☆パターンと超越
☆パターンと超越
『序・破・急の哲学』は理解できたという前提で、講義をすすめよう。
こうした《パターンの超越》という原理原則をシッカリとふまえた上で、いくつかの《作戦パターン》を具体的に解説する。
★O作戦
この「O」は作戦の上で「完全包囲」を意味する。孫子兵法では「兵力差が六倍以上であれば、包囲作戦が可能」とある。マーケティングでも「囲い込み作戦」という方法があり、ライバル店のすべての商品を、ライバル店より低価格で乱売し、その店から常連客を完全に引き剥がして、奪い取るという残酷な殲滅戦法である。
★C作戦
「完全包囲」は持久戦になると、攻める側にも負担が大きい。そこで孫子兵法では、「包囲作戦では、必ず手薄な部分をつくれ」という原則を指摘している。「窮鼠、猫を噛む」の譬えを引くまでもなく、あまりにも敵を追いつめすぎると、どのようなリアクションをするかわからない。敵も団結すれば、意外な損害を出す場合もある。「C」のように「手薄な部分」がライバルにも見えれば、逃げ道を示すことになり、緊張の弛緩によって対抗勢力を半減させることができる。
★G作戦
「G」はO・C作戦のバリエーションで、敵の「逃げ道」にあたる部分にゲリラの伏兵を配置する。孫子兵法より古い《易経》という古典にも「王者の狩猟は三方向から攻めかかり、獲物を一方向に逃がす」という記述がある。その「逃げ道」には、落とし穴や網が待ち構えているということだ。漁業で使われる古典的な「囲い網漁法」なども、これと同じ方法である。ライバルに活路を見せかけて、一点突破を狙って勝負に出てきたら、それを「落とし穴」で殲滅する。
この三つの作戦段階(オペレーション・フェイズ)を使い分ける場合、例えば次の連続パターンの組み合わせが考えられる。
C・・・G・・・O(殲滅戦術)
典型的な殲滅作戦である。孫子兵法の指摘通りに、わざと包囲を手薄に見せかけ、敵を油断させて「逃げ道」をつくる。敵が包囲を突破して、外に出てきたところに、側面から伏兵を出して驚かせ、そこで「完全包囲」に持ち込む。
ジュリアス・シーザーがガリア戦役でケーナブム(現在のオルレアン)城砦を攻略した時も、この作戦が用いられた。ローマ軍は全軍団が到着していたが、シーザーはわざと少数の先遣部隊が来ただけのように見せかけた。すると、深夜になって城内から城門をあけて逃亡しようとする人々があらわれた。そこで闇に隠れていたローマ軍が総員突撃し、たちまち落城させた。
諸葛孔明が「泣いて馬稷を斬る」といわれた史実でも、馬稷が丘陵の上に陣地を置いたのに対して、魏の宿将・張範はわざと包囲を手薄に見せかけ、「汲道(水源からの補給路)」に伏兵を配置して、蜀軍が油断して出てきたところを徹底的に撃破した。砂漠のような黄土高原で飲用水を断たれた馬稷は大敗して退却した。
マーケティングでも、わざと品揃えに手薄な部分をつくっておいて、ライバルが全力をあげて、この「見せかけの弱点」を狙って攻勢に出てきたら、間髪いれずにアウトレットのディスカウント商品を投入して、相手の攻勢を「囲い込み」で徹底的に撃破する。
サッカーでも得点力のある有名選手が「ケガをした」というニセ情報を流して、前半は休ませ、
後半になって突然、選手交代で投入して、敵のチームを驚かせ、一気に撃破する方法がある。
O・・・C・・・G(掃討戦術)
最初は完全包囲する。しかし、途中になって退却するふりをして、わざと手薄なところをつくる。すると敵は堪え切れなくなって包囲を突破して出てくる。そこを待ち構えて掃討する。
C・G・O戦術のバリエーションだが、結果としては消耗の大きい「殲滅」という戦術はとらない。
そこで「敵に大きな損害を与えながら、わざと逃がす」という戦術で、味方の損害のリスクも軽減する。マーケティング戦術では、ライバルに対して通常の品揃えに手薄な部分は、在庫リスクを抱えないように、タイム・サービスや記念セールなどで「売り切り商品」として単発的に投入する。ライバルを急激に追いつめないまでも、敵を弱めて、ゆっくりと勢力を拡大する方法である。
今、化粧品店という業種は、都心ではほとんど消滅してしまった。理由はマツモトキヨシなど、薬品店のチェーンストアが市販の化粧品をディスカウント販売するようになったからである。そればかりか百円ショップも化粧品類を販売しているので小学生の女の子が好奇心で買っている。
その一方でパソコン・ショップのような時代の流れを象徴する先進技術商品を売る専門店も、秋葉原以外ではもはや見かけることがない。東京の都心ではヨドバシカメラ・ビックカメラ・カメラのさくらや・カメラのドイ・キシフォートといったカメラ系量販店があり、環八から外はヤマダ電機・コジマ電機・ジョウシン電機といった家電系量販店が群雄割拠して、ここに巨大なパソコン売場を持っている。特にコジマ電機は低価格パソコンを売り物に電機店のイメージを打ち破り、量販店の激戦地である北関東地域で「パソコンを買うならコジマ」というイメージを作り上げた。
G・・・C・・・O(局地戦術)
それでは秋葉原にはどうしてパソコン専門店が成り立つのか。それは秋葉原に集まる消費者が全国平均とは全く違う、「パソコン・オタク」といわれる人々の割合が高く、巨大な量販店では彼らのニーズに応じきることができないからである。そこには無名の「○○無線」という店が特殊な部品を集めて製作したパソコンの場合、1ギガのCPU、128メガのメモリー、150ギガのハード・ディスクをつけ、オペレーション・ソフトはLINUX、価格15万円以下という大容量ブロードバンド・インターネット用の高性能パソコンなどが並んでいる。普通のメーカーならば、おそらく30万円はするだろうから、まさに半額である。
しかし、これらはパソコン初心者には何の意味もない機能であるかも知れない。むしろ、詳しい解説書とか、操作ビデオがついている方が安心だとなれば、量販店でNECやソニーの商品で、500メガのCPU、64メガのメモリーで22万円以上のパソコンでもいいかも知れない。秋葉原にはそうした量販店もあり、ノーブランドで高性能の低価格パソコンを販売する専門店もある。
特に秋葉原でしか小売で手に入れることができない部品も多い。ヨドバシカメラやビックカメラにも、パソコンをグレード・アップするための部品コーナーやマザーボード売場があり、秋葉原系の消費者を取り込もうとしている。こうした範囲が小さく限定された戦いを「局地戦」という。
全体からみると一つの小さな部分「局地」で戦闘を集中することによって、場合によると量販店の方がコスト上の損害が多く、秋葉原の無名の専門店に勝機があるかも知れない。いわば弱者の戦術である。ソフマップはゲーム・ソフトのリサイクル販売から、パソコンのリサイクル販売に発展して、これを基盤に家電分野に逆進出した。「専門」という硬直した意識がないので、儲かる品揃えの方向に自己の組織を変革して、拡大のチャンスをすべて受け止めることができたのである。これはカメラ系の量販店が家電販売に進出した経緯とも重なっている。
圧倒的に強大なライバルでも、秋葉原のように特殊な市場取引が成立する「局地」では、比較的弱小な存在でも大逆転の可能性はありうる。全体的な物量では、圧倒的に優勢なアメリカ軍も「局地」のケ・サンでは、孤立した一個師団が北ベトナム軍の三個師団に包囲されてしまったのは、まさに局地戦術そのものの展開であった。
★T作戦(側面攻撃)
「T」の形は「T字路」のように、側面から突き当たる攻撃方法である。すでに説明した包囲戦術のバリエーションでは、「C+T=G」というイメージで解説済みである。敵の側面を攻撃する前提は、完全な奇襲攻撃を意味している。
したがって、この「T作戦」では、攻撃側は敵軍の一部だけに狙いを集中して攻撃を加えることができる。
源義経はこの戦法で鵯越から現在の神戸市街に討ち入り、奇襲戦法を成功させた。
織田信長も桶狭間の戦いで、雨の中の昼食で休憩中だった今川義元の本陣を衝いた。
パールハーバー奇襲攻撃も、択捉島の単冠湾を艦隊集結地点として、ハワイ島に北方向から接近し、航空戦隊もオアフ島の北側から南側のパールハーバーに抜けるという方法で、基地を正面からではなく背後から襲撃するコースをとった。
これも作戦レベルとしては成功したが、戦術としては第二次攻撃が継続できなかったし、何度も繰り返すように、戦略としては「やらないほうがましだった」という最終結論になっている。
優秀な作戦も、使い方を誤ると、結局は成功がより大きな失敗の原因となるのである。
また、このT作戦には一点突破のV戦法と二点突破のW戦法がある。
★V戦法
V戦法は文字通りの一点突破であるが、第一に織田信長のように、司令部を襲撃する場合に用いられる。
艦船でいえば、艦橋の操舵室・司令室を集中攻撃することである。
会社組織では、社長室や役員室でトラブルやスキャンダルが発生し、重大な責任問題が発生する場合である。
その場合、情報の正確さを欠かすことはできない。
織田信長が桶狭間の戦いで、今川義元の首級を挙げた武将ではなく、今川義元の陣幕の所在をつきとめた足軽の功績を第一とした史実は有名である。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りでも目指すところは仇討ちの一点突破だったので、吉良上野介の所在がしっかりと確認できるまで、大石内蔵助は決行を何度も延期している。
V戦法は、指導者クラスが前線にいて、指導者が死傷すると指揮系統が混乱し、戦闘不能に陥るようなヒエラルキー組織には大変有効である。
企業経営でも、カリスマ的な評判で、会社の全体を威圧するような人物が、社会的なモラルに反するようなスキャンダルにまみれると、組織全体も脱力感と向上の意欲を完全に喪失してしまう。
それによって競争に敗北する結果になる。
このV戦法のリスクを回避するため、指揮官の司令部は予備軍とともに置くか、指揮官が不在でも命令系統や作戦が継続され、貫徹されるシステムが現代の軍事組織の原則になっている。
それでも狙撃兵の一発の銃弾だけでも、戦闘の挑発によって、大きな歴史全体の流れを変える場合があることは、あの櫨構橋事件が証明しているので、V戦法の戦略的位置付けは、敵対戦略においても、防衛シミュレーションでも同等に非常に重要なのである。
☆W戦法
W戦法は二点突破である。
まず相手の「泣きどころ」を攻める。
孫子兵法にも第一の攻撃目標は「その愛するところを攻めよ」と書かれている。 「泣きどころ・愛するところ」を最初に攻撃するのは一つの心理作戦であり、それによって相手が通常の守備を変更して、王将の周囲を手薄にすることを目的としている。
将棋で、飛車・角を気にするあまり、簡単に王手を決められてしまう初心者と同じ心理状態に相手方を追い込んでしまう方法である。
剣道でも、強く面打ちで押した後に、サッと身を引いて瞬間を狙って、小手打ちをパシッと決める方法がある。
このように第一手が正攻法であっても、それはあくまで奇襲を決める前段階の手段として発想することは、孫子兵法以前の古代にも「まず正攻法で当たり、奇襲で勝ちを制する」という記述があることからも明らかである。
ラクビーも、フットボールもフォワードが力まかせに押しまくって決勝ゴールを決めることは少ない。後方から走り込んだアタッカーにパスを打ちながら前進するのが原則である。
柔道も相手が押してきたら後ろに引き、相手が引っ張ったら前に押し出して、上半身の反動で反方向に足をかけ、相手の体勢のバランスを崩すのが立ち技の原則である。
将棋や柔道・剣道から企業間競争や国家戦略まで、同じダイナミックス・モデルが適用される。
その理屈は誰でもわかっているが、それらが瞬時に、かつ巧妙な戦術によって遂行されるからこそ、ラクビーでも勝負が分かれてくる。
大坂夏之陣の最終局面では、豊臣方は全力を挙げて徳川秀忠の陣を突破しようとした。すると徳川譜代の軍勢はほとんど秀忠に加勢し、徳川家康の本陣は手薄になった。
そこに真田幸村の騎馬軍団が強行突入したので、家康の馬印は地に倒され、側近の数人は落命し、家康本人は命からがら退却したと史書にも明記されている。
ここでも「どこが泣きどころか」あるいは「何を愛するか」という内部の情報が、W戦法を成功させる決め手になることは言うまでもない。
家康の馬印の下に、本当に本物の家康がいるかどうか、それを決めるのは家康とスパイしかいないのである。
アクティウム海戦で、マルクス・アントニウスは最強の親衛隊軍団を満載したエジプト海軍の巨大母艦で、アウグストゥスの鷲旗をかかげたローマの快速船を追いかけてしまった。
熱血漢のアントニウスは若いアウグストゥスと一対一の決闘で勝負をつけたかったのであろう。
しかし、アウグストゥスはその船にいなかった。病気が原因で、海戦をながめる場所にも出られず、隠れていたという説もある。
それはスパイ謀略の必要性の根拠である。
☆Y作戦(分断作戦)
「Y」は、一つの勢力が二つに分断される形とする。
そこで敵の勢力が大きい場合に、何らかの理由で組織を分断させる。
孫子兵法では、「自軍の行跡と所在を隠しつつ、その上で誤った情報を流せば、敵軍はたやすく分割される」とあったり、「どこの組織でも内部は常にトラブルや対立の原因を抱えているものである。だから優秀なスパイを突っ込めば、たやすく組織の勢力を分断することができる」と指摘されている。
このことは普通の生活感覚では、不快な手段ではあるが、世の中にはよくある話だということは心得ておかなければならない。
孫子兵法の後段でもきちんと説明されているが、スパイのような「ヨソ者」が組織の内部で分裂工作をすることは不可能である。
むしろトップに信頼され、それなりの地位も与えられている人物が外部のスパイにそそのかされて、自分の組織を裏切り、利敵行為に走ることは意外に多いのである。
例えば、企業間取引で「リベート」が発生することは常識となっており、これが原価数万円の携帯電話を「1円」で販売するような基盤になっているのだが、その一部を経営者や幹部が内緒で私用に使ってしまう場合、これは所得税法違反というだけではなく、リベートを渡している企業側にも弱みを握られてしまうので、当然なすべき判断が下せなくなって、経営を誤ることになる。
山一證券が破綻した契機となった「握り」というリベートの処理も、幹部の一部がキック・バックを受けて、買い手のつかない暴落株を帳簿上だけ引き取ってもらう「飛ばし」を続けていたことが原因だった。
某商社のロンドン支店で、金属相場で巨額の損失を隠していた幹部も、取引業者から「特別な接待」や極秘のリベートを受けていたので、自分一人の辞職ですまない限界を超えて深入りを続けてしまった。
某銀行でデリバティブ取引で大損を出した人物の犯罪を支店長が隠蔽しようとして逮捕された事件も、やはり同種の問題が原因だ。
ライバルの組織を分断したり、混乱させることは、競争相手にとっては大きな利益である。
今は亡き伊丹十三監督の映画《スーパーの女》は、それだけでもマーケティングや経営学の原理をふまえた非常に優れた教科書になるのだが、ここでも番頭格の古手幹部や、自分のテリトリーに口出しを嫌う職人などが、自分たちのスーパー・マーケットを裏切り、ライバルに協力して報酬を受け取ったり、寄生虫のように役得のエゴを追求している。
最後には、店員全てを引き連れて集団辞職し、ライバルのスーパーに移ろうとする。
こういう現実も日常的にあるのである。
私は立場上、全国を歩いて選挙事務所に顔を出すことが多いが、人々の中には何か協力するフリをして自分勝手に出前注文を取ったり、不要な品物を大量に発注したり、事務所で用意した食品類を勝手にたくさん持ち帰ったり、詐欺や泥棒と同じようなことをする「カタリ」とか「タカリ」を厚顔にも平気でやろうとする人々がやってくる。
そんな人々も有権者だということで、事務所でも邪険に追い返すわけにもいかない。
もちろん本物のスパイもやってくる。
公職選挙法でも「寝返り行為」という正式の規定があるのだが、候補者を信頼させて近づき、選挙事務所の幹部に入り込んでから、勝手に経理を操作したり、いろいろな証拠をつくってから資料を持って警察に行くような、本物のスパイもいる。
学歴がおかしかったり、「総理は私の後輩だ」などと、どうでもいいことを誇大にいう人間は怪しい。
それで候補者が当選しても、スパイの密告による選挙違反で逮捕。
その人物は警察に協力したということで無罪。
無党派とか市民派候補ということで、思い立ったように出馬してしまって、きちんと誠実に支持して守ってくれるような仲良しグループがないと、そんな人々にやられ放題にやられて、ゴミのように吐き捨てられることがある。
恥ずかしい話だが、私の知人の政治家も、本人の名前を金文字で印刷した一箱たった五百円の線香を選挙区内に数百個だけ配布したという事実を摘発され、みずから辞職をしたという実例がある。
この時も、彼が信頼して任せていた地元の有力者が「これぐらいやれ」と提案したことだが、彼自身も「公職選挙法違反だから」といって強く反対したり、相手を真剣に説得することができなかった。
それで私設秘書たちがお盆の期間に支持者を回って配布したらしいが、私が「君は即刻辞職せよ」と厳しく意見した理由もここにある。
このような人々、政治家に贈り物を平然と要求するおかしな老人や変人たちに関わりあいたくないと思ったら、私のようにワンクッションおいて、政治家のサポート役に回ることも可能なのだ。
しかし彼はそれに飽きたらずに、大学助教授の地位を捨て、総選挙に出馬したのだった。
そのように足を引っ張るようなスパイは、どこでも当然いるもので、現実を知らないで対処の覚悟を持たなかった彼自身が愚かだった。
後日談になるが、彼は書類送検されて潔く辞職した後に、みずから志願して、山間地に新鮮な魚介類を売って回る行商人になった。
ずいぶん大きな寄り道をしたと思うが、彼が捨て身になって証明した公職選挙法の贈与禁止規定は全国に普及し、日本の政治風土の根底からの廓清にも寄与したのである。このことだけは、彼が善意と恥辱をもって打ち立てた功績である。
そして、山間地で行商する毎日、つらいこともあっただろう。
しかし、港町で生まれ育った彼は、たちまち山間地の人々に名が知られ、信頼されるようになった。
「前の国会議員が謝罪のために魚を売り歩いている」
山間地を地盤とした対立候補の世襲議員は、民主党だったが、典型的な「お坊ちゃん」だった。
そして、彼は前の総選挙で劇的に復活当選し、永田町にもどってきた。
逢沢一郎副大臣の推薦もあったであろうが、つい先日は外務省政務官として国連総会で、わが日本国の安保理事会常任理事国への立候補の決意声明を演説した。
「昨日の失意、今日の得意」という言葉があるが、彼の今後の精進に期待したい。
閣下は、こんな大きな変化のありすぎる運命は「自分向きではない」と思っている。
本物の戦略家は、家のまわりを普通に歩いていても、全世界を驚愕させる仕事をやってのけるのである。
☆K作戦(各個撃破作戦)
「K」の文字は、「Y作戦+T作戦=K作戦」と理解してほしい。
まず第一段階として、敵対勢力を分断する「Y作戦」をとる。
それから次の段階で、複数に分断され、より弱められ、心理的にも孤立した攻撃目標に対して「T作戦」をかける。
これが一般に「各個撃破」といわれる戦法である。
たとえば教育の場で、一斉授業に学力がついていけない生徒がいるとする。
教師が彼らを無視して授業をすすめると、彼らは「先生に無視された」という心理反発から反抗心を燃やし始める。
ところが、教師は「授業についてこれないのは、生徒や生徒の家庭に問題があり、自分はやるべきことはやっている」と信じ込んで何も反省しないと、やがて他の生徒にも不安が広がり、いわゆる「授業崩壊状態」になっていく。
あなたがこのような全面崩壊状態のクラスを任された時、まず何をなすべきであろうか。
それが「K作戦」である。
まず生徒の個々の不満の聞き取りをする。
こちらから意見は言わない。それで事情を把握し、「ワル仲間」や「いじめ関係」など生徒の間にはびこる不法行為や反道徳的な関係を分断して一掃し、それぞれの生徒の個々の事情に合わせて適切な対策をとる「各個撃破」をしていくのである。
学力不足の生徒には授業前の休み時間に話し合って予習させ、「できる喜び」を与えることもできよう。
もちろん、「これは手におえない」という場合もあろうが、そのように深刻な問題を持った生徒をつくり出すのも、教師の冷たい「無視」と「偏見」と「差別」、そして傲慢な「やることはやっている」という思い込みなのである。
そこで誤った道を引き止めなければ、毒物に汚染された水を川や海に垂れ流すようなもので、問題はますますひどくなるであろう。
その時には、「教師」の肩書きをはずして、人間と人間の話し合いをするしかない。
それを勝ち抜くことによって、自分も強くなれるという戦いはあるものである。
日露戦争の時には、元老山県有朋の命令で明石元二郎大佐がパリやストックホルムなど欧州各地を暗躍し、フィンランドやポーランドの分離独立運動の指導者をはじめ、スイス亡命中だったレーニンや「血の日曜日事件」のリーダーたちとも接触していた。
ロシア国内各地で革命騒動が発生すれば、強大なロシアも戦争の継続は困難になるという戦術だが、この明石大佐の驚異的な活動範囲は欧州各国の諜報機関にも大きな衝撃を与えた。
明石大佐はポーツマス条約交渉の最終段階でロシア皇帝が樺太南部の領土割譲に応じる意向を皇帝側近筋から情報入手し、これを陸軍参謀本部だけでなく、外務省ルートにも直接打電させた。
当時、外務省無線課長の幣原喜重郎(後の外相・首相)がこの電文を受け取るや、上司の決済を待たずに小村寿太郎外相に転送したことも有名な事実である。
人種の異なる日本人が戦争中にロシア帝国の宮廷までスパイ情報の網をはりめぐらせたのだ。
この明石大佐も、大日本帝国の軍人という肩書きをはずした人間と人間の話し合いの中で協力できる人々の心をつかみ、少しずつ仲間たちを増やしていったのである。
第一次世界大戦のさなかに、レーニンがドイツ帝国政府のはからいで「封印列車」でスイスからドイツ経由でモスクワに到着したのは有名な歴史事実だが、これは一帝政国家が、他国の王室の支配権に反対する運動を支援する」という明石機関の型破りな先例を踏襲したのである。
それは、「革命後のロシアと東部戦線で休戦し、ナポレオンのような深入りは避けて、対英仏の西部戦線を増強したい」というドイツ軍首脳陣の考えがあった。
これも「K作戦」のパターンの一つである。
ベトナム戦争では、ハノイ放送は一貫して「平和」と「戦争反対」を訴え、やがては世界中の反戦運動の連帯を通じて、アメリカ国内の反戦運動にも影響を与えていった。
したがってベトナム戦争は正当な意義のある「アメリカ国民の戦争」ではなく、「ジョンソン政権が勝手に起こして、ニクソン政権でもやりつづけてやめられないでいる私闘」であるという印象が広まった。
激しい反戦運動はアメリカ社会全体を分裂させ、その後遺症を引きずった世代が試行錯誤の中で現在の世界に人種差別問題や地球環境問題など新しい社会革新を生み出していったことも大きいが、これもベトナム側の「K作戦」の一つであった。
ベトナム戦争がベトナムの人々の祖国統一と民族自決の悲願であり、ベトナム共産党が勝利の後にもモラルと規律を維持し、カンボジアのクメール・ルージュのような報復虐殺をしなかったことによって「アメリカの失敗」は言い争う余地のない事実となった。
「私闘」といえば、平安時代後期の後三年の役で、鎮守府将軍の源八幡太郎義家と奥州清原氏との戦いを、京の院政は「私闘」と断定し、戦勝にともなう正式な恩賞などの手続きを取らなかった。
そこで義家が私財をなげうって部下たちに恩賞を与えたが、朝廷は勅書をもって「勝手に恩賞を受けるな」と命令し、鎮守府将軍の地位も解任した。
その後に鎮守府将軍に任じられたのは奥州産の黄金を謀略のために有力な公家たちに大量に流し込んだ奥州藤原氏の開祖でもある清原基衡で、ここにも「K作戦」の情報戦があった。
改めて確認するが、ここではすでに二つの課題が《パターン》の展開に使われている。
第一に《序・破・急》のプロセスやW戦法のダイナミックスでも確認したように、われわれが学ぼうとしている原理やシステムの本質は、天地自然の中にも厳然として存在しているものである。
剣道や柔道の心得のある人が渚で波の中に身をおいて、ふと身体のバランスや動きのリズムに着想を得ることがあるように、資料や記録を超えた《天地自然の理》の中にこそ、真実の原理原則があることを、われわれは承認しなければならない。
第二に、このような《天地自然の理》の立場から、冷静に人間社会の混乱を見つめ直すことである。「道理の通らないのが世の中だ」という言葉は、まことに真実である。
だからこそ、巨大な組織が内部から崩壊して突然消滅してしまったり、これまでの古い権威が打倒され、新興勢力が生み出されたりする。
これを卑下したり、侮蔑したり、自虐に陥ってはならない。
むしろそこに自分が出ていくチャンスがあること、全てが不完全だからこそ補強や建て直しが必要だと感じること、そして自分から舞台に立つチャンスを求め、脇役でも端役でも何でもやりぬいて、さらに上を目指すのが面白いのだと強く意識する。
こうした向上の志をもつ人生観に、わくわくするような喜びと感動があらねばならない。
こうしたことに《人間力》というべき、人間の魂心と精神の成長が促進されることに、われわれは着目しなければならないのである。
人間の創造力や、歓喜して活きぬく力の源はここにある。そして人生の達成感や幸福感は、このような人間力の発揮によって得られるのである。
このような二つの課題を会得した人物は、いわば宮本武蔵のように、風がフッと通り過ぎたというだけで、新しい境地や感得を自分のものにすることができる。
ほとんど無学だった宮本武蔵が剣術の奥義に到達したとたんに晩学に勤しんで、重要文化財に指定されるような素晴らしい水墨画を描いたり、現在の明石の城下町の都市計画に才能を発揮したのは、彼自身が剣術によって到達した《天地自然の理》が、芸術表現の世界にも、人間社会の合理的な整理整頓にも共通して役立つものだと気がついたからである。
これは宗教的な「悟り」ではない。むしろ積極的に社会と関わり、理想を追及し、旺盛な創造力と創作意欲を発揮するようになった宮本武蔵は、レオナルド・ダ・ヴィンチのように自己の才能をあらゆる方面に開花することができるルネッサンス的な《全人》の理想に近づいたと評価できるのではないか。
改めて確認するが、本講の眼目は、パターンの知識ではなく、《パターンの超越》であり、きわめて説明が難しいが、それぞれが自分なりにコツを会得することが必要である。
諸賢の健闘を祈る。
