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こんにちわ♪

こんにちわ♪

野生の証明/忘れられた森の民

アフリカでは。

全ての生物が。

どこでも、いつでも、なにかと、闘っている。

それを弱肉強食という。

kalunguyeye



タンザニア在住中。

身近な所でも、いろんな生物たちに助けられたり悩まされたりした。

助けてくれた方々は。

カメレオンや、ヤモリたちだ。

彼らは、家に入ってくる虫を食べてくれるからね。

悩ませてくれた動物たちは。

ハリネズミ(kalunguyeye)と、普通のネズミだ。



ハリネズミは、畑を荒らしやがる、とっても悪いやつだ。

日本じゃ、ペットとして飼われたりしているけど。

アフリカじゃぁ、害獣だよ。

そんなハリネズミは、家には入ってこなくて、主に畑を荒らしてたから、ゴダイたちに食われてた。


ところが、家に侵入してくるネズミがいる。

まぁ日本にもいるドブネズミの類だ。


一時期、家にはアブディと呼ばれるネコがいたんだけど。

いつの間にか旅に出ちゃったので、役に立たなかった。

さて、家の中のネズミたちは自分の手でやっつけなければいけない。

という事で、ネズミ捕りを仕掛けた。


約数十分後・・・。


ぱちんっ!



すぐかかった!!


と思って見に行くと・・。


nezumitorinezumi


なんと、ネズミ捕りをひきづって逃げようとしているではないか!!


なんて生命力。

なんてタフなんだ。


こんな身近な動物でも、野生の力を見せてくれる。


そう、アフリカは野生のお国。

弱肉強食の世界だ。

人間が万物の霊長なんて考えは、そこでは通用しないかもしれない。


このネズミさんが、それを身をもって教えてくれた出来事でした。






さて、そんなドメスティックなねずみさんはとりあえず置いておいて。


本物の野性のお話をしよう。




タンザニアは、南部に『セルーゲームリザーブ』という、世界最大ともいえる動物保護区が存在する。



タンザニアの北部には、『セレンゲティナショナルパーク』と呼ばれる、国立公園が存在するが、『セルーゲームリザーブ』と根本的に異なるところは。


ナショナルパーク(国立公園)が狩猟全面禁止なのに対して。


ゲームリザーブは、狩猟がOKなのである。



1982年にセルーが「世界遺産」に指定されたにもかかわらず。



狩りがばっちOKな場所なのである。



セレンゲティナショナルパークでは、狩猟が全面禁止されているため、動物たちも野生動物でありながら、なんとなくのんびりと暮らしているのだ♪




もうサファリカーがライオンの周りをぐるっとか込んでも、ライオンも慣れたもんさ♪



野生動物たちの対応は、ほとんど動物園と代わりがないのだ(笑)







ところが、セルーはちょと違う。



セルーはハンティングが許された最大の保護区で、ここがセレンゲティなどの国立公園とは違う。






管轄もTANAPA(タンザニア国立公園)ではなく、タンザニア政府天然資源観光省の狩猟局に属し、収入の7~8割は観光ではなく、ハンティングによるものなんだそうな。




ハンティングができると言う事は、動物たちも命が狙われる危険があるということで、草食動物はおろか、肉食動物であるライオンなんかも、けっこうぴりぴりして生きているのだ。




と言うか、生きる気満々なのである♪




セルーの動物を見ていると、本当の『野生』と言うものを実感できる。



セレンゲティの動物たちのようにやる気がないわけではないのである(笑)



セレンゲティのライオン

これはセレンゲティで撮影したらイオンの写真♪
まさに『かぜに立つライオン』である。



生きる気満々であるやつらから見て、銃を持った人間が必ずしも無敵と言うわけではない。




セルーのライオン

これは、セルーで撮影したらイオン。どちらもライオンはライオンです。
この写真、かなり近距離からの撮影で結構怖かった思い出があります。



気を緩めれば、いつ人間側も襲われるかわかったもんじゃないのだ(本当)





セルー保護区の歴史は、ドイツの植民地時代の1905年に遡る。



セルーというのは人名である。F.C.セルー(Frederick Coutney Selous)は、1851年ロンドン生まれの英国人である。


リカオン

セレンゲティでは、非常に数が少なくなってしまったリカオンが、セルーではまだ比較的数多く見ることができます。リカオンはライオン以上に凶暴といわれているイヌ科の動物です。




彼の少年時代の英雄は、大探検家リビングストンであり、大英帝国の少年はまっしぐらに探検家を目指した。




1871年からセシル・ローズのローデシア建設に活躍したセルーは、1915年の第一次大戦勃発時は、既に64歳、高名な探検家、狩猟家であった。






密漁されたサイ

密漁されたサイの頭蓋骨。セルーでは、クロサイがわずかに生息するだけになってしまった・・。





密猟された象

セルー動物保護区は、もともとゾウの保護区として設立された。ゆえにゾウの数は、かなり多い。
それでも密猟は耐えないのである。



世界遺産にも登録され、商業的狩猟もできる最大の動物保護区、セルー。



ここにいくのは、簡単な事ではない。



あんまり行くのはお勧めできない♪

ここでは、人間も無敵じゃない事が証明される可能性があるのです。


それこそまさに野生の証明。













俺がタンザニアに住んでいた頃は。

ちょうど、ルワンダ、ブルンジの内戦が終結して。

多くの、難民がタンザニアに住んでいて。

そろそろ、みんな帰国を始めていた頃だった。


ルワンダ、ブルンジの内戦の背景には。

二つの民族間の紛争が大きな原因なのだ。


ツチ族とフツ族


この2部族間は、とっても仲が悪いんだけれども。

何で悪いんだろうか?

俺にはよくわかんなかった。

かつてタンザニアに住んでいた時、僕はルワンダ人の友人がすごく数多くいた。
ほとんどが女の子たちだった。

ルワンダは大きく分けて、2つの部族から構成されている。
ツチ族とフツ族。
俺の友達はみんなツチ族だった。

そう彼女らは元難民。
でもすでにタンザニアの市民権は得ている。

ツチとフツ。何が違うのか?

ツチ族はナイロティック系。すらっとしていてスリム。日本人の目から見て美人かなって言うのが多い。

フツ族はバンツゥ系。いわゆるよく見るてぷてぷっとしたぽっちゃり系だ。外見は美人とはいえないが、ぽっちゃり可愛い系はいると思う。

でもなんでそこまでいざこざ起こさないといけないのか?当時の僕にはわからなかった。

それで彼女たちによくルワンダ内戦の事を聞いた。
彼女たちツチ族は、とにかくフツがだいっきらい。
これはみんな同じ意見。

何で?と理由を聞いたが、具体的にはっきりとした答えは返ってこないんだ。

『だってみんな不細工じゃん。』とか。
『みんなデブでくさいのよ、きっと。』とか。
『背が低くて、足が短いもん。』とか。



おいおいそんな理由で内戦はしないだろう。
デブでくさくて足が短いからって戦争起こされたらたまったもんじゃないよ、マジで。

俺はなにか根本に大変な問題があると思っているからその答えを期待していたのに。


そこで俺は言ってやった。
『俺から見たらツチもフツもみんな黒いじゃん。』


彼女らはこの言葉に何も言い返せなかった。

でも最後に一人少し頭の切れる娘がいて、その娘が俺に言ったんだ。

『たぶん私たちツチとフツの問題は、私たちから見た日本人と朝鮮人の問題と同じなんだと思うけど。』

この答えでなんとなく、分かった。

そういえば日本もなんだか特別な理由もないのに、『朝鮮人は日本から出て行け。』とかそういった張り紙を見た事がある。これは少なくともまだ日本人の中に反韓国もしくは反北朝鮮感情を持っている人がいると言う事なんだろう。
それで韓国の人の中にはやはり反日感情を持っている人もいる。


でも遠い国のルワンダ人なんかから見れば、『どっちも一緒じゃん。』てな答えになるんだろう。
これがいわゆる民族感情ってやつなんだろう。
それと一緒なんだ。








かなり長くなったけれども、フツ族、ツチ族の感情はおそらくこんな感じだろうと思う。




ルワンダには、この2部族だけのような話しっぷりだが。

実は、もう1部族存在するのだ。

しかしながら、その部族が話題に上る事はほとんどない。



ルワンダでは、この部族よりも、ゴリラのほうが市民権を確実に得ているのだ。


その部族はトゥワ族と呼ばれる。

あまり知られていないが、彼らはピグミー族の部類なのだ。

pygmy

この写真の方々は、決して子供ではない。
みんな立派な大人です。
写真を撮らせてといったら、みんな家にわざわざ集合して記念撮影♪



ピグミー族は、成人でも身長は150cmほど。

でも、思ったより小さくはない。

別に、北海道に住んでいたと言われるコロボックルみたいなのを想像してはいけない。

ただの人なのだ。

彼らは、主に狩猟で生計を立てている。

現金収入は、そういった狩りで得られた獲物を街の市場で売ったり。

土器みたいなのを作って、それを市場で売ったりして得ている。


ごくごく平凡な、そして平和な部族なんだ。


写真の彼らは、タンザニア・ルワンダ国境地帯に避難してきていたトゥワの人たち。

彼らは、ジャングルの中をある一定の期間で移動しながら暮らしている、素敵な人たちだ。

彼らは、内戦が始まったので、タンザニア側に避難してきていたけれども。

他の人々とはちょっと異なり、難民とはいえないかもしれない。

だって、難民キャンプで暮らしていたわけじゃないんだもん。


決して、戦争がどうのこうのなんていういざこざに関係するような人たちではないんだ。


たぶん、このルワンダ、ブルンジの内戦で。

最もとばっちりを食らったのは、彼らであろう。

少数部族と言う事で。

ルワンダ、ブルンジ国民として、忘れられがちな彼ら。

そんな人たちも住んでいるんだと言う事を。

遠くの地から知っておいてもらえると。

きっと彼らも嬉しいかもしれません。




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