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曹操閣下の食卓

☆Geostrategique☆

☆Geostrategique・地政学について



 「地政学Geopolitik」というのは、前世紀に一度は死んだ学問である。
これはナチスドイツ帝国で他国を侵略する戦争の論理を形成したということで、ニュルンベルク裁判でも関係者が断罪され、現在でもタブー視されている。
 特に日本国内の大学の講義で「地政学」という科目を発見することは、まず考えられない。
 しかし私があえて同じ訳語で地政学と呼ぶのは、《Geostrategique戦略地理学》であり、戦後のフランスで盛んに研究され、ECや今日のEU・ヨーロッパ共同体の理論的な支柱になった学問である。
 あえて言うならば、古い「地政学Geopolitik」が侵略と戦争のための学問であると断罪するなら、今日の地政学Geostrategiqueは平和と安全保障のための学問であると私は主張したい。

 日本国憲法の研究や、その一方的な解説をまるで新約聖書の福音のように国際的に広めることが世界平和に役立つと信じている自称「平和学者」は、平和な国の中で平和を説いているから海の中で水をまくようなもので、現実との矛盾が聞くものにも本人にも明らかにならないのである。
 国際的な場で、平和や安全保障を議論するとき、この戦略地理学=地政学の知識は不可欠である。
 地政学の議論を理解できないと、むしろ非常識とか平和ボケの誹りを逃れられないであろう。
 韓国政府も「地政学的条件」などを術語として認め、外交文書にも使用している。
 それではそのまま戦略地理学と言えばいいじゃないかと思われるかもしれないが、古い「地政学Geopolitik」と現在の地政学Geostrategiqueの基本的な原理はほとんど同じものなのである。
 もちろん情報機器の発達で、この分野の学問の進歩は大きく、分析用具やアプローチの方法論も増加し、主要内容も変化した。
 しかし原子物理学を核兵器に使っても原子力発電に使っても、物理学が断罪されることはないし、劇薬や毒薬をあつかっても薬化学が非難されないように学問に犯罪性があるのではない。
 左翼であろうと、右翼であろうと、科学的真理性に基づかない言論や政治の圧力で、学問を弾圧することが不当であり、ましてグローバル・スタンダードの時代に日本以外の他国で通用している枢要な学識が日本国内では無視されたり、あるいは見えない相手に遠慮して後ろ向きに論じられる知識の鎖国状態を私は憂慮せざるをえない。
 だから私は堂々と《地政学》の名称を使う。

 《逸周書・小明武篇》にも次のように記されている。
 「他国の領土を攻略する方法としては、必ず地理条件や交通網・人口分布・産業分布など国政の実態も把握する。そして常に最新の情報を入手しつつ、過去のデータも入念に研究し、天が与えたチャンスを利用して動く。政治の長短や欠点を逆手にとって敵国の民衆の支持を得てから攻撃し、後に防衛や抵抗の拠点となるような場所を壊滅させる(凡攻之道、必得地勢、以順天時、観之以今、稽之以古、攻其逆政、毀其地阻)」
 このような原理原則があるからこそ、地勢条件をつかんだ側と、不利な条件に拘束された側では決定的な戦略レベルの位差が生じる。
 これは三国志の赤壁の戦いを前章で解説した通りである。赤壁が決戦場になった時、西北から攻める曹操軍は戦いをしかけるチャンスがなくなり、東南から攻める孫権軍は主導権を握って奇襲のチャンスをとらえることができたのである。

 とはいえ地政学は単に侵略戦争のための手段ではなくて、世界や社会を理解する上でも絶対に必要な学問である。
 麻酔薬は、多量に使うと神経を麻痺させて死に至る劇薬だが、適量で効能を発揮する。
 大学の講義に地政学の講座がないように、高校までの教科書にも「地政学」の名前は出てこない。
 しかし、その方法論はあちこちに見え隠れして出てくる。
 例えば、中学や高校で「歴史地図」という資料があったことを記憶していないだろうか。
 言葉や年号だけで歴史を暗記しても意味がない。
 そこで歴史地図の上で、どことどこの国々が争い、どこが戦場になったかを調べたりすると、なるほどと納得した記憶はないだろうか。
 これが実は地政学の半分であるといってよい。

 地政学のもう半分は、そのような過去の歴史的データをふまえ、現在と将来の地理上の政治関係を分析したり、シミュレーション予測することが主な仕事になる。
 だから地政学研究という現実の課題に結び付けをしないで、欧米の世界史を学ぶことは、ある意味で植民地的な欧米的価値判断の刷り込みになるし、舶来趣味の高等教養として歴史知識を蓄えるという非現実的かつ非実用的であるが、人畜無害な目標に堕してしまっているのである。
 日本以外の他国では、古代史は現代史につながり、さらには現実と将来の世界像や世界観の形成まで連続したカリキュラムが存在している。
 戦後の墨塗り教科書のトラウマであろうが、世界史の知識と世界観の陶冶が結びつくことを懼れる人々はGHQの学問弾圧のトラウマを本当の教科書としているに違いない。

 さて《地政学のすすめ》ということで、この学問が実際に何の役に立つかという問題から答えよう。
 国境線問題などの研究になると、本当に国と国との利害が衝突する問題だから、何で戦争が発生するのか、どうしたら平和が維持できるかという日本の現実から遠い理屈になってしまう。
 しかし、それは地政学の一つの課題に過ぎない。

 例えば、国内の地方自治体の境界線を合理的に線引きして仕立て直したり、その政治経済上の利害を計算して調整するという仕事が、日本では全くなおざりにされている。
 あなたの町の地図を見て、川の周囲に地方自治体の境界線が「弗」の字のようにジグザグに交雑しているのを見たことがないだろうか。
 私の住んでいる世田谷区と川崎市の間を流れる一級河川の多摩川だが、地図の上では本当に子供のお絵描きのようにメチャメチャな境界の線引きになっている。
 現地に立っても、別に境界線に沿って標識が立っているわけでもない。
 あったとしても何の役にも立たないからつくらないし、「その線引きが合理的か」という問題意識も持たないのである。

 東京に移転したサッカーチームのヴェルディが川崎を本拠にしていたのは、巨人軍の多摩川グラウンドと同じように、多摩川の河川敷が最初のホーム・グラウンドであったからであるが、川崎市も世田谷区も互いに現在の川の本流をまたいで、いわゆる「飛び地」をもっている。
 大きな河川敷では数十年単位で川の流れが変化するので、一昔前はきちんとした境界線になっていた川の流れがだんだん蛇行してズレてしまうことはよくある。
 それにあわせて、境界線を変更すればいいのだが、河川管理や固定資産税の徴税権、上水道取水口や下水道放流溝などの河川利用権もあるから、これまでの地方自治体は互いにこの問題を放置していたり、無視しているのが普通である。

 東京都も、実にいびつな形状をしている。
 新宿から出ている私鉄の小田急線に乗ると、世田谷の成城学園前駅を通って多摩川の河川敷をまたぐと、そこは川崎市生田区と麻生区である。
 ここは生田丘陵の森の緑と新興住宅街が目立つ地域だが、やがて川崎市と町田市の境界線を越えると風景はガラリと一変する。
 東京都の飛び地、町田は駅前デパートだけでも三つあり、量販店は四つもある商業集積地であり、地方の県庁所在地に匹敵するほど大きな市街地を持っている。
 そして町田市の道路交通体系は、東・西・南の隣接地よりも、北の東京都多摩ニュータウンと強く結ばれている。
 町田駅の次の相模大野駅は、神奈川県相模原市の中心だが、近年に急速な開発が進み、広い街路に公共施設を中心に大きな建物が並んでいる。
 この相模原市の交通体系と、町田市の道路網はジグソーパズルのようにいりくんでいる境界線に断絶され、国道などの主要道路と住宅街の中の小さな道がつながっているにすぎない。
 私は中選挙区制殿の時代に、相模原と町田の間で街頭宣伝車を乗り継いで、神奈川と東京の二人の立候補者を応援した回ったので、現地現場でその不合理を痛感したのである。
 このように国内の地方自治体の境界線も、これだけ経済的な格差や発展形態の違いを生じるのである。
 このようにいびつな発展形態を、世界システム論の術語では《不均等発展》というのであるが、こうした身近な課題に答えるためにも地政学の考察は不可欠である。
 不均等発展は社会的な格差をもたらすし、この民主主義社会においても、地域間の差別や対立を生じる原因にもなっている。

 これに対して、われわれは不均等発展でもなく、全国一律のような画一的な平等主義でもなく、各地方自治体が戦略的な発展形態を追求することによって、それぞれの地域の特色や歴史風土のプラス面を引き出し、たくさんの花々がそれぞれの美しさやあり方を咲き競うような文化的な前進を求める。
 世阿弥の《風姿花伝》を再び紹介するまでもないが、人間として個人の幸福の追求が大切であるとしても、地域社会としての幸福がどのようなものであるか、どのような将来戦略をもって社会変動をプラスに導いていくかという発想は、地政学によって得られると思う。
 学問によって問題を提起し、学術によって分析用具と解析手段を求め、学問の中で徹底的に論議して解決を求める。
 これからはそのようにして地域間の対立や民族間の対立を考えたり、身近な地方自治体の問題も解決をしていかなくてはならない。
 地政学という学問を発展させることによって、日本の地方自治で実験され、成功をおさめた方法が、あるいは地球のどこかで、地域間紛争や国境紛争の原因の解決に実際に役に立つこともありうるかも知れないのである。

 神奈川県の茅ヶ崎市と藤沢市は、多分にもれずに境界が交雑していて、ある藤沢市の境界地の市民には
 「茅ヶ崎の公共施設の方が利用しやすい」という声があり、別の地域では茅ヶ崎市側にも同じニーズがあった。
 そこで両市の各市議会の同志が協議して、市立図書館の利用カードを相互に交換して、利用者の住所に交通便利な図書館が使えるように両市で制度改善をしたところ、市民から「これは便利になった」と喜ばれたという。
 この地域間提携政策は、他の地域の地方議員にも影響と刺激を与え、「私たちもやりたい」という同志たちが集まって、全国でも運動が広がっている。
こうして不均等発展に対する地政学の戦いが始まっている。

 結局は地方自治制度を改善して市町村合併を集中して実行するのが解決になるだろうが、行政区分を決定するときに地政学的な要件として、四車線以上の公共道路を指定したり、河川法の適用を受ける河川敷などは河流の変動にあわせて変更するなど、柔軟な規定が望ましい。
 明治時代までは地域間で農業の水利権を争奪する「水争い」で、川の周囲の村々はみな対立しているのが普通であった。
 その相互に交雑した勢力圏の線引きが、明治維新の土地所有権の設定と地券発行に反映されて、ジクザグの境界線を生んでいるのであるが、こんな古い争いを現代の地方自治体が引き継ぐ理由もない。
 このような言語道断の不合理と不利益を告知して将来的にプラスになる解決策を提示するのが地政学の役割である。

 経済学の分野にも「資源配分」という考え方があるが、現実には役に立たない。 本当に有限な世界の富が資源配分の均等化の原理によって支配されるならば、われわれの先進諸国はもっと貧しくなり、低開発地域は福祉国家のように働かなくても豊かになれる。
 われわれの生活もまた不均等発展という原理があるからこそ、労働賃金が安い国と貿易していても、他国より高い国産品の生産や流通に関わっている人々も、ある程度は一応の生活が守られる仕組みになっている。
 しかし脱皮をしないヘビは死ぬ。地政学はこうした現実の問いに答える学問であり、その挑戦はまだ始まったばかりである。

 つい先日、私は福岡に行ったのだが、タクシーの運転手さんが「この橋が博多と福岡の境界だ」とか、「われわれは福岡市民とか福岡人だなんて自称はしない。博多っ子というんだ」と不機嫌そうにいう。
 これはしまったと思った。
 「福岡の景気は最近どうですかね」みたいな軽口を言ってしまったのだ。

 いわゆる博多っ子は、江戸っ子よりも誇りが高い。
 博多は戦国時代、同じ時代のドイツのハンザ同盟都市や堺のように町人が独立自治で形成した中世の自由都市・フライエ・シュタットであった。
 そこに岡山から黒田如水官兵衛が乗り込んできて、自分の郷里の地名で福岡城を築いた。
 だから現在でも博多っ子の本拠・博多区と、全国から寄せ集められた戦国の黒田武士の子孫が多い中央区との間には、橋一つとっても対立があり、博多っ子は「福岡」という地名に反発感がある。

 中央区の人々にも「福岡」とか「黒田武士」のアイデンティティがあるらしい。
 自分たちを一段高く考えたりする傍若無人の発想は、社会的に拡大すると公益の独占であり、封建的権威の残滓である場合もある。
 西鉄の本拠、中央区天神に都市交通が集中し、巨大な地下街もあり、JRの博多駅の便利さが今一つなのも、その名残りといえる。
 一昔前の福岡市内は、国道の大通りに必ず「西鉄バス」の専用車線があった。
 これはもちろん西鉄が運営していた「路面電車」の既得権の「なれの果て」でもあるのだが、理由といえばそれぐらいのことだ。
 それでも「国道の占有使用」が黒田武士も当然だと考え、博多っ子も不思議がらないようなところがあったのである。
 当時の日本社会党も日本共産党も、そのおかしな状態を受け入れていたというのだから、あきれてしまう。
 これは全くの「共同幻想」に他ならない。

 「西鉄専用車線」の廃止の経緯はこうだ。
 たまたま細川内閣の成立直前の総選挙の時、福岡市街を街頭宣伝車で走り回った日本新党の同志たちが、その存在を発見して、非常に憤慨した。
 「公私混同もはなはだしい。国会で問題にしてやる」
 そのような議論が総理官邸で巻き起こると、西鉄本社は大いに脅威を感じ、ついに「自主返上」という形で、専用車線は廃止された。

 しかし、博多っ子も元をただせば堺の北にある伯太町の羽田氏・秦氏を起源として、「伯方の塩」で有名な瀬戸内海の伯方島を通り、博多市内中心の櫛田神社に大幡主大神を祭った人々だ。
 鎌倉時代までに渡来人の居留も含めて「那の津」の一角に、箱崎八幡宮とは独立して博多水門を開拓したのであるから、福岡藩や黒田武士のように千年や五百年の違いはあっても同じ立場であった。
 「五十歩百歩」という言葉もあるが、現代のわれわれが、過去の無意味なしがらみにとらわれ、発展のチャンスを見失うことようでは困ったことである。
 地政学がここで役割を発揮すれば、福岡はもっと面白く発展することができるに違いない。
 玄界灘のような雄大な大海原を背にして、同じ街の人々がお互いに怨念の歴史を語り合って、コップの中の争いをしていても、何の意味もないように思う。

 かといって各地でアメリカ式に大規模に進んだウォーター・フロント開発など、私に言わせれば《仏をつくって魂を入れず》ということで、生活に便利な街づくりではない。
 ここでも、現代政治が「不均等発展」という課題に正面から向き合って答えを出そうとせず、ゴマカシの行政を権力で押し通そうとする古い考え方が見える。
 自分たちの自由になる埋立地で、遊園地のようなショーケース入りのモデルをつくるために膨大な公費を投入し、攻勢的にも見える大規模開発政策だが、どこにも「成功した」という話はない。
 その実態は、失敗の要因を多く抱えた本質的に「逃げ」の戦略であること、そのことを当事者たちが全くわかっていないことを心配している。
 その失敗のほころびもあちこちに見え隠れしている。
 東京都の臨海都市開発公団は今年度で経営破たんした。
 都庁の役人たちの「城」が一つ、だれだか小役人の大昔の無計画な夢想のために、結局のところ自滅して果てたのである。



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