☆人事戦略の原理
☆人事戦略の原理
さて、これまで述べてきたリンケージ戦術の中で、最も注意を要する問題、すなわち指導者や各級のリーダー人材の人事選択という課題を、本講はここまで残してきた。
その理由は、この人事問題を考えることが、最もハードで最も良心を悩ませる課題だからである。
犯罪者にも親兄弟があり、妻子もあるかもしれない。
しかし、罪を憎んで人を憎まずということであれば、犯罪者は代償を支払わねばならないから、刑事裁判は相対的にいえば、自分の良心に恥じない選択ができるような、さまざまなバリアと制度によって保護されていると思う。
たとえ被告人に裁判官が法律に基づいて死刑宣告をしても、それで自分の良心をとがめる必要はない。
被告人が精神障害の疑いがあったとしても、悪夢に悩むことはないだろう。
ところが組織の人事問題は犯罪人を扱っているのではない。
原則は適材適所であるが、社会の変動で組織は変革されねばならない。
組織の中では、組織全体を失敗に導くことが罪悪であり、その責任は追及されねばならない。
例えば、一般に不倫関係というものは、醜聞であり、聞こえは醜悪でも犯罪ではない。
しかし、職場の中で不倫関係があるということは、場合によっては「職場からの追放」になる場合がある。
それは職場の中の人間関係や秩序を破壊する恐れがあるからだ。
それではIBM名誉会長の不倫はどうなのか。
東京都知事の不倫・隠し子はどうなるのか。
自由民主党前幹事長の愛人問題は何なのか。
夫以外の子供を生んでしまう元首相夫人のだらしない不倫遍歴はどうなる。
・・・・ということにもなるが、このような公然たる社会的な非難を受けることが彼らの宿命であり、天罰なのである。
彼らも人の上にたつような人間でなければ、市井の人々のように、誰にも知られずに出会って、誰にも知られずに別れをくりかえすようなことを誰からも批判されることはない。
非難を受けても、恥辱に耐えていろいろな事情が包み隠さず暴露されると、逆にみんなに同情されて地位を守ることにもなるのである。
ただし、人の上に立つ者は、こんなスキャンダルを起こさないように慎重に身を守っておけば、恥辱を受けることもないわけで、これは当然のことである。
教師のスキャンダルは、生徒ばかりでなく、その教師を知るすべての人々にショックを与え、教育不信を喚起する。
しかし、組織の失敗を防止するには、さらに事態の発生を未然に阻止するような人事の目利きが必要である。
経営が行き詰まる直前、末期的状態だった日産自動車の技術幹部は、自分の趣味で数億円の開発費をかけて、昆虫の「蝶」の羽根の発色構造を研究して、ついに七色に輝くシート・カバーを試作した。
しかし、こんなものは別な方法でも似たような同じものができる。
さらに、消費者が自分の新車を買うときに「七色のシート・カバー」がそんなに購買意欲をそそるような魅力的なアイテムになりうるのか。
そんな想像力も働かなかったようである。
こんな人を「技術馬鹿」というのである。
こんな人物をサッサと外に出すことを考えなかった会社は、逆にその報いを受けたことになるであろう。
缶詰は大量生産の商品だからこそ、一個百円で売れるのである。
だが、熟練職人が技をかけてブリキを加工し、数日かけて一個の缶詰に料理を詰め込んで完成するとなると、材料のコストは同じでも、労働コストは百円どころでは済まない。
日産自動車は、「大量生産」という開発ハードルをおかず、消費者が熱烈に待望するアイテムという現実的な商業価値の基準も持たなかった。
貴族趣味のお遊びのような役ただずのトリビア研究開発に資金を投入して、大穴をあけてしまったのだ。
たった一人の技術者の暴走を抑え切れなかったために、数億円以上のムダな投資の遺失利益の損害を出したというばかりではない。
このようなルーズ体質から会社全体が負債に沈没し、結局は内外の工場の閉鎖まで追い込まれたのである。
それでも技術者たちは平然とこう言ったであろう。
「そんなことは自分の責任ではない。いってみれば経営の責任ではないか」
だから経営者は、このような技術者たちが巨額損失を出す前に、お世辞の一つも言いつつ、
「こいつは危険だ」と目を光らせ、
「君は優秀だから、外の世界でも大丈夫、充分にやっていけるよ」と激励しながら、将来の禍害を招く前に、社外に追い出すような冷酷な目利きも必要なのである。
反対に「こいつは外に出すと危険だ」という場合もある。
第二次世界大戦の期間に、アメリカの情報機関は毛沢東やホーチミンと非公式に接触し、友好使節団を訪問させたり、秘密の援助協定も協議していた。
延安で毛沢東・朱徳と極秘会談したアメリカ陸軍の退役将軍は陸軍長官に次のような報告書を提出した。
「彼らの軍隊は、蒋介石の国民党軍よりも規律があり、彼らの指導者は戦略も作戦も見事である。国民党と対決したとき、彼らはおそらく勝利するだろう」
これは重要な予言であった。
しかし、これは無視された。
一方、ホーチミンと接触していたのはアメリカ国務省の公式エージェントであった。
彼らは友人となったほどの付き合いであった。
ホーチミンはアメリカの独立宣言を徹底的に研究し、北ベトナム政権の独立宣言の参考にして、アメリカの友人にも自分で草案を読み上げて意見を聞いた。
もちろん、これらの公式報告はコーデル・ハル国務長官のテーブルの上にはあったはずだが、トルーマン政権には引き継がれなかった。
逆にアメリカ政府は戦争終結後に、毛沢東・ホーチミンとの関係を切り捨てて、腐敗した傀儡政権に軍事力と援助資金を持たせ、共産主義の思想と戦い、スターリン以後にも社会主義諸国と対決することを宣言してしまった。
再選が危ぶまれたトルーマン政権の幹部たちは、優勢なリベラル派のデューイを退けるために、最右翼の赤狩り屋・マッカーシー上院議員をはじめ、保守的な右翼陣営と提携したからである。
つまり、「選挙の危機」が、いつのまにか意図的に「国家の危機」にすりかえられたのである。
今日ハッキリしている歴史的な真実から言えば、これらは「脅威の妄想」に基づくものに過ぎなかった。
事実でもなく、ましてや真実でもなかったのである。
もし、アメリカが蒋介石や国民党軍の幹部たちを「反共封じ込め政策」に強制せず、共産党と和解を仲介し、現在のイラクのように総選挙をやっていれば、もちろん国共内戦もなかったわけだ。
ベトナム戦争の拡大を推進したマクナマラ元国防長官が、対日戦争でアメリカ国務省とホーチミンが友好的な関係と連絡を持っていた事実を知ったのは、冷戦終結後のことである。
「大量破壊兵器の脅威」という「妄想」ばかりではなかったのである。
「妄想」とは何か。
つよく偏向した政治的要求が権力の意向を左右する時、事実や未来の兆しに関わる情報が無視され、政権の主張に都合の良いガセネタや、粉飾・誇張された説明がつくりあげる「幻想」である。
アフガニスタン紛争が終わったとき、アメリカがCIAのエージェントだったオサマ・ビン・ラービンを手放して、自分たちのネットワークから追い出してしまったのも大失敗であった。
あのテロ計画が、あのたった一人の男の仕業だとすれば、彼の思想に影響を与えることは可能であった。
彼の祖国であるサウジアラビアで英雄として帰国できるように、サウジアラビア王室にとりはからってやれば、今ごろ彼は首都のリヤドの高級ホテルで清涼飲料水を飲んで、ビジネスのよもやま話にふけっていたかも知れない。
オサマが、ニューヨークやワシントンの一般市民を殺害して平気だというのは、彼がその場所を実際には知らないからである。
彼の「妄想」では、ニューヨークは単にアメリカ帝国主義と世界資本主義の象徴だからである。
その後、彼が湾岸戦争以後のサウジアラビアの米軍駐留に反対をした時、アメリカの情報機関は彼の行動を説得したり、別な方向に仕向けるチャンスはあったはずだ。
ところがアメリカ政府当局は、これまで本気になってオサマを徹底的に追い詰めた形跡がない。
最近になってブッシュ政権が金融機関に働きかけ、オサマの活動資金源となっている各国のファンドを洗い出して凍結を指示した。
その時には、すでに事件の実行犯たちは航空機パイロットの資格を取得し、ハリウッドやオーランドなど高級住宅地内の間借りで暮らして、テロ決行の指令を待つばかりであった。
戦略もなく、時期もはずして戦術を展開すると、このような逆効果を生んでしまうのだ。
「オサマを泳がせたのは、アフガニスタンを徹底的に叩く口実をつくって、イスラム原理主義のグループを根絶し、中東問題を終わらせるためではなかったか」という疑いも生じてくるのも、根拠なきことではない。
これと同じ方法、つまりカウボーイの決闘術と同じように、
「相手に先に発砲させてから、その直後に相手を確実に仕とめれば、その正義を誰も疑わない」という常套戦略は、パール・ハーバーでも使われた。
それ以前のアメリカ・スペイン戦争でも使われた。
米西戦争で、アメリカはパナマに支配権を確立し、キューバにグアンタナモ基地の永久租借権を獲得したが、これもスペイン側の国境侵犯を理由に侵攻作戦が開始されたのである。
ユーゴスラビア紛争でも、アメリカは当初は冷淡なほどセルビア系武装集団の暴虐をほしいままにさせ、人種浄化(エスニック・クレンジング)も放置していた。
国連平和維持部隊が襲撃されても対抗措置は提案しなかった。
湾岸戦争も、アメリカはイラクのクウェート侵略の意図と準備を見抜きながら、サダム・フセインを止めようとしなかった。
これも大きな問題となった。
クウェート奪回のため、ブッシュ(父)大統領はアメリカ上下両院議会を説得しなければならなかったが、議会証言に立ったのは「駐米クウェート大使の娘」という少女だった。
彼女は議会でハッキリとこう証言した。
「私は見ました。イラク兵たちがクウェートの一般市民の家庭を略奪し、若い女性を暴行しているのを見ました」
この証言は何度もニュースのカットで全米に流され、アメリカ留学中の私も何度も目にした。
しかしながら、これは後で判明したことだが、少女の発言は明らかな偽証であった。
彼女はイラク軍のクウェート侵攻の時には、サウジアラビアにいたからである。
「大使の娘」というのもウソだった。
アメリカに亡命するために、クウェート大使が「養女」にしたばかりだった。
こんな謀略めいたこと、つまり世界最強の国家を中東地域の介入戦争に導くための契機を、亡国の大使が一人で勝手に立案して実行できるものなのか。
こうした常套手段と歴史的経験から判断すると、アメリカの情報当局は、オサマをわざとアフガニスタンに置き、結局はアフガニスタンを攻撃する口実をつくろうとしていたのかとも考えられる。
このように、ただでさえ良心と緊張に悩まされる人事問題に、敵対者のライバルが意図的にスパイを送り込んできたり、善良な組織人たちを色や金で誘惑して寝返らせたりするものだから、謀略の闘争に対処することは実に大変なことである。
しかし、やられっぱなしということはできない。
適切な対抗策を打ち、こちらも手持ちのカードを使わなければならない。
戦略によっては、こちらも非情になって謀略の手段を用いなくてはならない。
だからこそ諸君、非情の本当の意味を理解せよ。
経営は、人任せにしたり、他人の知恵を使うと簡単にも思われるが、他人を疑ってかかると、こんなに難しいものはない。
たった一人の友人関係でも、相手によっては悩みも多いし、相手にふりまわされることもある。
たった一人の存在や、たった一日の経営判断が遅れただけでも、天地雲泥の差と相当のコストの差額を支払わねばならない場合もある。
経営判断の現場は、まさに激烈な闘争の修羅場なのである。
そして経営は、柳生剣法の《活人剣》のごとく、
「一人を切って、万人を活かす」という非情な生き血を吸い上げるような生き地獄でもある。
「数人を活かして、万人を失業させる」という方策は、どんな場合にもありえないはずなのだ。
ところが、「会社をつぶしながら数人の経営者は巨額の退職金を持ち逃げする」という実態が社会的な批判を浴び、日本の企業も変革の刃を突きつけられている。
食中毒事件で、経営判断を誤った会社社長が社会的な非難を浴び、業務上過失致死の容疑で逮捕され、刑事被告として有罪判決を受けることなど、これまではありえなかったことだ。
そうなると、大昔のヒ素ミルク事件とか、水俣病事件とか、もっと多くの被害者を出しながら、企業経営者の判断で会社ぐるみで隠蔽が実行され、最終責任があいまいにされた事件は何だったのか。
水俣問題の会社経営者の孫娘が今はいったい何をしているのか。
だからこそ、目利きの能力をもって組織を見るものは、その組織全体を防衛するためにも非情にならなければならない。
非情こそ本当の愛なのである。
大学の講義でも、大学院でも、私が「非情になれ」と決めつけるのは、私自身もある意味で良心に反するものがある。
しかし医師の場合であれば、他人の足や腕を切り落とすのには、それ相応の理由があるはずだ。
もちろん専門家の診断として病根病巣を発見するからではないか。
われわれもまた戦略によって組織を成功に導いたり、失敗に落ち込むことを避けようとするならば、場合によっては汚れた垢を落としたり、のびた爪を切ること以上の決断をしなければならない。
人間の身体のてっぺんは首や頭ではなく髪の毛であり、定期的な散髪は必要なことだ。
汚れたら洗い落とさねばならない。
汚れを洗い落としていれば、散髪をしなくても調髪で長い髪の毛は美しく保たれる。
しかし、腰まで髪の毛をのばしている人はあまりいない。
腰の下まで髪の毛をのばしている女性は、私の記憶では学生時代に一人だけいたが、きっとギネスブックに挑戦するつもりだったのだろう。
経営のトップについても、天地自然の理で、同じような考え方でよろしい。
《逸周書・武称篇》は、この人事問題を扱っている。
美男破老、
美女破舌、
淫図破□、
淫巧破時、
淫樂破正、
淫言破義、武之毀也、
「美男破老」とは、権力者が美男の若者に寵愛の気持ちから必要以上の権力を与えてしまい、経験のある年功者の慎重な意見や危機感が押さえ込まれてしまうこと。
良くも悪くも旧体制には対抗勢力が生じるが、御老人の話が常に正しいというわけではない。
しかし、いろいろな経験を経てきた歴戦の勇士の直言は、どのような時代にも一再考を要すべきものがあるはずである。
一方で、何のしがらみもない若い世代の素朴かつ新鮮なアイデアというものが、まったく新たな前進をもたらすことも事実である。
このような言論自由の原則が徹底していれば、内部で混乱を起こすこともなく、また謀略によって、身元や前歴も目的も不明な人物が横行して、内部をかき乱すこともないであろう。
「美男」というのは、何も本当に容姿が美しい男性というわけではない。
例えば、タレント学者のように話し方も流暢で、大量の得票で政治家になって、本人も有頂天になっている場合、このような人物が常識はずれの理屈を並べて世間を誤り導こうとした時、言論の手段によって、これを叩くことは非常なエネルギーが必要である。
古代ローマのオクタヴィアヌス・アウグストゥス皇帝は、自分の容姿に極度に注意を払い、自分自身が行けない辺境の神殿にカリスマ化された神像を奉納した。
これらはスリムな姿や筋骨の太い姿など、いろいろなバージョンがあり、どれ一つも彼自身の実像ではないとも言われている。
彼は、元老院の政治的な支持によって大きな権力は持っていたが、市民一般から畏敬されこそすれ、愛されてはいなかった。
彼を愛したのは、不倫関係から正妻になったリウィア・ドルシアだけであり、彼女の連れ子のティベリウス・クラウディウスが養子の後継者・第二代ローマ皇帝となったのである。
ところが、オクタヴィアヌスの最後のライバルだったマルクス・アントニウスはローマ市民一般から「寵愛されていた」という。
つまり、アウグストゥスの本当のライバルは「市民たちの寵愛」だったのである。
それが極端に美化された肖像神像のミステリーの謎解きとなる。
「美女破舌」とは、文字通りに美女の集団を他国に送って風俗を壊乱させ、正義や秩序を混乱させること。
この《逸周書》の主な舞台となっている周初の時代には、文王が殷の紂王に捕縛されて抑留された時、太公望呂尚が極秘に対策を練り、周公旦が蘇雰生と相談して、美しい女性たちを募集して歌舞団を仕立て、殷の朝廷に贈り物として行かせた。
これを王后・妲妃が喜び、紂王に盛んにすすめたので、文王は禁固から解放されることになった。
武王が殷王朝を打倒してから、ほぼ七百年で蘇雰生の子孫の蘇伯は滅びたが、「蘇雰生の土地」といわれた領地は、周王朝の直轄地として諸侯領間の中立地だった。
そこには黄河の渡し場である要所の「孟津」が含まれており、蘇雰生が文王の身柄釈放に多大な功績があったことを証明している。
戦略とともに歴史はくりかえされる。
現在の山西省で銅鉱山の利権を得て、強国の基盤を確立していた晋国は、さらに南の岩塩の産地、《塩池》を勢力圏におさめようとした。
激しい労働をともなう鉱山開発の経営に《塩》は食料とともに必需品である。
大塚製薬の飲料水ポカリスエットのCMで、1930年代のニューディール政策で計画されたフーバー・ダム建設現場で脱水症で多くの人々の生命が奪われた時、ハーバード大学医学部教授の提言で生理食塩水の飲用が普及され、それよって多くの人々が救われたことを紹介していた。
海から遠く離れた内陸の黄土高原にある《晋》には《塩池》の獲得は国内の物価を安定させ、周囲の内陸諸国を併合する大戦略を実現するためにも必要であった。
しかし《塩池》の付近には、小国ながら名門の虞公と、周室の遠征にも参加して侮りがたい軍事力もある郭伯の領地があった。
そこで晋の謀臣・荀息は、郭伯の側近に美男のスパイを送り込んで、その軍事力の秩序をかき乱した。
立派な家臣の多い名門の虞公には遊牧民の血を引く美女たちを送って、宮廷の秩序をひっくり返すように仕向けた。
その上で虞公に同盟を申し込み、郭伯の暴虐を征伐するという名目で、虞公の領地を晋の軍隊が通行することを要請した。
心のある家臣たちは反対したが、女たちのことで晋侯に感謝し、逆に郭伯に腹を立てていた虞公は、晋の陰謀も知らずに許した。
こうして晋は郭を打ち破って併合し、しばらく後に虞も包囲して、結局のところ無防備な虞も併合した。
それから二百年後、壮年の孔子が魯国の大司寇(法務大臣)まで勤めて、政治腐敗の改革に乗り出しながら、その職を一夜にして辞して他国に亡命したのも、主君の魯の定公が斉の景公から美女たちの歌舞団を受け取り、政務や祭礼を放棄したからであった。
苛烈な抗議の辞職だったのである。
斉の景公は一時は魯から来ていた孔子を客卿に抜擢任用しようとした経緯もあったが、名臣の晏嬰(晏子)の反対でつぶされた。
孔子の心が、祖国の魯に向いていることを見抜いたのである。
魯に「女楽」を送ったのも、晏子の謀略であった。
孔子は斉の国益のために非情に徹する晏子を一言も非難せず、むしろ身分の低い市民たちや商業者たちに寛容な政策をとる「恵み深い人」と言っている。
それから三十年ほどして越王句践が呉王夫差に会稽山に包囲され、伝説の美女・西施など越の女たちを送って滅亡をまぬがれた事件があった。
この美女集団は策謀家にあやつられ、やがて呉の宮廷をかき乱し、『孫子兵法』の孫武とともに楚と大遠征を戦った謀略家・伍子胥を破滅させた。
伍子胥はもちろん越の女たちを謀略の一手であると考えて、全て首を切るように主張したのだが、そのために呉王夫差と対立して、自殺に追い込まれたのだった。
その後、呉と呉王は越王句践によって滅ぼされた。
ごく数年前も、日本の現職の総理大臣が、某国の公安関係の経歴を持つ美人の女性通訳と高級ホテルで個人的な会食をして、本人は「それだけで別れた」というのだが、同じホテルにチェックインしているので、その女性通訳と離婚した元の夫が総理を相手に裁判を起こすというおかしなスキャンダルになった。
これはどこの国の差し金かは知らないが、現職の総理大臣の権力や国民的な支持を弱めるために、一人の女性を送り込み、風俗産業と同じやり方で男性を篭絡し、事実かどうかは別にして「汚名」を着せることには成功したのである。
その総理は結局、選挙に大敗し、辞職を余儀なくされた。
小泉政権の成立前には、この人も政治的復権をめざして立ち上がり、前評判も上々だったが、フタをあけてみると全国で非難と罵声が飛ぶ始末で、最大派閥のオーナーでありながら、散々に敗退してしまった。
「淫図破■」は、テキストの一字が欠損しているので、実際の意味は半分以下しかわからないが、一説には《礼・淫図破礼》であるという。
ただ末尾の一語で、「老舌・■時・正義」は古韻の止音語と長音語の組み合わせだと思われるので、長音語に分類される《礼》ではなくて、《典》や《仁》など「破る」に対応する古代の止音語に絞るのが妥当と考えられる。
論語では、礼は「破る」のではなく、「棄てる」のが批判の対象になっている。
そこで私は《典》を採択する。
《典》は供物を盛り上げた祭器が並んでいる机壇の形をあらわす象形文字であり、現行制度や通常の政策決定のプロセスなどをも包含する。
また、この《典》は、殷の甲骨文字にもよく使われる古い用語である。
《図》は、もともと「河図」という星座のような伝説的な図表があり、殷時代から地図や星図を点と線だけで表現したものを称していた形跡と根拠がある。
したがって、「淫図」というのは今日のワイセツ系の絵画などではなく、国家の祭礼を混乱させるような「星のお告げ」とか、君主の判断を誤らせるような「占いの御託宣」が、合理的な判断をネジ曲げることを警告したものである。
「淫巧破時」とは、君主・指導者の決断力を鈍らせる計略である。
「巧」というのは、人間的な手わざを意味するが、
「法律を論議する前には、あらかじめ大臣と綿密に相談してください」などというもっともらしい官僚的な妨害も意味する。
それで大臣官房が大臣のスケジュールをあやつって、相談時間を削ってしまえば、「法律の論議」そのものを弾圧することができるわけだ。
日本国憲法に保証された言論の自由をいかに弾圧するか、現代の官僚組織のノウハウは完璧である。
しかし、《逸周書》のつくられた時代は古代である。
「審議会の答申を待たずに発言をすることはお控えなさい」と嫌味な忠告をする者はいなかっただろうが、
「今日は日が悪い。明日にしましょう」などと言ったり、
「祭器の位置が曲がっていた。これは不吉だから、儀式を一ヵ月後にやり直そう」と言ったりすることはよくあったであろう。
現代でも、かつて大蔵省幹部が重要な金融協調政策決定の合意文書を
「今日は日が悪いから、別の日に発表しよう」とアメリカの財務省高官に申し入れたとか、
「この法案は慎重な審議をつくしたとは言えないから、半年後の国会に継続審議しよう」などという話を聞いたりすると、私は現代と古代の混乱を感じるのであるが。
ちょっと脇道にそれるが、私は以前から公立学校の教職員に、犯罪歴を持つ者や公然とワイセツ行為をする者がまぎれこんでいるにもかかわらず、各県の教育委員会は教員組合や教師の手厚い権利擁護の制度のために、事実を隠蔽して処分も停職以下の穏便なものにしていると告発してきた。
埼玉県では、ワイセツ行為をした校長を一般教員に格下げしたところ、配置先の学校で父母や地域住民の反対運動が巻き起こった。今年になってから、われわれの犯罪教師批判運動にマスコミも注目し、週刊文春がキャンペーンをうってくれた。しかしながら文部科学省の態度は非常に冷淡なものであった。
われわれはインターネットで全国組織をつくり、各地の公立学校教員の犯罪を調査して、次々に警察に告発したり、各教育委員会に働きかけを行なったが、昨年の夏休みの二ヶ月間に、問題になった教師たちは全国で265人もいた。
そのうち表沙汰になって処分されたのは55人で、警察に逮捕された教員は35名にのぼった。
「こんなに犠牲が出るまで政治が何もしないというのならば、わが国の政治はいまだに人間の生き血や生け贄を捧げなければ何も物事が成就しない、古代の犠牲呪術と同じレベルだということだ」と唾棄したものである。
われわれは全国で、これからも徹底的にワイセツ教師追放キャンペーンを続け、彼らが教員に再就職しないように情報連絡をしていく。
「淫樂破正」とは、「不正なことを楽しむ風潮がはびこると、人々は正邪の判断がつかなくなり、社会から道徳心や公共心がなくなる」ということだ。
これは、われわれの社会の危機でもある。
「樂」というのは、古代の音楽のことであるが、
「音楽の流行が変わると社会は変動する」という哲学的な警喩が古代思想にはあったのである。
私はこの仮説を真実だと思う。
今日、児童虐待が深刻な社会問題になっているが、その原因は、実は「子守り歌を知らない母親たち」にある。
私は世界のあちこち、富んだ国も貧しい国もいろいろな地域を旅したのであるが、どこへ行っても赤ん坊を抱いた母親は子守り歌をくちずさみ、唄っていた。
ところが最近の日本ではそうはいかないらしい。
赤ん坊が泣き出すと、まず母親はその顔をにらみつける。
母親本人は心配してのぞきこんでいるつもりなのだが、赤ん坊は母親の笑顔と苦い顔の区別はつく。
それでますます泣き出す。
それに対して、最近の母親がどうするか。
よく観察してみるといい。
おむつを替えなくちゃならないとあわてたりとか、「はいはい」と大きくゆさぶったり、あるいは「ダメッ」と叩いたりしているのである。
一人として子守り歌をうたって、乳児の心を癒そうとする女はいない。
それで「子守り歌を知らない赤ん坊」という一種の情感不全で後天的な人格障害を持ったミュータントが出てくるのである。
私はよく成功した人に「人生の恩師はいますか」と問いかけるのだが全く100パーセントの確率で「います」という答えが返ってくるので、まず例外はないと思われる。
反対に不幸に取り付かれ、性格がゆがんだような人と話した時には、「子どものころに聞いた、お母さんの子守り歌を覚えていますか」とたずねることにしている。
この答えも100パーセント例外はない。
「子守り歌とは何か」と逆に聞き返されることもしばしばである。
子守り歌を知らない母と、子守り歌を聞かずに育つ赤ん坊は、やがて凄惨な破局を迎える人間関係であることは間違いなさそうである。
そして、そんな情感不全で人格障害を抱えた人間ばかりになった社会も、どのような不幸と惨劇が待ち受けているかは、われわれが現在、今まさに目の当たりにしているところである。
「淫言破義」とは、「奇怪な言論が人々を支配して、悪事をすると富裕になり、怠惰な愚か者が威張り腐り、善事を行なうと馬鹿にされ、勤勉で有能な人が虐待される」という光景である。
インチキが明白なカルト宗教の指導者とか、麻薬を常用して逮捕される芸能人とか、そんな人間がよくマスコミで取り上げられて、顔も名前も有名になると、いつのまにか同情者たちも公然と集まり出して、「宗教弾圧はよくない」とか「麻薬を禁じる制度がおかしい」というおかしな議論になり、結局はカルト宗教団体を依然として存続させてしまったり、麻薬撲滅運動に対して「合法的麻薬解禁運動」があれよあれよという間に増殖して、ヨーロッパ諸国のように実際に麻薬を解禁してしまったり、オーストラリアのように麻薬の注射器を公費で配布してエイズ感染を防止するということになってしまう。
義は「儀礼・儀式」にも通じる。
《義》というのは、もともと村祭りの祭礼の日に、犠牲に供した羊の肉をそれぞれ老若男女の分限に合わせて、平等に切り分けることを意味した。
それで「羊」に「我」とつけて、「義」というのである。
羊の肉を切り裂いて、分量を決定する役目を《宰》といった。現代でいえば資源配分の決定者であった。
だから資材配分の決定権のある人物を「宰相」という。
うまく切り分ければ、村の人々は喜び、祭礼もつつがなく終了するが、切り方がうまくないと不満が残り、後々の争いごとの原因にもなりかねない。
それが「不義」ということなのだ。
《易経》には「天下の財を政するを義と曰う(財政天下曰義)」の一句がある。
われわれの社会もまた、不平等な世界の微妙な均衡の中に立っている。
やはり不義な政治、不義な経済では、社会秩序は成り立っていかないのである。
「武之毀也」とは、これらの六種の異常事態の背後に、明白な権力闘争の陰謀ありと教えながらも、
「場合によっては、敵対者を破滅させる策謀の術数の一つに頭に入れておけよ」というわけだ。
「敵対戦略」を内部から自壊させる手段もまた非常に有効な「戦略」の一つなのである。
悪魔の非情な誘惑か、あるいは不動明王のみが持ちうる「両刃之剣」とも言うべきか。
このような戦略的な思考方法に対して、「非暴力主義という方法もあるじゃないか」という考えもあるかもしれない。
しかしながら、実際に調べてみると、あのガンジー老の政治運動にも戦略的な思考はあったのである。
彼の言葉で「I have my strategy」と述べている。
「私にも戦略がある。敵を刺激して、敵に罪を犯させるのだ。暴力をふるう相手を見つめて、決して目を離さないことだ。その相手が暴力をふるい、不正義をおかし、私を侵害しても、その全ての被害の証拠を記録することができれば、彼はその罪によって裁かれ、その損害を償わねばならない。彼を擁護するいかなる権力も不正であり、共犯の罪を犯すことを私は立証するだろう」
ところで、《春秋左氏伝・成公十五年(紀元前五七六年)》には、次のような歴史記述がある。
楚の共王が鄭を侵略し、衛の国境まで攻め込んだ。
衛の隣りの国の晋では元帥の欒書が「すぐに楚と戦おう」と主張したが、部下の将軍の韓厥は冷静にこう言った。
「その必要はないな。もっと楚王に暴虐の罪を作らせて悪者に仕立てるのだ。そうすれば楚の民衆は王の暴政に反抗して立ち上がることだろう。国民に背かれたら、楚王だといっても、戦争を無制限に拡大することはできないはずだ(無傭、使重其罪、民将叛之、无民孰戦)」
このガンジー老の戦略と将軍韓厥の論理は、二千五百年の時空を超えて驚くほど近似している。
こちらの側にきちんとした戦略があれば、他人に暴力をふるわれても、それを根拠にして別の手段に転換すれば、最終的には勝利をする場合がある。
このように戦闘には負けても、戦略で勝利する場合もあるわけである。
肉体的には無力で非力な性質のガンジー老は、まさに無刀の極意をきわめた歴戦の剣士のように、このように素手をもって強大な権力と弾圧に戦ったのである。
戦う心と戦う知恵こそ、戦略の源泉だということを、これほどはっきりと示すものはないであろう。
われわれも自分自身の油断を戒めつつ、正義のために戦い続けることに誇りを持とうではないか。
