戦略シミュレーション(1)
☆戦略シミュレーションについて
《孫子兵法》はいくつかの段階を踏んで、国家や組織に対するシミュレーション(算)のメソッドを各篇において断片的に記述している。
それは次のように列挙することができる。
(1) パフォーマンスの相対評価
(2) 組織内部システムの分析
(3) 指導者・人事・意思決定システム
(4) 財政・ロジスティクスの戦略モデル
(5) 戦場の選択と戦術シミュレーション
このメソッドは現在でも有効である。
そこで本章は、このメソッドに沿って、今週は五回に分けて、戦略シミュレーションの方法論を検討してみよう。
実際に《孫子兵法》を読むと、この中で(5)の《戦場の選択と戦術》の問題が、最も具体的かつ詳細に記述されていることがわかる。
銀雀山竹簡では、その《戦場の選択》にあたる地形篇に外伝の続編があったこともわかっている。しかし、最も圧倒的なのは、竹簡の量でも最大の九地篇であり、事実上の本論である。
それで「孫子は戦略分析ではなく、戦術の解説である」と物知り顔の者が利いた風にいうのである。
しかし、私はそうした俗説を本章で打破しようと思う。
(1) パフォーマンスの相対評価
《孫子兵法》は、第二段から「カントリー・リスク(国家の安全度)の評価」で始まる。
それは次のような内容である。
道・・・道徳による統治
天・・・天与の条件
地・・・地勢の利点
将・・・指導者の人事
法・・・法秩序のシステム
孫武は、この五つのポイントで国家や組織のパフォーマンス評価を判断し、複数の国々の優劣と長短を比較することによって、体制のバランスの欠陥を補い、調和のとれた政治体制を安定させるべきだと考えていた。
同時に同じ方法でライバルを徹底的に分析し、謀略によって体制のバランスを崩したり、政治体制を不安定なものにすることで、ライバルの国力や組織力を減殺できることも述べている。
これが《管子・七法》では、次のような七項目の優劣で政治のバランスを認識しようとする。
則・・・・・自然法則・・・(政治が天地自然の理に反していないか)
象・・・・・形式制度・・・(体制のシステムそのものに矛盾はないか)
法・・・・・法律体制・・・(法律が整備され、着実に運用されているか)
化・・・・・教育体制・・・(人材の育成が経済発展や社会秩序に結びついているか)
決塞・・・奨励と禁止・・(正義や公益が奨励され、罪悪やルール違反が抑止されているか)
心術・・・心理戦術・・・(政治指導者が国民に積極的な影響を及ぼす心理戦術を持つこと)
計数・・・財政戦略・・・(堅実な財政運営と積極的な政策投資を戦略的に運用すること)
中国の湖南省長沙市で発見された馬王堆漢墓から出土した《黄帝四経》という白布に書かれた文書は、いわゆる黄帝思想の原典として、あちこちの古典にも引用されながら、オリジナル・テキストを唐代までに喪失していたものであった。
現在までにほぼ解読が終わり、テキストの復元も完成している。
その「経法・論篇」には次のように記されている。
観・・・外観・・・・・(国家の興隆衰退の傾向は外観にもあらわれる)
論・・・言論・・・・・(優れた言論は国家を興すが、逆の場合は退廃させる)
動・・・機動力・・・(機動力があれば、弱国から大国に成長することができる)
專・・・団結力・・・(団結力が強ければ、何があっても社会秩序は動揺しない)
変・・・改革・・・・・(腐った部分を切り捨て、新たな成長分野に国力を集中する)
化・・・教育・・・・・(正しい教育があれば、犯罪が減り、善行に励む者が多くなる)
西晋の時代にも、戦国時代の魏王国でおそらく財務官をしていた王族の墓が発見され、そこから出土した膨大な竹簡文献が解読され、それも《穆天子傳》や《竹書紀年》など、古典として現存している。
その中の一つ、《逸周書(汲塚周書)》は、当時の伝統的な歴史教科書として、孫武も目にしていたであろうと思われる。
ここでは五項目の比較ポイントが示されている。
地・・・地理・・・(国民の性格や気質は地理条件を反映している)
物・・・品質・・・(商品の品質レベルを検討すれば、兵器生産の実態もわかる)
鄙・・・辺境・・・(民衆の生活レベルは都市ではなく、辺境の実態で判断する)
刑・・・刑罰・・・(刑罰の内容を検討すると、国の社会問題の実情が把握できる)
食・・・経済・・・(経済力と政府機構のバランスによって政治の安定度がわかる)
こうした方法論は現代でも有効である。国際機関が発表する統計とは別に、先進諸国の中には各国の国民意識や教育の学力比較などを調査するものがあり、その結果の一部は一般向けに加工されて報道に回されるが、実際にはライバルの国に抜群の成績を持つ人材を、子供の中から選び出したり、実際の目的を隠して数字を作成しているなど、やはり情報戦術の一環として実施されているのが普通である。
この点、わが国では明確な戦術目標を持たない国民意識調査とか、NHKが実施している政治意識調査や国民生活関連の統計があるだけで、質問項目や調査対象などは学識経験者など任意の問題意識しか持たない人々によって決定されている。
そして、こうした調査がプライバシー保護を逸脱するような個人情報として登録されることはない。
もともとは国力という概念を相対的に把握するために、このような比較調査分析を行なうのであるから、たとえば欧米諸国が中国の政府機関と協力して調査を行なう場合、シンパ(友人)や情報のエージェント候補、つまり本物の特務スパイの発掘や獲得にも使っている場合がある。
また国内外でも抜群の知的才能を持った人材を年少時期から発見して登録し、場合によっては援助の手を差し伸べる方法で、その人生も把握してしまう。
たとえば、ライバル国の最も優秀な若者を高等教育の時点でアメリカに集めてしまうことは、明確な戦術的政策として実施されているのである。
また、このような相対評価を企業組織において実施する場合、大きな企業の場合は「大企業病」という最も憂慮すべき事態を回避するために、全社員の意識調査は《組織の健康診断》として実施することがのぞましい。企業にも人間ドックのように、病変の早期発見が必要なのである。
小さな企業でも、経営コンサルタントが全社員に面接アンケート調査をすることによって、経営者にも上司にもわからない部下の意外な問題点を発見する場合がある。
さらに個人のレベルにおいても、心理分析テストや基本能力テストなどを時々やってみることによって、自分の精神的な向上を求めたり、「なりたい自分になる」という自己実現の方法として相対評価を手がかりにしたいというニーズがある。
私の知人の研修セミナーでは、定期研修会において参加者に毎回同じ方式の性格診断テスト(質問の順番や内容の表現は毎回変わるもの)を実施して自分自身の心理的な変化を確認し、具体的な目標を設定して自己実現の修養と向上をはかろうとしている。
これはなかなか成果がある方法だが、こうした目的に合致した心理テストを独自に開発して、研修モデルそのものを商品にするレベルまではいっていないし、学習塾のように「名門校合格」といった目に見える実績にはならないので、まだメジャーにはなっていない。
儒教の古典、大学は政治の原理を、「修身斉家治国平天下(自分の身をおさめ、家内をととのえ、国を治め、天下を平定する)」と表現しているが、これは総合政策の理念が国策においても、個人の自己実現においても有効かつ有益であることを意味している。
(2) 組織内部システムの分析
われわれの日本は立憲君主制国家であるが、占領時代に制定された日本国憲法によって国民主権が認められ、天皇の大権がなくなった。
しかしながら、、国民の主権者としての意識も自覚も不足し、特権官僚がほとんどの政策立案にあたり、政権党がその名目的な実行者となり、ほとんどの公職選挙において公共事業の利益誘導によって組織票をまとめ、これが「日本の民主主義体制」なのであると称していた。
いわゆる「田中角栄のアンシャン・レジーム」というものである。
そんなものは「大ウソ民主主義」だ。
官僚独善主義・官尊民卑・官庁OB天下りによる業界支配が厳然と存在しているのに、どうして形ばかりの「民主主義」をふりかざすのか。
法律そのものは、ほとんどが官僚が条文を執筆して、内閣提出法案として議会に提出され、政権与党の賛成多数で可決されるのであるから、国会は「立法府」ではなく、行政機関の法律執行の通過儀礼の場に過ぎなかったといえるだろう。
逆に政権与党の国会議員は、国家予算の配分に強い影響力をもつことが自他ともに認める「実力」であると考えられていた。
つまり行政機関との「見えない癒着」とか、行政官僚たちに対する個人的な威圧と干渉こそが「政治力」だったのである。
野党もまた予算委員会で与党の醜聞を暴露することで、行政機関の人々を威圧して、国家予算の配分に間接的に影響力を発揮しようとしていた。
つまり予算委員会は、事実上、「行政干渉委員会」なのである。
予算委員会が国家予算そのものを積算し、審議する場所であると考えたら大きな間違いである。
現に、官庁側が予算数字算出プロセスの根拠資料や具体的数値を議会に情報公開することは、ほとんどないではないか。
野党議員が机を叩いて激しく抗議すると他の国会対策委員の議員たち、通称「国対族」がまるでコウモリのように調整に飛び回り、それでは別の政府提出法案の修正を約束しようとか、野党提案を盛り込んだ政策を実施するという与野党の紳士協定を結んで、その場を収めてしまう場合もある。
その非公式な交渉を議会内ではなく、芸者さんが踊っている料亭の一室で飲食の接待をしながら話を丸くおさめようとする場合もある。
これが「料亭政治」だ。
われわれが日本新党を立ち上げる前、東京都議会議員で都議会自民党副幹事長だった畏友は、生々しい与野党の「料亭交渉」の馴れ合いを暴露してくれたものだ。
ある与党都議など、特殊な女性たちを集めて、裸踊りを見せたり、その後に野党都議を個室に案内することまでやっていたという。
小泉内閣の成立まで、わが国は中央も地方も、このような取引こそが「政治だ」と思われていた。
それは結局、都庁や中央官庁の幹部たちと緊密な信頼関係をつくり、予算上の「箇所づけ」、つまり選挙区に対する特定利益の供与という形で報いられるだろうという期待で進んでいたことだ。
今ではもう少なくなったが、それでも老政治家たちの間では一切皆無なことではない。
ゴルフ場や大きなホテルの中の交渉はあまり表面化はしない。
しかし、政界の巨頭が、わざわざ記者たちを連れて「ゴルフ場会談」をやっているのは、いわば老人のデモンストレーションであり、首相官邸に露骨な圧力をかける政治的な「芝居」なのである。
しばしば老政治家たちが料亭に出入りするスクープ映像がニュースで流れるのは、主催側の関係者が意図的にマスコミにリークしているわけだ。
すべて筋書きの上に仕組まれた「芝居」なのである。
こうして与野党の政治権力者は、社会福祉の政策決定や地方の公共事業の推進に深く関係し、その受益者を組織して「票田」と称する。
国民主権ではなく、公金で灌漑された「票田」が公職選挙を支配しているのである。
さらに私が良心において呵責に堪えないのは、官僚組織もまた「票田」を持っていることだ。
いわゆる「官庁の利権構造」である。
許認可権限や予算の配分、そして「天下り官僚OB」で官庁利権の下に組織化した特殊法人や民間企業のピラミッドから、政治資金や有権者名簿は湯水のように集まってくる。
このことによって、官僚と官庁OBは与党の政治権力に喰い込み、公金であがなわれた公務員の勤務時間と職務権限などを不当に利用して政権内部を部分的に支配している。
これが官僚政治の牙城なのだ。
細川内閣の前には、某省の課長が関連業界の各企業のトップに直接電話をかけて、特定の政治家のパーティー券の購入を依頼するという恥ずべき実態もあった。
政治家も「パーティー券を引き受けますよ」という官僚の恥ずべき甘い誘いに転んだのだ。
官庁の「票田」は、まことに旨味が多いので、都市部以外の与党議員は、誰も手放したくないのが本音である。
公然と不法な行為を共有して持ちつ持たれつの関係を結ぶのは、心理的には未成年の喫煙常習グループと大差のない幼児的なふるまいであるが、税金の浪費によって犠牲になるのは国民だ。
主権者の国民が、幼稚な不法行為をする公務員たちの犠牲になるのは「悪政」に間違いない。
だから私は真理を追究する講義において、この事実を告発する。
郵政省幹部が参議院選挙に立候補し、郵政省の現役職員が「票の取りまとめ」で選挙運動に関わったとして相次いで逮捕されているが、こんなことは氷山の一角だということは誰でも知っている。
これまでは知っている人間ほど口を割らないので、公然と公務員の不法行為がまかり通ってきたのである。
郵政民営化で、役人たちの「票田」の資金源・郵便貯金を国家から切断し、資金供給のパイプをぶち壊すことが、その第一歩といえるだろう。
さて、《孫子兵法》は特殊な事情によって成立した著作である。
孫武は、軍事的な覇権をめざす「呉」というベンチャー国家に、外部の専門家として参加したコンサルタント的な立場であった。
したがって《孫子兵法》は二千五百年以上も昔の思想でありながら、《賢君治国、賢人治政》という近代的な政治理念を主張している。
君主は一種の帝王学によって自分の感情や欲望を抑制し、常に合理的判断を下さなければならない。
そして、現場で働いている一般庶民や戦場で生命を賭ける兵士たちにも敬愛され、その立派な態度が尊敬を集めなければならない。
これが《賢君治国》の思想である。
いわば不文律の立憲君主制によって粗暴な君主や暗愚の君主の登場を阻止しようとしたのである。
これは周王朝が成立した時、商(殷)王朝を武力で打倒して易姓革命(王朝交代)をした公然の理由であったから、周王室の初期には君主が毎日使用する食器類にも
「自分自身を節制せよ、君主は賢人であれ」という教訓が刻まれていて、それで王朝の権威は維持された。
しかし世代が代わると大臣たち実力者の政治が始まり、君主は「お飾り人形でよい」とされた。
孔子の時代には大臣も世襲なので「人形化」し、大臣の側近が実質的な権力を支配していた。孔子は君主を説得して君主政治の再生を試み、賢君治国の理想を実現しようとしたが、これは挫折してしまった。
それで教育者として手塩にかけて養成した弟子たちを、各国の大臣たちの要請で側近として推薦して、現実の行政の改善にあたらせるという結果に落ち着いた。
これが《賢人治政》である。
国家の主要ポストの世襲制はのこしながら、実際の官僚的実務、地方行政は才能のある実力者が担当すべきだというのである。
孫武も同じ理想主義を追求したのであるが、そのために呉王の最愛の妾二人の首を切り落とすという有名なエピソードもある。
幸いにも呉王が開明的な君主であり、孫武を「なくてはならない人材」と評価する外務大臣の伍子胥の応援もあって、孫武は陸戦担当の参謀部長に採用された。
そして「この妾たちがいないと食事もまずくなる」と泣き言までいっていた女好きの呉王がキッパリと禁欲的な生活をはじめ、老人や孤児を優遇する福祉政策を実施し、農業振興政策としてニワトリの繁殖を奨励したりした。
呉王愛用の道具には、龍や虎ではなく、誇らしげにニワトリの群れが刻印されているので、この歴史記録は正しいと思われる。
また、広く国策を国民に提案を募集したので、ある商人は染色業で使われていたアカギレ防止用の膏薬の製造方法を高額で買い取り、呉王に提案した。
すると商人は直ちに製薬局長を任命され、膏薬は大量生産され、呉軍は兵士の凍傷がネックだった冬季厳寒期の水戦が可能になり、これで呉は隣国の越を徹底的に撃ち破った。
また呉王は道路や架橋など公共工事現場にもみずから足を運んだ。また、大規模な兵器工場をつくり、そこに最高の技術者を集め、後宮の美人の女性たちを工場のサービス係として奉仕させた。
二千五百年前以上も昔の話である。
現在の低開発諸国でも、ここまではなかなかやれないであろう。
しかし、呉王と孫武たちは、この国家経済の構造改革を三年ほどで完成してしまった。
《左氏春秋》はその当時の諸国が「呉」の急成長に非常に大きな衝撃を受けたことを記している。
兵器工場で生産された武器は、厳格に品質管理され、優良なものは呉王が自費で買い取って、《呉王自作の兵器》という銘文を刻印させた。
これは現代でもあちこちの墳墓から出土しており、漢時代にも宝物として売買された記録がある。
その中には《呉王が用剣を自作して、成績抜群の勇士を奨励するために贈る》と記銘された「勲記付の兵器」も発見されている。
まったく信じられないことだが、これは真実である。
始皇帝の暗殺未遂事件に使われた《徐夫人剣》という短刀も、この呉王の兵器工場で生産されたものであろう。
これは首謀者の燕国の王子が商人から高額で購入したと記録されている。
「徐」という国は、呉の隣国で、呉と一時は友好関係を保ち、徐の君主が呉の剣のすばらしさに惚れ込んだが、君主が急死した後に埋葬用に宝剣を送り届けたというエピソードもある。
しかし、その直後に呉王と孫武の西進戦略のために滅ぼされて国は消滅した。
したがって《徐夫人剣》は孫武と同時代のものであった確率は非常に高い。
これらの話も《孫子兵法》の超近代性を物語っている。
今日の政治家として、経営者として、呉王や孫武たちを優越するような人々は本当に数少ないに違いない。
ひるがえって、経済大国といわれたわが国の体制を再検討すると、「日本株式会社」といわれた「護送船団方式」は不公正な談合体質だと否定されつつあり、その手段として紊乱を極めた「官僚接待」も禁止された。
官僚の「天下り」も社会的に批判され、その受け皿となっている特殊法人は「税金のムダ」を指摘されている。
官庁そのものは外務省をはじめ、不正経理の疑惑で国会からも指弾を受けており、組織としての国家システムは立ち往生している状態である。
小泉内閣が郵政民営化を断行すれば、古い利権で生き延びてきた老政治家たちと官僚政治家は、存立基盤を喪失するであろう。
このようなことは日本国憲法のどこにも書かれていないが、私は現在の国会議事堂で行われていることが「立法府」の名前に値するとは決して思えない。
国権の最高機関だという事実も存在しない。
それは「ただの名目」に過ぎない。
俗な表現で言えば、「公然たる大ウソ」だ。
国民はみんなだまされているし、政治家や官僚は自分自身を欺いているのだ。
もちろん、アメリカの議会でも、法律は議員が立案するが、そのほとんどは自分たちの選挙区の利害と密着した予算配分を要求する行政干渉が実態であるから、これは日本だけではなくて「民主主義体制」そのものが実際に抱えている矛盾といえる。
したがって、外国の留学生に日本政治を講義する際に、日本国憲法がどれだけ参考になるのか、私には疑問でならない。
むしろ、「そんなものを学んで何になるんだ」と面と向かって抗議する。
「キミが日本国憲法から学べるものは、権力のウソぐらいだ」と。
日本の政治体制が外国を裨益するものだとも決して思わない。
改革のプロセスそのものは、このまま少し成功すれば、後の教訓と経験が生かされるだろう。
こうした組織内部のシステム分析は、われわれの戦略研究には常に不可欠なものである。
例えば、制度面でいうと日本には江戸時代まで天皇を中心とする太政官の律令制度が形式的に存続しており、肥後守や越前守という官職も使われていた。
しかし、実際の肥後には外様大名・細川家の熊本藩があり、越前藩は越前松平藩があったわけだから、江戸町奉行の大岡忠相が越前守でも、越前藩とは何のかかわりもない。
幕末の勝海舟は奉行職に抜擢された時、「人生は泡のごとしというから、俺は安房守でいいよ」と希望を出したという。
日本は六十四州しかないので、「国守」の官職名を拝領するのは六十四人しかいない。
したがって、赤穂藩の浅野内匠頭のような中級の外様大名は、「国守」の官職は与えられなかった。
幕府の老中・奉行が構成する幕閣が領地は小さくても全国の大名に命令権を維持した権威は、この律令制度の序列にあったのである。
建前の制度を換骨奪胎しながらも、合理的に運用しさえすれば徳川三百年も安定する基盤はできた。いいかえれば日本は建前の制度をほとんど変えないで、実際には換骨奪胎したシステムを千二百年以上も維持してきた国家なのである。
わが国の政策を考える時、このことを深く反省しなければならない。
われわれの戦略的な回答は、日本の改革は多くの意味で建前の制度は維持するが、革命的な換骨奪胎のシステムを考案し、直ちに実行することである。
私は複式簿記システムによる公共機関共通会計制度と外郭団体の連結決算制度、そして民間基準に準じた四半期ごとの決算情報公開が、すべての行政改革に優先すべきであると提言している。
われわれは方法論争で行政改革を阻止する抵抗勢力と、この十年間以上を戦ってきた経験があるので、もう総論賛成・各論反対のごまかしには乗らない。
税金のムダを白日の下に出してしまう公開会計制度を実施すれば、批判や反対キャンペーンに公金支出するシステムそのものが停止するので、抵抗勢力は絶滅するであろう。
彼ら公務員が喜んで自腹を切る奉仕精神のある人間だったら、公金不正支出に関わる者は一人もいなくなるはずだから。
