なにはともあれ

2011/05/03(火)14:58

クォ・ヴァディス43-1

小説「クォ・ヴァディス」改定&仮公開用(40)

註※このページは、本来「覚醒都市DiX」で公開する予定の「幻想水滸伝4」二次創作小説「クォ・ヴァディス」の改定ページ、新規ページを、サイトに先駆けて公開しています。  そのため、後に「覚醒都市DiX」で公開されるものとは内容が変更される可能性があることをご理解ください。 クォ・ヴァディス 43-1 76  グレアム・クレイという男が初めて歴史にその姿を現したのは、意外に早い。  今から二十年ほど前、十代後半か二十歳前後の時には、すでに赤月帝国の軍事部門で辣腕を振るっていたエレノアの副官の一人として、その名が登場している。  当時から寡黙な青年ではあったが頭脳は優秀だった。  特に少ない情報から真相にたどり着く異常な嗅覚は、エレノアに重宝されていた。  寡黙とはいっても、現在のように人間味まで見せないほどのものではなく、まだ充分に普通の人間の範疇に入るもので、少ないものの親友と呼べる人間も存在したようである。  クレイも、エレノアの非情とも言えるほどの行動力と決断力には敬意を示していたようで、この組み合わせは、さしあたって誰も不幸にはしていなかった。  エレノアの元で軍人として歩き出したクレイだったが、ある日、この若者の名を帝国の中央に知らしめる事件が発生した。  赤月帝国では新年度の始めに首都グレッグミンスターにおいて、ルーグナー家の皇帝陛下と主だった皇族、そして重臣たちが同じテーブルに席を取り、食事会を開く慣習がある。  招待客を含めて五百人ほどが参加する大規模なもので、軍事部門のトップ、つまり赤月帝国の臣下の首座に位置するエレノア・シルバーバーグも、当然、最も皇帝に近い場所に席を与えられ、会食することになっていた。  だが偶然が重なった。エレノアは前年の末からクールークとの国境で発生していた紛争の解決のために戦地に赴いたままで、新年の会食には間にあわなかった。  そこで、別の任務を終えて首都に帰還していた、まだ若いグレアム・クレイが、エレノアの代理として参加することになっていた。  ここに、一人の奇人が登場する。  ブラニガン公クルガリス。当時の赤月帝国では、最もうらやむべき立場にいた人物である。  ブラニガン公は皇族であり、皇帝の従兄弟にあたるが、当時の皇帝には兄弟や子供が多くいたため、皇位継承権は八位と低かった。  そのため、皇帝一家が事故で全滅する、などの奇跡的な偶然でも起こらぬ限り、公爵が皇帝の地位に就く可能性は限りなくゼロに近いと思われていた。  政治に関わる機会はほとんどなく、軍事や経済にもさして才能があるわけでもない。  それでいて、皇族であるからそれなりに敬意は払ってもらえるし、食うに困ることもない。  彼は通ぶった趣味人として、四十代の半ばにさしかかるまで、宮廷で大して上手くもない詩を、好きなだけ書き散らす生活を送ることができたのである。  薬にはならないが毒にもならない常識人で、それなりに人望のあったブラニガン公であったが、たった一つだけ、致命的な欠陥があった。  極めて酒癖が悪いのだ。  普段は人格者だが、酒を飲むと豹変した。誰彼かまわず当り散らし、周囲が白けるまで誰かをこき下ろした。  しかもトドメをさすまで口撃を止めないものだから、彼が成人する頃には既に、彼と個人的に酒席を共にしようなどと言う物好きはいなくなってしまっていた。  このブラニガン公の酒乱癖には、皇帝も頭を痛めていたが、より困っていたのは、帝国の儀式を司る文官たちである。  新年の席には酒は欠かせぬものであるが、酒乱がいるとわかりきっている席で、誰が素直に酒を楽しめるだろう?  しかし、まさか皇帝の従兄弟に当たる人物を新年の席に呼ばぬわけにはいかぬ。  ブラニガン公一人にだけ酒を振舞わない、というやりかたも不自然極まりないし、彼の扱い方、あしらい方は、当時の宮廷の最大の難事の一つであった。  そして、この新年の食事会は、その懸念が最悪のかたちで実現してしまったのである。  周囲が止めるのも聞かずにハイペースで酒を嗜んでいた公爵閣下は、立ち上がると、やおらにある女性の悪口を言い始めた。 「この麗しき酒の場に、あの女丈夫(にょじょうぶ)の姿が無いことは、大変喜ばしいことである。  もう三十も過ぎるというのに、結婚もせず、子をつくることもせず、女の身でありながら人殺しの研究ばかりをしておるがゆえに、顔まで剣呑な作りになってきおる。  いったい、何が楽しみで生きておるのやら」  公爵は賢明にも実名を挙げることは避けたが、それがこの場にいない重臣、エレノア・シルバーバーグのことであることは、誰が聞いても明らかだった。  その場にいた関係者全員が、胃と神経とに霜をはびこらせた。  この当時、宮廷におけるエレノアの発言力は既に動かしがたいものになっており、誰も正面を切ってエレノアを批判しようなどと思いもしなかったが、公爵の発言はそれどころの騒ぎではない。  批判などというレベルではなく、エレノアの職務から人間性にいたるまで、正面から全否定してのけたのである。  皇族を席から追い出すわけにもいかず、誰も身動きができぬなか、ただ公爵の薄い舌だけが速度を上げ始めた。  彼はクレイの席の後ろに立つと、ガラスを砕くような高貴な笑いを上げながら、こんなことをのたもうた。 「そちが、あの女丈夫殿の、お気に入りの副官とやらか。  いったい幾らで飼われておるのかは知らぬが、忠告しておいてやろう。  あの女丈夫殿は、そろそろ身体の方も愛(め)でてやらねば、女性(にょしょう)のかんじんどころも干上がってしまうぞ」  下品といえば、これほど下品な発言も滅多になかろうが、場が騒然としたのは、まったく違う理由だった。  それまで無表情のまま、静かに杯を煽っていたエレノア・シルバーバーグの若い副官は、いきなり立ち上がると、ブラニガン公クルガリスの顔面に向かって、強烈なストレートパンチを見舞ったのである。  何が起こったのか、誰も分からなかった。恐らく殴られたブラニガン公すら、瞬時には判断しかねたであろう。  だが彼は、判断する時間すら与えられなかった。  クレイは公爵に飛び掛り、顔面だろうが胸だろうが、ところかまわず殴り続けたのだ。  音程の破壊された公爵の悲鳴が、宮廷に響き渡った。  それが合図となったように、ようやく近衛兵が我に返った。  屈強な近衛兵たちに羽交い絞めにされ、クレイは公爵から引き剥がされた。  一介の軍事仕官が、公爵閣下に馬乗りになって暴行する、という前代未聞の大事件は、結局二分ほどで幕を閉じた。  話を聞き、慌ててグレッグミンスターに帰還したエレノア自身が、クレイを尋問したが、 「公爵の言に、個人として看過できぬ部分があった。  それを早急に訂正するには、言葉ではなく行動をもってする他ないと、即断したまでのことである。  人間に対しては言葉も用いるが、酒乱の餓鬼(がき)には道理も理屈も通じない。  自分は己の行動と決断に、なんら恥じるところなし」  クレイはこう繰り返すだけで、最後までエレノアのことは無関係だと言い張った。  クレイの行為は、軍部のエレノア閥や、公の酒乱に嫌気がさしていた宮廷の文官らからは秘かな賞賛をもって受け入れられたが、彼が皇族を傷つけたという大罪は確固たる事実であったから、当然、それには罰をもって報われることになった。  かろうじて死罪にならなかったのは、エレノアや軍部が必死になってフォローしたからであったが、それでもこの事件は、当時のグレアム・クレイからすべてを失わせた。  すべての公職からの追放。五年間の謹慎。軍人の彼にとってその処罰は、遠まわしの死刑宣告となんら変わるところはなかった。  だが、この事件で大罪人となった元副官に対し、エレノアは全幅の信頼を寄せるようになった。  謹慎中の五年間も、エレノアは様々な手段を講じては、クレイに自らの国家論や軍事論を叩き込んだ。  クレイも、自らの境遇にくじけなかった。  他にやることもなかったからであろうが、エレノアの教えだけでなく、様々な知識や情報を貪欲に収集し、研究し、自らの内部にとりこんだ。  こうしてグレアム・クレイは、謹慎期間があけるころには、独自の理論を構築する、一端(いっぱし)の戦略家となっていた。  謹慎中には結婚もし、子供もできた。  軍部に復帰するのと同時に、エレノア・シルバーバーグの副官として再任された。  クレイにとっては、まさしく、人生の新たなスタートの日となったであろう。  これから五年、赤月帝国における軍事的、政治的な成功のほぼ八割までが、このコンビによってもたらされた。  二人とも気が強く、強かな戦略家であり、格調ある卓抜した理論家でもあったから、一度となく対立して意見をぶつけあったが、そのエネルギーがもたらす相乗効果もまた、大きかった。  エレノア・シルバーバーグとグレアム・クレイの成功を全て列挙すれば、事典の四~五冊はすぐにできあがるであろう。  もはや軍部にエレノアとクレイに異を唱えられる者はおらず、宮廷における権力も日ごとに増し、エレノアは暗に「第二皇帝陛下」などと呼ばれる有様であった。  数年後、エレノアは宰相として国家の全権を担い、クレイはエレノアの後任として軍部を一手に率いることになるだろう。  それは不確定の未来ではなく、既に決定事項のようにすら思われていた。  だが、長く続くと思われたこの権力構造に楔を打ち込んだのは、たった一つの事件だった。  軋みが聞こえてきたのは、エレノアらが強固な支配体制を築いていた中央ではなく、南方の国境付近からであった。  エレノアらの政策で、赤月とクールークの国交も落ち着いていた時期だ。  中央の栄華から取り残された辺境の貴族たちが、のし上がる手段を血眼になって探している時期でもあった。  彼らは、一つの策を弄した。  手柄を手にするには、敵が必要である。  だが、赤月にとって最大の敵であるクールークとは、永続のものではないにしろ、休戦協定が成立しており、クールーク側から軍を動かす可能性は極めて低かった。  そこで、貴族たちは考える。  敵が動かないのならば、敵が動いたように見せかければすむことであった。  そうして彼らは、自らの領地の一部と、その周囲の赤月領の村々、自分たちの国土であるはずの土地を、クールークの仕業と称して焼き払ったのである。  グレアム・クレイの故郷がそこに含まれていたのが、辺境貴族たちの計算だったのか、偶然の産物だったのかは、彼らがクレイによって殺しつくされてしまった現在、我々に知る術は無い。  どちらにしろ、いかにも無能な者が飛びつきそうな、この無策な行動は、中央の軍閥を激怒させるに充分だった。  エレノアもクレイも、隣国の動向は辺境貴族たちよりもよほど詳しくつかんでおり、クールークが軍を動かすには時期的にも不自然すぎることは百も承知であった。  二人はこの程度の愚策を見抜けぬほど節穴の目も持っておらず、即座に断罪のための行動を開始する。  この時期、エレノアは体調を崩しており、代行としてクレイが軍務を統括していた。  クレイは騒ぎを長期化させないためにも、自ら軍を動かして調査に当たるために、南方に赴いた。  そして、クレイは、狂った。なにが彼をそこまでの狂気に追い込んだのか、エレノアは現在に至るまで、知らされていない。

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