☆スパイ戦術と戦略
☆スパイ戦術と戦略
昔話になるが。
玩具メーカーで商品開発を担当していた若手幹部は、自分のつくった商品が消費者である子供たちにどのように受けているのか関心を持った。
そこで営業担当と一緒に玩具店を回ってみたが、勤務時間中なので学校の授業時間とも重なり、子供がいない時間帯に歩き回ることになった。
どこへ行っても狙いである「子供」の姿が見えないまま、玩具店主を相手にインタビューをして回っていたが、ついにある店主が「君自身が店番に立て」と怒鳴った。
幹部は自分に恥じ入り、それで土曜日に会社を退社した後、ボランティアとして店番に立つようになった。
これでようやく、サラリーマンが顧客の子供たちに会って話ができるようになった。
驚くべきことだが、実際に聞き取り調査をしてみると、玩具メーカーの中で、そのように子どもと直接に接して顧客調査をしていたのは、ほとんど創業者だけであった。
その開発担当がつくったキャラクター商品は大ヒットを記録し、新たなアイデアをつぶす官僚主義体質に陥りかけていた社風も一新した。
彼は三十代で取締役に抜擢昇進したが、玩具店の店番は続けている。
彼を見習って、代わりに各地の玩具店の店頭に立つ開発担当者や営業マンも増えている。
この若い取締役は、ただ生活のために玩具店の店番をしているのではない。
もちろん、現場の情報、消費者の反応を知りたいために、玩具店を自分の頭の中で一つのアンテナ・ショップとして情報を探索しているのである。
そこで私は提案したい。自分から「スパイ」を志願することを。
「スパイ」といっても、007シリーズのような格好のいいものではない。
個人のプライバシー情報を高値で売ろうとするような、いかがわしいものでもない。
ストーカーの真似やパパラッチのような汚らしい行為を奨励するのではない。
しかし、「現場」には情報がゴロゴロところがっているものである。
新しい潮流や発想のタネがあちこちに落ちているものである。
他の人々は見過ごしてしまうような情報に掘り出し物の価値を見出して、それを発想や企画に加工してまとめあげる高感度な情報職人、現場を知り抜き、頭の中に常に現場の有様を再構成できるような人物、それが私のいうスパイなのである。
実際のスパイもそうした情報判断の職能をもった人材でなければ、本当の情報分析はできずに、役に立たないゴミやクズばかり拾ってくる「ジャンク情報屋」になってしまうであろう。
私が20代の後半でコンサルタント会社に中途入社した時には、生え抜きの同世代に《スーパーの神様》という人がいた。
この人はコンサルタントとして、いろいろな町のいろいろなスーパーを見ているうちに、初めて行くスーパーでも店に入ったとたん、たちどころに売上高や客足の動向を言い当ててしまうようになった。
それでスーパーの店主たちがびっくりして、「このコンサルタントは若いのに、スーパー経営のことなら何でも知っているぞ」ということで、《スーパーの神様》という尊名を奉ったということだ。
人間は数量や場数の経験をこなすと、判断能力が《霊感》のような直感力に昇華していくものなのである。
お宝の鑑定で即座に本物とニセモノの区別がつくとか、市場価格がわかるというのもそれだ。
もっといい例が百人一首カルタで、上級者になると瞬時といってよいほど勝負が早い。
大きな試合の決勝戦になると、まるで格闘技のように手出しの早さで風を切っている。
これらは趣味の世界だが、このような人間能力の特性を再発見し、あの《スーパーの神様》のように自分のビジネス、自分の人生設計にも役立てたらどうか。
それで私は「情報の職人になれ、スパイに志願せよ」と訴えるのである。
このような特殊な能力を自分のフィールドで自由にできないと、戦略法の定石をいくら学んでも大失敗をくりかえすことになるだろう。
それはすなわち現場を知らなければ情報は判断できないし、情報を判断する能力がなければ現場に立っていても何にもならないということだ。
司馬遼太郎さんは坂本竜馬の小説《竜馬がゆく》を書くために、書棚を何台も増設するほど、膨大な資料を集めた。
それを全部、読み込んでから高知県の桂浜に行った。
といっても、丸一日もいたわけではない。
小一時間ほど地元の人の話を聞いて、あたりを歩いて、
「現地の風に吹かれたらそれでいい」と引きあげてしまった。
その話を聞いて、私も思い当ったのが、日本民俗学を創始した柳田國男のことである。
私の恩師で御茶ノ水女子大学名誉教授の故・柳田為正先生は柳田國男さんの長男に当たられるので、私は別に民俗学とは関係がなかったが、いろいろな思い出話に接したことがある。
柳田國男は戦前の東北地方や九州の山奥を旅して《遠野物語》や《後狩詞記》につながる旅行記録をのこしているのだが、それを見ると本当に現地には一日として滞留した記録がない。
まさに「現地で風に吹かれただけ」という時間で、現地と次の現地の間を通り過ぎているのである。
私は学生時代、「これは何かトリックがあるのではないか、そうでなければこんな天才の世界は及びもつかない」と内心は思っていたのだが、私も私なりに研究を進めていくと、この「現地で風に吹かれて、物事を感じる」という、ちょっと言葉では表現ができない経験に何度も遭遇した。
特に中国の古典の歴史的な舞台になった場所に行くと、あたりは古代とはすっかり変わってしまっているだろうし、城跡もなく、石碑だけがポツンと立っていて、やむをえず「風に吹かれるしかない」という事情もあったのだが、それでも「何か」を確実に自分の心の中に持ち帰ることができるようになった。
柳田國男と司馬遼太郎という本当に偉大な人物の「コツ」にめぐりあえたので、私もこのように紹介できるのだが。
カシオ電機の腕時計で、全世界で空前のヒットを飛ばしたG-Shockの開発担当者も、当初は失敗をくりかえして、200個以上の試作品をつぶし、半ばあきらめかけて、公園で子供たちのボール遊びを見ていた。その時にバウンドしたボールが衝撃を吸収することに気づき、普通の腕時計を半割りしたボールにはさんで衝撃耐久実験をくりかえしたところ、腕時計は正常に作動することがわかり、これがG-Shock開発のブレイク・スルーになったというのだ。
ニュートンが木からリンゴが落ちたのを見て、万有引力の法則を発見したとか、宮本武蔵が犬の尻尾を見つめていて剣の振り方を工夫したとか、斉藤茂吉がルーブルのビーナス像の前でゴザをしいて一日中ながめていたとか、われわれは天才の逸話の中にも同じような「コツ」というか、一つのルールがあることを発見することができる。
わが中央大学を支える経営人OBの一人、岩国さんは今は学生奨学財団を運営され、悠々自適の生活だが、もともと若くして労働組合の闘士だった。
イトーヨーカドー(伊藤陽貨堂)が中堅下位のスーパーだったころ、自分の部署にいたたまれなくなり、コンビニエンスのセブンイレブン・チェーンを立ち上げるプロジェクトに創立メンバーとして参加された。
その時の詳しい経緯は、NHKの人気番組《プロジェクトX》にゆずるが、岩国さんもまた、壁にぶち当たっていた一人であった。
最初に開店したセブンイレブン一号店は売上げがのびず、在庫がふくらみ、失敗の淵に立たされていた。
正義感の強い岩国さんは、店主の苦労にしのびず、毎日のようにボランティアとして店番と店内の掃除を志願して働いた。
そして掃除をしながら、ふと疑問に思った。
いわゆる売れ筋の商品に欠品が目立ち、なかなか売れない商品が店舗の中に長々と居座っている。
二階の在庫の山は、すべて売れ残りの品物ばかり。
これを何とか解決できないか。
このことが「店の中をすべて売れ筋の商品で満たす。売れにくい商品は切り捨てる。在庫を発生させないように、仕入れたい商品を必要なだけムダなく小分けにして配送する」という今日のコンビニエンス経営の基本的なビジネス・モデルの発見につながったのである。
岩国さんを「スパイ」と申し上げるのは失礼のようだが、ピンチに立った人は普通の人間よりも周囲の状況に敏感に反応するようになるようだ。
「地獄に仏を見る」という言葉があるが、ピンチから逆転した経験のある人は、その瞬間に偶然に洞察力と観察力が働いて、驚くべき問題の本質や真理の片鱗にゆきあたっている。
その舞台は、ほとんどが「現場」だ。もしもセブンイレブン一号店に、岩国さんのように現場の判断ができる人がいなかった場合、つまり他人任せの無責任な人間が、いやいやながら一号店にはりついていた場合、奇跡は起こらなかったことは容易に想像ができる。
われわれは一生に一度の偶然や出会い、大きな発見をめざして、この戦略学をスタートさせたのではない。
このような「現場」を徹底して頭に叩き込むことによって、戦略戦術展開の確実性と現実適用をスムーズに運転する実際的な必要性から、この課題を論じているのである。
だからこそ、われわれは情報のプロフェッショナルの道を極めなくてはならないし、そうなるためにはまず自分から志願をして現場に立ち、判断の能力を研ぎ澄まさなければならない。
自分で自分を現場の中に投げ込み、問題の中に自分の身を持ち込んでいかなければならないのである。
いわば、どの分野、どんな状況に投げ込まれても、徹底して現場から発想し、徹頭徹尾に現場で勝負する戦術、そして戦略を組み立てるだけの《現場の発想》がどれだけ持ちうるのかどうか。
それらを頭の中でいわば無尽蔵にあやつることができるような《戦略マインド》を動かせるようになるか。
そこにわれわれの挑戦があるのである。
現場で情報判断ができる人間になれば、人には見えないチャンスや、人には思いつかないアイデアが自分のものになるのである。