☆人事戦略の理論
☆人事の戦略(1)☆
さて、われわれはこれまで理論的な戦略について検討を重ねてきたが、学問は自分のためにするものだ。
自分自身を、より優れた知識、知見の習得によって改善しなければならないのだ。
いったい自分自身に多くの人々の上に立ったり、戦略問題を議論するような資格や将来的な素質があるのか、ないのか。
厳しく自問自答してもらいたい。
素質というのは、志である。
あふれんばかりの知識欲と、物事を実行する決断力、そして素直な心である。
勉強嫌い、優柔不断、頑迷偏屈な人間というものは、その存在すら有害なのに、係長だとか、課長だとか、中間管理職どころか、先輩気取りのヒラ社員でも迷惑千万なのだ。
まず自覚せよ。
経営者の素質がない人物によって率いられた組織の末路は、実にあわれだ。
企業の経営者なのに、人前に立ってハッキリとものも言えない人物もいる。
交渉一つまとめることができない人もいる。
それでも部下の支援で何とか形をつけているので、組織の上に立っているが、
「別の人物が経営者をしていたら、もっといいのに」と思わざるをえない。
幼少の子どもを殿様にしたり、能力が不足していても長男を征夷大将軍にするような時代ではない。
ましてや民間企業や公的な組織はトップに実力のある有能な指導者を立てることが何よりの生命線である。
無責任な立場で評論しているうちは結構だが、指導者本人や、指導者に意見する立場になると、結果責任を自覚しない人だと、その職は全うできない。
孔子の門下にも宰我という小ざかしい弟子がいた。
口先ばかりうまく、その心底には誠実さがなく、強烈なエゴイズムが渦巻いていることに気づいた孔子は、
「君がそう考えるなら勝手にそうしなさい」と教育を放棄してしまった。
後に宰我は斉の簡公に認められ、抜擢されて政治権力者として一時的に活躍したが、結局は反対派に包囲されて処刑された。
主君の簡公も巻き添えになり、臣下の田常の手下に殺害されてしまった。
「私はうわべだけの才能で宰我を判断して失敗した」という『論語』の一句は実に痛烈である。
孔子は「反逆者の田常を討つべし」と魯公に進言したが、「私も魯公の家臣として表向きはそう言わねばならなかった」とも述懐した。
最大の元凶は、自己の才能を過信した宰我であり、そんな危険人物を放置し、野放しにした自分自身の怠慢にあるという反省もあったのだ。
この内省の問題は、第一講からくりかえして指摘していることだ。
いくら巧みな戦略を立てたとしても、その実行部隊を掌握する組織の指導者が不活発な人物で、戦略の読みにもついてこれないし、それを上回るような提案もなしに実行段階で事態を転覆させてしまうことがある。
ところが、当の本人は「最善の努力を傾注した」と形だけ応答している。
あるいは部下や他部署に責任をなすりつけている場合がある。
「自分は悪くない。知らなかった」とご本人は必死に抗弁するのだが、こういった人物にはガツンと本音を一発御見舞いしなければならない。
「どこかの幼稚園児みたいに知らない知らないですむ問題なのか」
閣下が「ワイセツ変態教師は警察に告発しよう」という運動を展開しているのは、みんなもう知っているだろう。
こんな記事が出ていたが、いい傾向だ。
★春の全国交通安全運動初日の6日、鳥取市立福部小学校(岡田栄子校長)の男性教諭(40)が酒気帯び運転で鳥取署員に検挙された。男性教諭は、校長や同僚らが同席した会合で飲食していた。市教委の中川俊隆教育長は「交通安全運動のさなかに、子どもに交通順守を指導する教員という立場にありながら、極めて遺憾」と陳謝(中略)。県教委の処分は今月中旬にも出される見通しだが、関係者によると、中川教育長は岡田校長に「監督責任を問う厳しい処分も覚悟するように」と伝えたという。[読売新聞 2005年4月7日(木)]
「監督責任」を、教育長から校長に注意して自覚させるとは、少しは「常識化」がすすんだな。
少し前の実情はどうだったか。
「そんな、うちの学校の教員のやったスキャンダルなんて、校長の私は何も関係ありません。何も知りません。どうして、無関係の私が処分を受けるのですか」
とまあ、教育委員会の「監督責任論」に憤然、色をなして激しく反論する「他人事の校長」が実際に多かったものなのだ。
閣下はシッカリと校長・教頭たちの「発言」も録音している。
「これはXXX区立XXX中学校校長のX年X月X日の発言である。諸君の意見を聞きたい」と6人分の実名と録音を公開してもいいが、人権侵害になるから、そいつはやめておこう。
6人が全く同じ言葉で、恥知らずの責任逃れの幼稚な抗弁をしているのだ。
「異口同音」じゃなくて、これこそ「別人同言」だ。
「それはあなたの誤解ですよ」なんて、勝手な解釈の余地があるか。
未だに自己保身のために逃げ隠れする無責任な校長や教頭は多い。
自分の処分を怖れて、ごまかしや隠ぺい工作に積極的に動き、普通ならば戒告処分なのに、事実が露見して減給処分になった悪意の「陰謀校長」もボコボコ複数出てきたぞ。
こういう人種は人間性が根本から腐りきった事なかれ主義の出世病患者たちだ。
何も驚くことはない。
文豪・夏目漱石『坊ちゃん』の時代から、校長や教頭はそういう腐りきった人間たちが多いわけだ。
指導者がこのような状態だから、組織も不活発になるのである。
だから経営コンサルタントが各企業の不採算部門に出かけていって、まず手をつけるのは不活発な人材を更迭するか、不活発に陥った指導者たちのモノの考え方を変えさせることである。
そして戦略がわかり、成功経験もあり、自分の取れる責任の範囲で冒険もできる人材を探し出して、組織の前面に立たせ、抜擢人事をすることである。
そうでもしないと、組織はまったく起死回生するチャンスをつかむことはできない。
何度も紹介しているが、三千年以上前の古文献、《逸周書・官人篇》は次のように人事問題の判別法を列挙している。
これを復唱して、自分自身がどれだけの人間か、そしてどんな人間になろうと考えるか、一つの指針としてもいいと思う。
______
富貴者観其有禮施、
貧賤者観其有徳守、
嬖寵者観其不驕奢、
隠約者観其不懾懼、
金持ちや地位の高い人物には、品位や礼儀、そして貧しい人々に対する慈善や目下に恩恵を与える姿勢があることを人物評価の判断基準とする。
逆に貧しい者や地位の低い者は、廉潔心や貧しい者たちの中にある人望、罪悪に関わるものを身辺に寄せつけない操守など、克己心や禁欲的態度があるかを人物評価の判断基準とする。
君主の女性の側近や、年若く寵愛を受ける者については、ただ驕慢や奢侈の性癖がないかを調べる。
スパイのように、秘密の任務を委託する者については、何事も懼れず、信ずれば千万人とも我行かんとする信念の強さ、堅さを調べる。
其少者観其恭敬好学而能悌、
其壮者観其廉潔務行而勝私、
其老者観其思慎而□疆、
年少の者を判断する場合は、礼儀正しく、どこか愛嬌があり、知識欲が旺盛で勉強好きだが、目上には敬意を払い、目下にも知識を求めてへりくだる心の持ち主を良しとする。
壮年、働き盛りの人物を判定する場合は、意欲があり余ったり、誘惑に振り回されることも多いわけであるから、清廉潔白の信念と、与えられた使命は確実に果たすという約束を守る心、そして自己犠牲をいとわず、自分を乗り越える精神を持った人物を良しとする。
老年、働き盛りを過ぎた人を判定するには、考え方が安定していて目下の者にもよく気を配り、肩肘をはらずに広い心を持つ人物を良しとする。
其所不定者、
観其不踰父子之間、
観其和友君臣之間、
観其忠恵郷党之間、
亡命者や新参者など、平素の言行を知る人もなく、人物の判定が難しい場合は、まず肉親の間にトラブルがないか、つまりしばしば人間の心に反したり、他人の恩恵を裏切っても平気な人物ではないかを調べる。
次に仕事上の友人関係や、職場の中の上下関係にトラブルがないか、つまりは組織の人として周囲に調和して物事を進めることができるタイプか、一匹狼かを調べる。
最後に目下の者たちの評判や、その人物を良しとして信頼している人々の感想とか、郷里の人々だけが知っている親子代々の評判、近隣の人々だけが知っている年少時のありさまなども調べる。
つまりは隔世遺伝や精神構造の形成の分析にまで入っていく。
観其信誠、省其居処、
観其方□、省其喪哀、
観其貞良、省其出入、
観其任廉、省其交友、
その人物が本当に信義があり、誠実な人物であるかどうかを確かめるには、その生活態度を検証すべきである。
その人物が本当に品行方正であり、□□な人物であるかどうかを確かめるには、他の葬儀など儀式に当たっての態度や、その所作や表情を検証すべきである。
その人物が本当に貞操の意志があり、賢良な人物であるかどうかを確かめるには、その出処進退の実情を検証すべきである。
その人物が本当に任務遂行の責任感があり、清廉な人物であるかどうかを確かめるには、その交友関係にどんな人々がいるかを詳細に検証すべきである。
設之以謀、以観其智、
示之以難、以観其勇、
煩之以事、以観其治、
臨之以利、以観其不貪、
濫之以樂、以観其不荒、
例えば、試みにスパイを近辺にはりつかせたり、策謀に引っかけてみる。
それをたやすく見破れるかどうかで、その人の智謀の力を試すことができる。
いろいろと困難な条件を提示し、危険性や複雑な事情も明らかにしておく。
「それでもやるぞ」と言える人物は非常な意欲と勇猛な精神があるといえよう。
次から次につまらない単純作業や、難しい事務作業を押しつけてみる。
それも超人的なスピードでこなしてしまう手腕を持つ人物ならば、安心して人の上に立たせることができる。
大きな利益を目の前にぶらさげて、たやすく誘うことができれば、利益に引きずられやすい人間かどうかがわかる。
敵対勢力で寝返りを打たせるのは簡単だが、再び相手の利益に釣られて寝返るかも知れないから、よく見定めねばならない。
大きな宴会の主賓に招いて、酒酔や女性の快楽を用意して、その心をかき乱す。
それに凡人のように溺れてしまうような者は、口先では大きなことを言っても何もできない小人物である。
逆に寸分も心を乱さずに、笑顔の中に鋭い眼光をひそませた人は確かに大物である。
喜之、以観其軽、
哀之、以観其重、
酔之酒、以観其恭、
縦之色、以観其常、
道之、以観其不二、
眤之、以観其不狎、
復徴其言、以観其精、
曲省其行、以観其備、
此之謂観誠
その人物が何を喜ぶか。
それを観察すれば、その人物の軽さを判断できる。
その人物が何を哀しむか。
それを観察すれば、その人物の重み、忍耐強さ、粘り強さがわかる。
どんどん酒をすすめて酔わせてみれば、その人物のうわべだけの態度は化けの皮がはがれる。
たくさんの美女が次々に誘惑をしかければ、その人物の素行や本性が浮かび上がり、隠すことができなくなる。
何か話をさせて、その発言を書きとどめておくのは、その人物に二言はないか、言行の不一致はないか、日和見で信頼できない人物ではないかを確かめるためである。
初対面の人物でも、親しげに近づいて親切そうにふるまうのは、その人物が高慢になり、なれなれしい態度をする人物ではないかを確かめるためである。
事あるごとに発言内容の強弱変化を比較して調べるのは、その人物の精神構造を分析して心理状態の変化をつかまえるためである。
ケース・バイ・ケースによって、その人物の行動を観察するのは、しっかりと系統だった判断力が備わり、実践によって鍛えられているかをためすのである。
このような人事上の分析を重ねていけば、その人物の信誠がどれだけのものかを比較して、判断することができる。
其色倹而不諂、其禮先人、其言後人、見其所不足、曰益者也、
いつもは無表情で、特に人に媚びたり、上にへつらうことはないが、すすんで頭を下げ、他の人の意見を聞いてから自分の考えを述べる。
一見すると、謙虚のあまりに、どこか食い足りない人物のような印象もある。
このような人物を「勉強好きな人」という。
好臨人以色、高人以気、賢人以言、防其所不足、發其所能、曰損者也、
感情を露わにして人と争論することを好み、負けん気で他人の議論を打ち負かそうとしたり、手前勝手な理屈で自己満足している。
自分の弱味や補うべきところには目もくれず、他人には自分のいいところだけを見てもらいたいと思っている。
これは「勉強好きな人」とは反対で、「いつまでたっても進歩がない人」という。
其貌直而不止、其言正而不私、不飾其美、不隠其隠、不防其過、曰有質者也、
その表情は実直でスキがなく、いつも真剣な眼差しをしている。
その発言はすがすがしく、私利やたくらみというものを感じさせない。
自分のいいところや功績を誇張して主張したりせず、分の悪い隠し事を隠したりすることもなく、失敗や過誤の経験もごまかそうとしない。
これは「正直者」という。
其貌曲媚、其言工巧、飾其見物、務其小證、以故自説、曰無質者也、
その表情はいつも慇懃無礼な作り笑いでゆがみ、その発言は立派だが虚構に満ちている。
外見を飾り立て、実質にはとらわれず、ちょっとした仕事の成功を大げさにとりたて、自分こそは大人物だと勝手に思いこんでいる。
これを「空っぽの人」という。
喜怒以物其色不変、煩乱以事而志不営、深導以利而心不移、臨懾以威而気不卑、曰平心而固守者也、
いろいろなことで喜ばせたり怒らせたりしても、その表情は常に冷静である。
たくさんの細かい事務を押しつけて困らせても黙々と作業をこなして不平を述べたりしない。
カネ・地位・名誉などの利益を見せつけて小さな不正やちょっとした背信を誘っても全く関心を示さない。
権威や暴力で脅迫しても臆することなく、態度も変えず、意気を張って逃げない。
こういう人を「いつも平常心を保ち、それを曲げない人物」という。
喜怒以物而心変易、煩乱以事而志不治、導之以利而心遷移、臨懾以威而気□懼、曰鄙心而仮気者也、
いろいろなことで喜ばせたり怒らせたりすると、その表情は露骨に一変し、心の中の感情が顔の上にムキ出しになってしまう。
たくさんの細かい事務を押しつけて困らせると、不満タラタラで作業をする気も起こらない。
カネ・地位・名誉など小さな利益を見せつけられ、不正や背信を誘われると、罪悪感もなく、後先も考えずに飛びついてしまう。
権威や暴力で脅迫されると、とたんに臆病になり、ズルズルと陥落してしまう。
こういう人を「心の修練も鍛錬もしていないくせに、うわべだけで威張り腐っている人物」という。
設之以物而数決、敬之以卒而度応、不文而弁、曰有慮者也、
いろいろな質問をして、その答え方をためしてみても、すばやい判断力があり、わざと美点を褒め上げて高慢にさせようとしても、礼儀と節度を忘れずに謙虚な態度をとり、無学であっても、発言はしっかりとしている。
このような人を「分をわきまえながら志のある人物」という。
難決以物、難悦以守、一而不可変、因而不知止、曰愚依人也、
いろいろな質問をしてためすと、混乱して答えることもできない。
わざと美点を褒めると高慢チキになって手もつけられなくなる。
バカの一つオボエで状況の変化や時代の趨勢も理解できない。
自分自身を抑制して、悪習や違反、無礼を働かないように配慮して気をつけるつもりもない。
このような人を「愚劣な甘えん坊」という。
営之以物而不誤、犯之以卒而不懼、置義不可遷、臨之□色而不過、曰果敢者也、
仕事をまかせてみると少しの手落ちも手抜きもない。
圧力や弾圧に対しても決して屈服はしない。
これこそ正義だと信じたら、頑としてそれを守り抜く信念と覚悟を持ち、感情がおもてに出ることはあっても、ヒステリックになることもない。
こういう人を「困難を恐れずに突き進む人物」という。
移易以言、志不能固、已諾無決、曰弱志者也、
発言がコロコロと右往左往し、いつも何を考えているかよくわからず、自分が何を言いたいのかも自分でわからず、多数の意見に隠れて同調して動くだけで、自分では何をなすべきか考えたこともない。
このような人物は「志が低い者」である。
順序之弗為喜、非奪之弗為怒、□静而寡言、多稽而険貌、曰質静者也、
事の道理をわきまえないと喜びも顔に出さず、事の道理に反することがなければ、怒りも顔に出すことはなく、いつも平静な態度を保ち、言葉を選んで慎重に発言する。
教養も経験もありながら高慢な態度はとらない。
このような人を「沈着冷静で、仕事ができる人」という。
屏言而弗顧、自順而弗護、非是而疆之、曰始誣者也、
事なかれ主義で問題の本質をみきわめようともせず、自己保身にせいいっぱいで、無実の罪に問われた人を助けようとする気持ちも起こらず、自分に都合が悪いことは排除したり、隠蔽して事実をネジ曲げようとする。
このような人は「自己中心的なエゴイストで、他人に迷惑をかけたり、傷つけることを何とも思わない者」という。
徴而能發、察而能深、寛順而恭倹、温柔而能断、果敢而能屈、曰志治者也、
物事をたずねれば、必ず明快な応答で発言し、その見識も教養の深みがある。
しかも寛容で度量があり、謙虚でつつましやかである。
やさしく柔和そうだが優柔ではなく、決断すべきときは決断する。不正を憎み、困難をものともせず、圧力や障害にも屈しない。
このような人物は「大きな志をつつみ治めた人」という。
言行不類、終始相悖、外内不合、有仮節見行、曰非成質者也、
言っている事と行う事が似ても似つかない。
口先ではうまいことを言うが、実行がまったく伴わない。
始めたら途中で投げ出し、終わったら仕上げがいい加減になっている。
外見を飾り立てても、内心は動揺し、精神の鍛錬もしたことがない。
都合のいいことを見つけてはチョッカイを出すけれども、都合が悪くなると逃げ出してしまう。
このような人間を「中味のない人」という。
言忠行夷、争靡及私、財不求及、情忠而寛、貌荘而安、曰有仁者也、
発言はおだやかで誠実そのものであるが、実行するときは鬼神のような行動力がある。
争いごとを嫌って、いつも身の回りから争いのタネをなくそうと気をつけている。
おカネも財産も無理に稼ぎ出そうとはせず、必要なものは必要なだけ与えられると信じて、ありあわせで満ち足りている。
性格は誠実であり、率直だが、寛容である。
表情には気力が満ちているが、人をひきつけるおだやかさもある。
このような人物を「仁心のある人物」という。
事変而能治、效窮而能達、措身立方而能遂、曰有智者也、
何か変事が起こっても、少しもあわてずに冷静に対処し、緊急事態に対しても、どのような手を打ち出すかをあらかじめ心得ている。
修羅の現場に飛び込んでも、少しも動揺することがなく、みずから人々の先頭にたって問題を解決する。
このような人物を「知恵のある人」という。
少言以行、恭倹以譲、有知而言弗發、有施而行弗徳、曰謙良者也、
口数は少ないが、空ぶかしの理屈は言わない。
しかし自分で言ったことは必ず実行する。
控えめでつつましやかで、自分の功績であっても同僚や部下の貢献を強調する。多くの教養と知識を持ちながら、そのことをひけらかそうとはしない。
ほかの人々を助けたり、救いの手をさしのべながら、恩義や返礼にはこだわらない。
このような人物を「謙虚で善良な人」という。
徴忽之久而可復、幽間之獨而弗克、其行亡如存、曰順信者也、
何度も催促しても、なかなか返事をよこさず、外界と人間関係にわずらわされるような、こまごました接触をさける。
大自然の中に自活して引きこもり、自分から世の中に出ようとはしない。
生きているのか、死んでいるのかもわからない。
しかし大自然の摂理に通達した第一級の知識人であることは間違いない。
このような人物を「大自然の法則に通暁した隠者」という。
貴富恭倹而能施、厳威有禮而不驕、曰有徳者也、
名門に生まれ、裕福な財産がありながら、実生活はつつましやかで、ムダがなく、派手なことはしないで、後輩や部下に目をかけ、目下や若い者にも温かい言葉をかけることを忘れない。
イザとなると威厳のある振る舞いもできるが、つねに折り目正しい礼儀を守り、決して出過ぎたことはしない。
このような人を「徳のある人物」という。
隠約而不懾、安樂而不奢、勤労而不変、喜怒而有怒、曰有守者也、
国家の大任を密かに依頼されても臆することがない。
安楽そうにしていても、富貴だからといって奢りたかぶらない。
いつも勤労に精を出して、その質素で真面目な日常生活が若いころとほとんど変わらない。
物事の長短を明らかにして、原因や問題点を突き詰めてから、然るべきところは決然と怒って叱る。
褒めるべきところは褒める。
このような人を「道義を守り抜く人物」という。
直方而不毀、廉潔而不戻、疆立而無私、曰有経者也、
いつも道義と礼式を重んじ、自分からふざけたり、型をくずすようなことはしない。
廉潔で、少しも曲がったところがない。
強引に物事を成しとげるところもあるが、決してエゴイストではなく、自分のために他人を追い落とすようなことはしない。
このような人を「物事の筋目を重んじる人物」という。
虚以待命、不召不至、不問不言、言不過行、行不過道、曰沈静者也、
君主から命令を受けなければ、才能を隠して凡人のように生活している。
君主が正式に招聘し、任務を下さるのでなければ、自分から有能さを売り込むことはない。
君主が質問しないことは、自分から知識をひけらかさない。
自分の行動は自分の発言の範囲にとどめ、自分が不可能だと思うことは決して発言しない。
このような人を「沈着冷静な人物」という。
忠愛以事親、驩以盡力而不回、敬以盡力而不顧、曰忠孝者也、
真心と愛情で肉親のためにつくす。
仕事にも全力をつくして後悔せず、交遊相手に対しても誠意いっぱいに応対して、自分をかえりみない。
このような人物を「忠誠心と孝徳の人」という。
合志而同方、共其憂而任其難、行忠信而不疑、光隠遠而不舎、曰交友者也、
志を共にして、一緒に同じ道を進むことを決意したなら、同志の悩みや苦しみに共に心をいため、行動も発言も相手の気持ちを傷つけないように注意して、少しの疑惑を起こさせないように配慮してくれる。
遠方に離れて住んでいても、すぐ近くにいるように感じる存在感のある人。
このような人物を「最高の友人」という。
志色乱気、其人甚偸、進退多巧、就人甚数、辞不至少、其所不足謀而不已、曰偽詐者也、
表情が定まらず、話していることの目的も要領もよくわからない。
長く話していると、前後の内容が矛盾して混乱している。
しかし物腰は軽く、いろいろな人々と気さくに交際する。
女性をくどいたりするテクニックや、他人を話術で誘導したりする技法は巧みにあやつっている。
交際相手をひんぱんに変更して、女性との付き合いもガラリとのりかえる。
しかし、その言っていること、やっていることをよく観察すると意味のあることはほとんどない。
だいたい深く道理や後先の結果を考えることもなく、その場の都合で間にあわせて、その場その場をごまかしてもいいと思い込んでいる。
このような者を「詐欺いつわりを平気でする人」という。
言行亟変、従容克易、好悪無常、行身不篤、曰無誠者也、
発言と行動がことごとく矛盾し、口先ではたいそうなことを言いながら実行がともなわない。
机上の空論をブチ上げながら、現場に出かけて問題の矛盾を見ようともしない。
状況や立場が悪くなると、態度を一変させ、問題から逃げ出してしまって、困難に立ち向かおうともしない。
好き嫌いが激しく、しかも好みと排除する相手がコロコロと変わる。
自分の身を修めることには無頓着で、欲望や利得や感情を抑制することができない。
このような者を「誠実さが微塵もない者」という。
少知而不大決、少能而不大成、観小物而不知大倫、曰化延者也、
細かい専門的な知識はいっぱい持っているが、さて世の中や人生の大問題に直面すると、ハタと困って自分自身を誤ってしまう。
大したことのない才能や一芸にこだわって、それを世の中のためにどう生かすかという観点は持ったことがない。
小さな事物にこだわって、歴史の変動や社会の変化は理解できない。
このような者を「優柔不断の学者バカ」という。
_________
これが中華文明の智恵というものだ。
しかし、この『逸周書・汲冢周書』の存在は、閣下がすでに『曹操注解・孫子の兵法』初版で再評価したものだ。
伝統的な訓詁学者さんたちは、時間があったら御勝手に頭の体操でもやっておいてくれ。
※原文の「□」は、古い漢字(特殊文字)なのでネットには表現不能です。
