極秘に具体的な準備を完了していた。
 これは一つのめぐり合わせであった。

 ジョンソン政権がムラー提督の機雷封鎖作戦を起用できなかったのは、ソ連を刺激してベトナム戦争が米ソ直接対立に発展し、やがて核戦争にまでエスカレートすることを恐れていたからであった。
 ジョンソン大統領は、自分の故郷のテキサス出身のパイロットが誤ってソ連の艦船を爆撃することを恐れて、ハイフォン港の攻撃に難色を示したという。
 それでホーチミン・ルートを断絶するために、あてもなく爆撃を重ねて、アメリカの若い兵士たちをジャングルの中で戦わせることになった。
 つまり、マクナマラ・ウィラードのジャングル・ブック戦略は、
 「問題の本質から逃げること」から始まっているのである。
 映画《ランボー》で語られたジャングル戦の犠牲者たちは、まさにアメリカの指導者たちの「逃げ」のために犠牲になったといっても過言ではない。

 マクナマラ国防長官は、彼自身では外交手段を持たず、ソ連をつついて米ソ戦争になることを極端に恐れていた。
 国務長官のラスクは、官僚軍人の出身であったから、もともと米ソ直接交渉などの腹案もなかった。
 だから無視したのである。
 これに対して、キッシンジャーは自分の外交戦略の下に、必要な軍事戦略を選択していた。
 また、キッシンジャーには学者として自信があった。
 「ソ連は究極のところ、アメリカに直接対抗する攻撃能力はなく、全人類を危機にさらす勇気はない」と。
 ソ連とベトナムの関係に限定的な掣肘を加えても、それが
 「米ソ間の直接の条約交渉の期間におこなわれたら、ソ連はアメリカに宣戦布告しないし、ヨーロッパに戦争の危機や緊張を高めることもしないだろう。むしろ世界平和を訴え、アメリカを口先だけ非難して時間稼ぎをするだろう」。
 ニクソンはムラー提督の報告書を読み、彼をホワイトハウスに呼び出して、「本当にハイフォン港を封鎖できるのか」と確認した。
 もしムラー提督がジョンソン政権の下で無視されるどころか弾圧され、ハイフォン封鎖作戦とともに人事的に葬り去られていたら、このリンケージは成立しなかったであろう。

 キッシンジャーの戦略リンケージには、思わぬ追い風もあった。
 ソ連でも北ベトナムの供給要請に応じながらも、法外な財政的な損失を心配するテクノクラートが少なくなかった。
 アメリカはその情報をつかんでいたので、ハイフォン港を機雷封鎖してもソ連はアメリカに反撃せず、むしろそのことを理由にして北ベトナムへの物資供与を制限するのではないかというシミュレーションの読みがあった。
 ニクソンとキッシンジャーはハイフォン港封鎖の十日後にモスクワを訪問し、ブレジネフ書記長と会談したが、ソ連側は言葉こそ強硬にアメリカを非難したものの何も対抗策をとらず、逆にSALT交渉を締結してミサイル軍縮を進める方向に動き、アメリカが予測したように北ベトナムには物資輸送の縮小を通告した。
 「やり過ぎるな。われわれの付き合いも限度がある」というわけだ。
 ソ連がSALT交渉に対応して、ニクソンをモスクワに招いたのは、ハイフォン港が機雷封鎖された後のことである。

 ハイフォン封鎖も、概念的に考えると《糧道を断つ》ということである。
 これは《孫子兵法》にも明記された定石である。
 キッシンジャーは、
 「ベトナム戦争を終わらせるには、北ベトナムの戦力を奪うしかない。それには北ベトナムを外交的に孤立させ、中国とソ連との関係を阻止せねばならない。つまりアメリカ大統領は毛択東・ブレジネフとも握手しなければならない」と正面から本質問題をとらえていた。
 《外交戦略によって、敵を孤立化させる》という定石も、もちろん《孫子兵法》にある。
 またSALT交渉はアメリカとの軍拡競争とベトナム戦争支援で財政が逼迫し、ソ連がノドから出るほど欲しかった外交テーゼであった。
 《諸侯を利害によって動かす》という定石も《孫子兵法》の一手である。
 ただし《孫子兵法》と違うのは「順序」である。
 《孫子兵法》の通りに、諸侯を利害によって動かし、外交戦略によって孤立化してから糧道を断絶すれば、戦争は長期化せず限定的になっていたはずである。
 キッシンジャーの戦略は、事前におこなうべきことを、後になって取り返すために《逆手》にならざるをえなかった。
 それは戦争からの撤退と平和の実現のためにやむをえなかったのである。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が長期化したのも、セルビア(新ユーゴ連邦)のミロシェビッチ政権がセルビア系武装勢力に武器と弾薬を絶えず供給していたからであった。
 セルビアが戦争の悲惨と戦火の恐怖を味わい、ミロシェビッチが権力の座を降り、ようやくバルカン紛争は終息した。

 つまり、戦略リンケージには、人事的なめぐり合わせ、状況的なめぐりあわせ、交渉のタイミングなど、さまざまな偶然の要素が介在している。
 いってみれば、自分の腰にある刀が一本ならば一刀流を使い、二本あれば二刀流を使い、自分の刀がなくなれば相手が持っている刀を取り上げて切りつけるような、持てる力を少しもムダにせず、持てる知恵を十分に働かせて、ありったけ使う柔軟性によって、はじめて戦略リンケージは達成されるのである。
 ライバルに勝つために必要な条件よりも十分な条件を優先させると、使える戦術はほとんどめぐり合わせの産物である。
 しかし、おとといに作ったラーメンと、昨日炊いた冷や飯で、とりあえず今日の昼飯を済ませようという話では、聞いただけでも口の中がまずくなるように、まともな戦略リンケージとはいい難い。

 《逸周書・武紀篇》は、この戦略リンケージについて「三守・六時・五動・四順」という項目をあげている部分があるので紹介しよう。
 《三守》とは、「三つの防衛手段」ということである。
 「国家には三つの防衛手段がある。
 自国の弱さを認め、強い国に譲歩し、思いやりや贈り物をすることで、強い国の勢力圏の傘の下に服属する。
 これが弱い国の防衛の方法である。
 相当の軍備を整え、いざ戦争となったら、いつでも戦えるような体制をとる。
 これが普通の国の防衛方法である。
 自然の地形の険難さを利用して防衛施設を建設し、スイスのように小さくても独立の気概を示すのが、山間僻地の国の防衛方法である。
 過失もない弱い国を大義名分もなく攻撃すると、他の国々に非難されて評判を落とす。
 きちんと防衛力が整備された国を攻撃するのは、相当の危険性がともなう。
 また地形が不利な国を攻めると、兵力も資金もかかり、多くの困難がともなう。
 したがって、まともな戦略を立てれば、このような国はおいそれと攻撃できないことがわかるだろう」
 (国有三守、卑辞重幣以服之、弱国之守也、修備以待戦、敵国之守也、循山川之険而固之、僻国之守也、伐服不祥、伐戦危、伐険難、故善伐者不伐三守)」

 そこで敵国を討伐するには、「六時・五動・四順」という戦略リンケージをとらなければならない。
 すなわち「六時」とは、次の謀略船の六項目である。

(1) スパイを投入する(間其疏)。「疏」は組織内のコミュニケーションのこと。
(2) 国民不信を利用して攻撃する(摶其疑)。ドサクサで内政干渉のチャンスをつかむ。
(3) 危機を増幅させる(推其危)。ライバルが経済危機の場合、足を引っ張って叩き落す。
(4) 不当に虐待されている人々を支援する(扶其弱)。内部分裂や内部告発を誘発する。
(5) アキレス腱になっている弱点を責める(乗其衰)。指導者のスキャンダルを暴露させる。
(6) 守りきれない条件を押しつけ、少しでも約束を破れば懲罰する(暴其約)。

 「五動」とは、普通の道理が通用しない国家であり、外交的な手段がとりえない。
 地理的に関係がなければ放置してもいいが、利害が関わると、いずれは放置しておけなくなる。
 経済制裁などの平和的な戦術手段を通じて、道理や道義に反する「ならず者国家」であり、他国の存立を侵害していることを自省させなければならない。

(1) いくら支援や援助をしても、エゴをむき出して傲慢不遜な態度をとる国(扶之而不譲)
(2) いわゆる「引きこもり状態」で、いくら誘い水をかけてもシラケている国(振之而不動)
(3) 受益負担や自己責任などを求めても、逆に反発して取り合わない国(数之而不服)
(4) 国民が悲惨な状態でも全く体制が変わらず、同じ権力者が君臨する国(暴之而不革)
(5) 全世界と敵対しても、無茶苦茶を承知で人道や人倫を破壊する国(威之而不恐)

 そこで「四順」は次の利(利得の大きさ)・害(害悪の大きさ)・能(可能性)・易(成功率)を比較する。
 このような体系的なシミュレーションの考え方が金文時代(紀元前二千年以上前)から実在したことに感嘆せざるを得ない。

(1) このまま無道な国を放置することの害悪の大きさ(立之害)
(2) 暴虐な国家の体制を破壊することの利得の大きさ(毀之利)
(3) 敵国が反発し、武力紛争に発展した場合の勝算の可能性(克之易)
(4) 敵国を完全に屈服させた後で、領土併合した場合の成功率(併之能)

 日本海軍では対米戦争準備の段階で航空戦術の重要性を主張する一派と大鑑巨砲主義の派閥が対立し、年功序列組織で少数劣勢な航空戦術派の幹部は不本意にも予備役編入を余儀なくされた。
 パールハーバー作戦機動部隊指揮官の南雲忠一第一航空戦隊司令官(中将)は、日露戦争で威力を発揮した水雷戦術の専門家であって、航空戦術展開よりも敵潜水艦の魚雷攻撃に無防備であることを心配し、
 「立場上いやいやながら引き受けた」、この作戦指揮から無傷で無事帰還することを願っていた。
 これに対して、自分も艦載機に乗って航空戦術の意味を知悉していた第二航空戦隊司令官の山口多聞少将は年功序列で退けられ、南雲中将の下位に甘んじていた。
 このことが多くの戦史研究者が一致してパールハーバー第二次・第三次攻撃の中止や、ミッドウェイ作戦の挫折など、南雲中将の誤断を阻止できなかった「失敗の理由」に挙げる人事問題である。
 年功序列制度でも、よい指導者を得れば事業は成功するが、それは偶然の確率に依存している。

 自民党の閣僚が「荷物おろし」と言われるような、「大臣」という肩書きだけを当選回数の年功序列で配分するような暗黙の制度を持ち、その人物が政策や管掌分野において無能か有能かを問わないシステムであったことはよく知られている。
 何度も実例としてあげた阪神大震災では、まさに地震災害を担当する国土庁長官の人事が「荷物おろし」どころではなく、不良在庫処分を意味する「棚おろし」と公然とささやかれていたのである。
 御本人にとっては、そんなに無理をして「大臣」にさえならなければ、みじめな醜態をさらして世間から「無能大臣」の誹りを受けることはなかったであろうし、末代までの恥辱を国史に残すことはなかった。
 結局、自民党首脳は国土庁長官から実質的な権限を取り上げ、せっかく「棚おろし」をした閣僚人事を、皮肉にも再び「棚上げ」して、実力派の小里貞利・震災担当大臣を新たに任命することで急場をしのいだのである。
 首の皮一枚を残して名目だけの肩書きを守り、自分の無能を認めて実質権限を明け渡した国土庁長官は自分自身の存在自体が邪魔くさいものであり、震災被害を受けた人々にとって最大の障害物であることを本当に自覚していたのであろうか。

 これに対して、「この人」という戦略構想とスタッフを持った指導者が事業を動かす場合は、これと全く違うことがわかるであろう。
 アメリカの実力主義的な閣僚人事は、このような意味で日本よりも勝っているし、日米交渉でも格負けしてしまうのである。



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