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カテゴリ:ブレックファスト
今日、閣下は大きな、小さな旅をした。
「大きな」というのは、半日ずっと歩いていたからだ。 これは大きい。 朝六時から昼まで。 疲れはしないが、かなりの運動になった。 「小さな」というのは、新宿から汐留までの距離。 地下鉄の大江戸線を使えば、30分もしないで到着する距離だ。 そこを歩いた。正味五時間。 朝四時半。 前日の深夜までのつき合いがたたって、帰りの終電をなくした閣下は新宿のインターネット喫茶で朝を迎えた。 今日は休みだ。 朝日の出る気配を感じて、私は何か誘われるように東に歩き始めた。 市ヶ谷台まで来ると朝日がのぼった。 真っ赤な朝日をながめ、拝礼した。 そのまま歩く。 防衛庁の隣りは、わが中央大学法科大学院のある市ヶ谷キャンパスだ。 しかし、ここは早朝だから閉まっている。 青梅街道から市ヶ谷で外堀の橋を渡る。 すると、そこは靖国神社の裏参道だ。 閣下は迷うことなく、靖国神社に向かった。 神社の正門前で朝日が正面の菊御紋を輝かせていた。 朝六時。 靖国神社は開門した。 朝一番参りをこころがけているのか、何人かの人々が開門を待っていた。 彼ら騒がしい老人や、派手な衣装を着た右翼系の若者の拝礼を待って、私は自分なりにゆっくりと拝礼した。 私は賀茂朝臣、神霊と通力のある神族の子孫だ。 拍手は神殿全体に響きわたり、奥殿の神前も鳴動する。 これは本当だ。 そこで私は自分の名刺を出し、次のように書いた。 大宮司殿 御自ら北京に参向され、中国人民の誤解を鎮撫する事、御願い奉る。 これを守衛の人に渡した。 「日本のため、国家のためだといって、神職にわたしてください」 朝からいい仕事をした。 九段坂を下り、一ツ橋をわたった。 お堀端の和気清麻呂朝臣の像を見た。 拝礼。 つづいて、大手町の三井物産本社ビルの裏にある平将門公の首塚に行く。 拝礼。 ここは関西の人にはなじみがないだろうが、映画《帝都物語》の舞台になったところである。 私の祖母は、この将門公の末裔なのだ。 東京駅の地下道を通り、八重洲口から5月5日の日記に書いた一石橋に来た。 ここで大きな間違いに気がついた。 私は一石橋を次のように書いている。 案内の説明板を見ると、あまりにも有名な「迷子探しの親柱」のエピソードは何も書かれておらず、ただ橋の名前の由来と架け替え工事の履歴が淡々と事務的に書いてあった。 これは大きな間違いで、実際には花崗岩づくりの「親柱」の左に、緑色のフェンスに囲まれて、東京都重要文化財の「一石橋迷子柱」はちゃんとそこに実在したのだ。 私が見落としていたのだ。 拝礼。 日本銀行本館前を通り、三越本店前で日本橋を渡る。 午後八時。 さすがに腹が減った。 目の前に「小諸そば」。 四百円の二枚もり蕎麦を食す。 日本橋高島屋と丸善の前で、銀座通りに曲がり、京橋に来た。 プラチナ本社の一階にカフェが開店している。 ここはなぜかホームページがないので紹介はできない。 モーニング・セットのクロワッサンは絶品だった。 朝の銀座通り、明治屋と千疋屋の本社屋をながめながら、オープン・テラスでダージリンのミルク・ティーを飲む。 さすがに万年筆会社だけあって、金属製のイスのモダン・デザインは心地よい。 午後九時。 また歩きはじめる。 午後九時半。 銀座シャネル本社。 熱狂的な出迎えを受ける。 閣下もまだまだイケるやん。 社長は海外出張中。それは知っているよ。 ちょいと話して、外に出た。 午後十時半。 銀座を通り抜け、汐留に到着。 午後十一時過ぎ。 閣下のお気に入りだったグランカフェ新橋ミクニは閉店していた。 よかったんだけれども、企画倒れはわかっていた。 少しガッカリ。 気を取り直して、カレッタ汐留の最上階・響。。。 ここはサントリー系列だから大丈夫。 いい仕事の後の、うまいランチ。 閣下はカレッタ最上階から東京湾を見つめ、空と海の彼方に拝礼した。 日本と中国のために祈った。 うまかったぜよッ。龍馬さんッ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.28 21:28:20
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