☆シフト・リンケージ戦略
☆シフト・リンケージ戦略
ある日のこと、うちの女子学生たちが相談していた。
閣下は聞いた。
「何を話しているんだい」
「お昼の弁当で残った焼き魚を近くのノラ猫たちにあげるんです」
感心だな。でも注意すべきことがある。
「待ちなさい。猫たちが無用に傷つけあうことになるよ」
学生たちはキョトン。
「どうしてですか?」
「弁当の空箱に焼き魚。そして、食べる猫たちは五匹以上。毎日、生存競争をしている野良猫が少しずつ食べて、みんなで食べるようなことがあろうか。必ず取り合いになって、強い猫が横取りして、弱い猫は食べられなくなるよ」
「どうしたらいいの」
「ここで猫がくわえられるように焼き魚をちぎって、空箱のまわりに散らばらせなさい。そうすれば争いは起こらないはず。野良猫も野生の生き物だから、野生の知恵はあるんだ」
彼女たちは私の言ったとおりにした。
すると猫たちは交互にやってきて、一つ一つの魚の断片をくわえ、静かに持ち去った。
弱い猫も子猫も取りにきたが、二度も来た猫は一匹だけであった。
「驚きました。先生の言った通りになりました。分けてよかった」
「私はそういったことを予測する方法論の専門家なんだから。二度も来た猫は弱いやつだ。自分の縄張りがないから、人間の目の前の方が安全だと知っている」と説明したわけである。
こんなささいで無害なことでも戦略シミュレーションの演習や実験は可能なのである。
ただし、学生たちが喜んだのは、私の策謀術が「猫たちを争わせたり傷つけることにならないように」という愛情、昔風にいうと仁心にもとづいているからである。
闘牛や闘鶏のように動物たちが傷つけあう争闘を楽しむような不仁の心で政策や戦略を語る人間は、精神病的動機を抱えて犯罪をくりかえす小動物の殺害犯や放火犯と同じで、非常に危険である。
私は天地自然の理と同じく、前章にも述べたような人倫人道を素直に表現できる仁心の有無は、天下公道を歩む戦略家と、目的のために手段を選ばない陰謀家を分ける境目であろうと思う。
どうして、この「焼き魚と猫たち」の予測が成り立つのか。私の考えたことは次の五つである。
(1)焼き魚は一つ。猫たちは五匹以上。焼き魚は大きい。一匹では運べない。
(2)猫は通常、縄張り争いをしている。仲良く並んで食べることはない。
(3)いつも生存競争をしているので、強い猫と弱い猫の間に序列関係がある。
(4)焼き魚を最初に発見するのは、最も強い猫とは限らない。
(5)一匹の猫が焼き魚を食いちぎる間に、他の猫たちが気づいて争奪戦。
そこで解決策として予測したのは次のことである。
(1)焼き魚を先にちぎっておけば、猫はそれぞれ自分用を口にくわえて運べる。
(2)強い猫でも人間が見てるので警戒し、独り占めをすることができない。
(3)猫たちは自分の「縄張り」に焼き魚を運んで、安心して食べたいのが本音。
(4)焼き魚を発見するのが弱い猫でも、強い猫が来る前にGetして逃げる。
(5)猫たちが時間差でGet&Goをくりかえせば争奪戦にならない。
これらの予測は正しく、私はみんなに面目をほどこしたのであるが、こんな小さなことにでも
「相手を知り、自分を知る」という《孫子兵法》の定石が生きているのである。
《三国志》で、諸葛孔明と司馬仲達が互いの出方を予測しあう話が出てきて、子供たちは喜ぶのであるが、私とノラ猫たちの関係も同じような理屈である。
私とノラ猫たちは別に会話ができるわけではない。
それでも私はノラ猫たちがいつもゴミ箱をあさって互いに争奪したり、Get&Goをしていることを知っていたので、ノラ猫たちに焼き魚を争奪させないためにはGet&Goさせるしかないという明確な答えを持っていた。
また、焼き魚の形態を「集中⇔分散」というシフト・リンケージでフォーメーションの変化をさせることで、猫たちの対応行動パターンも変化することを予測していたのである。
一つのシミュレーションがうまくいかないとき、基本条件に変化を加えると、もちろん結果は大きく変わる。
実現不可能な基本条件の突飛な変更は無意味だが、猫に食べやすいように魚をちぎるのは簡単なこと。
それで某乳業メーカーは「切れてるチーズ」をヒットさせた。
こうした戦略発想は、確かに新商品開発にも役立つのだ。
戦略理論は未来の結果を予測しつつ、次の一手で次に起きてくる状況を合目的に制御する方法論であるから、結果は演繹することができる。
例えば三国志の赤壁の戦いだが、どうして揚子江(長江)中流の赤壁が戦場となったのであろうか。
実は最近の研究で、北岸が平原で南岸に山脈が連なっている赤壁の地域は、北岸から南岸に上陸できない袋小路のような地形であり、その特殊な地形のため、冬でも気象条件がそろうと吹き返しの東南の強風が吹く特異現象が起きることが判明している。
だから最初に火攻め戦術を成功させる地形として、この赤壁が「決戦場」として選択され、ここに西からくる曹操軍を足止めし、東からくる孫権軍を一歩手前で展開させる戦略構想が実現したのである。
赤壁の特殊事情は、諸葛孔明も事前に知っていたであろうし、もちろん孫権軍の周瑜も現地の情報を把握していたであろう。
だからこそ、まず劉備と江南水軍が赤壁を拠点として防衛陣地を建設し、その後から呉の水軍も追いかけてきて防衛線を張り、その地点に曹操軍を停止させたのであった。
この時、南岸から何度か曹操軍の陣営に接近した船があって小競り合いがあったものの、いずれも「火矢箭」の攻撃もなく、放火されずにダメージもなく帰還している。
この時も弱いながら南風が吹いていたから、北岸から放火攻撃ができなかったのであろう。
そして、願ったとおりの東南の強風が吹いた時、歴史を決する赤壁の戦いは一挙に始まったのであった。
だから赤壁の戦いの本質は
「冬に南風が吹く奇跡が起きた」というよりも、
「真冬にも東南の突風が吹く地形に、敵軍を誘い出して、足止めをかけ、実際に強風が吹くのを待っていた」というのが正解である。
前講釈が長くなりすぎたが、本章の課題は、この《集中⇔分散》のシフト・リンケージ戦術である。
この《集中⇔分散》は重い課題である。
アメリカのTVシリーズの《コンパット》は、ベトナム戦争の時代に製作され、放映された白黒テレビ用の戦争短編であった。
そこでアメリカ陸軍の組織的問題などの断片も見え隠れするのであるが、実際のコンバット(戦闘)の現場はほとんどサンダース軍曹のビック・モローが仕切っていて、少尉で小隊長のリック・ジェイスンは命令伝達や補給を担当している。
この小隊中心の行動はQCサークルのようなもので、バスケットボールのようなチームワークをつくり、小型マシンガンとカービン銃などの有力な小火器でゲリラ的な戦闘を展開し、ヨーロッパ戦線で大きな威力を発揮した。
ところが、ベトナムのジャングルでは、このように小隊中心編成で散開して攻撃するゲリラ戦の方式が通用せず、逆に裏目に出たといえる。
ケ・サン基地の戦闘でも示されているように、北ベトナム軍は、ソ連軍の指導で大隊中心編成であり、各部隊はトラックに載せた野戦砲を常備していた。
日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件でも、ジューコフ将軍が率いるソ連軍はナポレオン戦争時代から伝統の重深陣地と多数の野戦砲を持つ旅団編成で、日露戦争以来の勇気一発一斉突撃戦法しか知らない日本軍を鉄鋼弾の破壊力で完全に圧倒した。
これは司馬遼太郎が一兵士として戦闘に参加し、その悲惨な敗退の体験からすべての原因を洗い出し、なおかつ筆をすすめることをためらった残酷な現実である。
アメリカの兵士たちも、アメリカの指導者たちの戦略の失敗で、ジャングルの奥深くに展開することになり、さらには戦術の失敗で北ベトナム軍の激しい砲撃に打ち砕かれていった。
ジャングルの中の戦いを「小隊中心の小火器によるゲリラ戦」だと勘違いしていた現地駐在軍司令部の戦術は、北ベトナム軍の「大隊中心の砲撃と包囲攻撃」というソ連式戦術には全く歯が立たなかった。
しかしアメリカ軍は、大規模な部隊編成の改革はできなかったので、戦術を変更し、ジャングルの戦闘は南ベトナム政府軍にまかせるようになり、アメリカの正規軍はむしろジャングルの中には近付かず、空爆援護によって北ベトナム軍の野戦砲をつぶす陸空共同作戦を多用した。
こうして、アメリカ陸軍は《集中⇔分散》という戦術問題を、いわば棚上げにしてしまったのである。
その失敗は、レバノン紛争やソマリア紛争で、PKF(平和維持軍)として出動したアメリカの小隊十人ぐらいが、危険地域付近で独自に行動し、味方の連絡網や後続援護も受けないために、中隊規模三十人から五十人のゲリラ襲撃を受けると、簡単に捕虜になったり、虐殺されたりする結果にも結びついていると思う。
アメリカがここまで失敗をして理解できないのは、それが軍事戦略の変更ではなく、究極的にはアメリカ伝統の軍事思想の修正を迫る課題となるからである。
GPSどころか地図もないジャングルの戦いにおいて、《敵軍は小隊の小火器でゲリラ戦に出る》と想定されたとき、アメリカの小隊戦法を戦術レベルで早く見直さなかったのは現地軍のスタッフの失敗である。
もし北ベトナムが小隊で戦闘を挑む軍隊であったならば、(現実には大隊規模である実態さえつかめなかったのだが)アメリカは中隊以上で敵軍を包囲攻撃できる単位で作戦行動をしなければならない。
この多数原則を守っていれば、アメリカ軍はハイフォン港の封鎖に踏み切る前にカンボジア国境付近で、ホーチミン・ルートを阻止する戦術に成功していたかもしれない。
《孫子兵法》にも
「敵軍の兵力と比較して、自軍の兵力が六倍ならば、包囲攻撃が可能になる」と明記されている。
包囲攻撃は大会戦においてもゲリラ戦においても、最も味方の損傷が少ない常勝戦術である。
したがって大隊レベルで行動している敵攻撃部隊に対しては、いつでも二個師団以上の兵力で迎撃包囲できるような態勢が必要であった。
《孫子兵法》でも「深ければ則ち摶し、浅ければ則ち散ず」と銘記されており、ジャングルの奥地のように、敵のテリトリーに深く入り込んだところ、すなわち「重地」では「全軍が一体となって行動せよ」と警告している。
現在の規模でいえば「数個師団で行動せよ」ということによる。
一体となって行動することによって、逆に進撃も退却も敵軍に察知されない確率が高まるし、言葉も通じない敵地に囲まれることで、大集団で組織としての連帯感も強まるのである。
しかし、「重地」で全体行動をとらずに、小さな規模で散開行動をとると、まさに致命的な結果になる。
敵地の中で小さな部隊は精神的に逼塞感に追い込まれ、各部隊の連絡もバラバラになり、連絡を頻繁にするようになればコードネームを使っていても敵軍にたやすく現在位置を察知される確率も高くなるであろう。
こうして十人ほどの小さな部隊は、三十人三小隊が連携行動していても、一千人規模で野戦砲六門、迫撃砲三十門を持つ敵大隊に包囲されると完全に殲滅されることになる。
企業戦略においても《集中⇔分散》のシフト・リンケージは非常に重要である。
企業として、どこに投資を集中するか、どの分野に人材を集めて事業を拡大していくか。
ある事業に集中投資して社運を賭けたリスクをとる道を選択するか、それともいろいろな事業に展開して総合的な収益を期待するか。
これらはみな《集中⇔分散》をいかに経済状況や社会動向にあわせて組織戦略に実現するかという課題をはらんでいる。
決断ができるのは《集中⇔分散》の変化の中でチームワークを維持する経験を重ねてきて、雑草のような根強さに堪えてきた集団である。
決断ができないのは、新規事業を集中すれば必ず落ちこぼれが出て、結果的には会社の方針に合わない人物をリストラをせざるをえない状況になってしまうとか、あまりに事業を分散をすると本業部門に人材が手薄になって組織全体が維持できないという不安があるからである。
大手電機メーカーで早めにリストラ計画を発表したキャノン、富士通、松下電器は、積極的に前者の選択に傾斜した事業整理と集中化の方針を示した。
それに対して、トップが経営戦略ビジョンの再構築の必要性を認めつつ、組織のリストラ問題を回避して、結局は事態を傍観していたソニーなどは、真っ先に挫折することになった。
古代ローマのジュリアス・シーザーもジャングルでの戦闘を経験している。
当時の戦場は現在のオランダで、ライン川の河口付近の湿地と大森林であった。
古代ローマ軍は百人小隊が基本だが、シーザーも最初は過ちを犯し、森林を小隊単位で分散して探索するという戦術をとった。
すると現地人のメナピ族は全勢力を挙げてローマ軍の一個小隊を突然襲撃し、全滅させてしまった。
報告を受けたシーザーは自分の戦術の失敗に気がついて、直ちに全部隊をジャングルから引き出した。
そして、全軍を動員して、片っ端からジャングルの森林を伐採し、その木材で堡塁陣地をつくりながら道路の建設をはじめた。
メナピ族はこの道路建設が大規模な侵略になると考えて、再び全勢力を挙げて奇襲攻撃してきた。
シーザーはこのチャンスを待っていたのである。
今度は圧倒的に数の上でも武器の力でも、二個軍団のローマ軍が優勢であった。
メナピ族はジャングルの中の本拠地まで追撃され、追いつめられ、家畜とともに撃滅された。
シーザーは失敗して犠牲を出すや、一日で《分散⇔集中》の戦術を変更して、分散行動から兵力を集中させる作戦に転換した。
しかし、表面的には、道路工事を守備する部隊は手薄に見せかけ、軍団の兵士たちは「伏兵」として、材木置き場の陣地に隠れていたのである。
これが正しい選択である。
このような《集中⇔分散》のフォーメーション変更などは、マスゲームのようにローマ軍の兵士たちは毎日のように訓練を重ねていたのである。
銀雀山竹簡から出土した《尉繚子》は、秦の始皇帝の軍師となった人物、尉繚(「尉」は秦の国尉という官職名で、繚は名前。姓氏は不詳)の著作であるが、秦の軍隊は行軍中に「三百歩」と歩数を決めて歩調をあわせて、いつも一万人単位で号令と旗で突撃訓練をし、最大で六十万人の軍勢を動かしていた。
そこでも《集中⇔分散》は、あの《孫子兵法》の解説する通り、旗や鳴り物の合図で徹底的に訓練されていた。
始皇帝陵の兵馬俑坑で、第3号坑という司令部の周囲に長い棒状の何かを持った兵士群と、地面に突き立てる石突き部分の青銅製の部材、「殳」が多数発見された。
これらが一両の大型戦車の周囲をとりかこんでいるので考古学者は天幕やテントを想像したが、私はこの第3号坑の兵馬俑はほとんどが命令伝達用の旗を持っていたという仮説を提出している。
そうでなければ、あれだけの大軍団全員に命令を伝達する手段がなく、司令部の意味がないことになる。
また大型の戦車には太鼓が載っていたのであり、戦車に大将がいないからといって、問題視することはない。
実際の大将軍は身の安全のために、別のところ、おそらく戦車部隊の後列から、手に提げた小さい太鼓で指示を出していた。
実際に《尉繚子》の軍隊指揮法にはそう銘記してあるのである。
バブル崩壊の直後に、銀座を起点として「牛もつ鍋」が少しだけブームになった時期があった。
私も「もつ鍋・元気」という名のチェーン店の銀座本店に行ったことがあるが、千円以下で飲んで食べられる安い牛もつ鍋の値段に吸い寄せられて長い行列ができていた。
今日でこそ牛モツ肉やハラミ肉は普通の食材になっているが、バブル崩壊以前には、このような内臓肉は普通の料理食材とは認められず、「ホルモン焼」の赤提灯の下がった居酒屋でしかお目にかかれない代物であった。
私が学生時代に行った店では、牛タンは四百円ぐらいだったが、ハラミ(横隔膜)の肉は一皿百五十円だったから、あまりの安さに気味悪くなって注文する気持ちにもなれなかったぐらいである。
それを今では焼肉チェーンで五百円ぐらいで出しているのだから、かなりの利幅をとっているものだ。
だから「牛もつ鍋」のブームは、今日の激安ブームの端緒になったのである。
さて、激安商戦のパイオニアとなると、今はどうなったか気になるであろう。
アメリカ産の牛肉がストップしてから、「牛モツ鍋」という看板はもう街中でみかけなくなってしまった。
私が行った「もつ鍋・元気」は、かなりの勢いでフランチャイズを伸ばしていったが、一年余りで倒産してしまった。
それはあまりに急激に「牛もつ鍋」がブームになったので、あちこちの居酒屋で「牛もつ鍋」がメニューに書き加えられ、需要量が供給を上回り、本来は廃棄物であるが故に激安だった内臓肉の相場が急騰し、一時は普通のロース肉よりも高値になるという異常な現象が発生したからであった。
新興勢力のフランチャイズとしては食材を切らしてチェーン店を閉店することは避けなくてはならなかったから、結果的に「内臓肉の投機」という実りのないムダな戦いに生き血を吸われつくしたのである。
加えて、前からくりかえしているように人間の教育も失敗していた。
マクドナルドやセブンイレブンのようなフランチャイズが、ほとんどアルバイトを主戦力として、どうしてこれだけ大きな全国的組織ネットワークを維持できるかといえば、全国一律に同じサービス方法で店員を教育する完全なマニュアルができあがっているからである。
倒産した銀座の「もつ鍋・元気」では、あまりにも長い行列の整理にアルバイト店員も嫌気がさして、
「もう並んでもムダですよ」と店の前で大声を出す始末であった。
それを見て、私は店長を即座に呼び出して、
「こんなバイトは早いとこ首にしないと、あんたのところは倒産するよ」と断言したものである。
経営組織は人間の成長とともに拡大していくのが自然な姿である。
「物をつくる前に人をつくれ」と松下幸之助翁は言っていたが、人づくりを後回しにすると、組織に不合理を抱えてしまうことが経験からわかっていたからであろう。
生産現場や営業企画の実態から離れた非社会人の発想では理解しがたいものがあろうが、同じように資本と労働を投入しても、経営や技術が違えば、同じ成果が出るわけではない。
労働者といっても、未熟な人もいるし、地位を確立して柔軟性を持ち得ない人もあり、組織を裏切る人もいる。
技術者といっても、才能は優秀でも会社の利益に貢献しない研究を深めていってしまう人もいるし、ことごとく意見が食い違う上司の下で労働意欲を完全に喪失した人もいる。
だからこそ指導者は将来や人材を見抜くような目利きが必要だし、そのような能力を持った人々を周囲において活用しなければ、組織は動いていかない。
