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カテゴリ:1980年代~学生の頃
『ギザギザハートの子守唄』で
福岡県久留米出身の7人組バンド 【チェッカーズ】がデビューしたのは1983年のこと。 この時、わたしは15歳の中学3年生。 クラスメートの女の子たちがマッチだ、シブがき隊だ と騒いでいるのを横目に、 せっせと漫画を書いては同人誌を作っている 帰宅部の「おたく娘」だった。 それが、高校1年生の冬に テレビのベストテン番組でチェッカーズを観て、 ある日突然シビレてしまった。 1984年のヒット曲、 『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』。 幾重にも重ねられた 色柄や丈の違うタータンチェックの衣装と、 前髪のひと束だけが長くて、 うしろは刈り上げの奇抜なヘアスタイル。 ↑ちなみに、こんな衣装でした。 ミッキーマウスみたいなボーカルと、 アメコミのキャラクターのようなメンバーたちが繰り広げる ロックでポップな歌謡ダンスショーに夢中になった。 とにかく「ハマると一直線!」な性格なものだから、 チェッカーズが登場する ありとあらゆる雑誌やテレビ番組をチェックし、 関東近郊で行われるコンサートには すべて足しげく通っていた。 同人誌のテーマも「アニメもの」から 「チェッカーズもの」に変わり、 コミックマーケットでのコスプレ(笑)も 風の谷のナウシカから、チェッカーズになった。 あの頃のわたしは、 「フミヤは天才だ!」と、真剣に思っていた。 短大入試の面接で「尊敬するひとは?」と聞かれたら 「藤井郁弥」と答えようと、秘かに決めていたくらい。 (.......実際には聞かれなくて、良かった ^_^; ) 今ではもう当たり前のことだけれど、 あの時代、「アイドル」と呼ばれているひとが 作詞作曲をし、歌もうたい、自分の振り付けで踊り、 洋服をデザインし、イラストや漫画や文章も書き、芝居もする... というのは、けっこう珍しかったのだ。 『僕はアイドルだけど、ウンコもします。』という 今はなき雑誌『ビックリハウス』の特集タイトルは衝撃的だったし、 チェッカーズの登場が、日本の芸能界(アイドル業界?)の 流れを変えたのは事実だと思う。 藤井フミヤのマルチな才能は今も健在だけれど、 当時の「チェッカーズ」の魅力を倍増させていたのは、 実は、彼らの背後にいた作曲家やスタイリストや音楽ライターら 優れたプロデュースチームの存在だった。 高校生のわたしは、その戦略にすっかりハマっていたのだ。 今、同じような手法で中高生たちに 「わくわくドキドキ」を提供しているのが、 つんく率いる「ハロープロジェクト」なんだろうな。 とにかく、たくさんのクリエーターたちが、 「チェッカーズ」という素材を使って遊んでいて、 それがたまらなく面白かった。 新しい曲が出るごとに変わる ヘアースタイルや衣装、コンサートツアーのコンセプトには 必ず物語があって、「次は何をしてくれるんだろう?」と、 とてもわくわくさせられていた。 ↑たとえば、この「神様ヘルプ!」の衣装コンセプトは 「海賊」。コンサートツアーは 「パイレーツツアー」という名称だった。 しかし、永遠に続くと信じて疑わなかった わたしのチェッカーズへの恋心は、 1992年の解散を待たずして、冷めてしまったのだ。 そのちいさなきっかけとなったのは、 当時話題を呼んでいた『YOU』というテレビ番組。 (NHK教育・糸井重里さんが司会の若者向けトーク番組。82ー87年) この番組で、「お父さんにもわかるチェカーズ講座」という特集があり、 このときわたしは、NHKのスタジオで、生チェッカーズの真後ろに座る という幸運をつかんだのだった。 しかし、手に触れられるくらいの距離にいる 憧れのポップスターは.... あまりにも<普通のひと>だった。 誌面や画面からは決して伝わらない 整髪料の匂いと、おそらくはずっと着回しているのであろう くたびれた衣装のほつれが、少し哀しかった。 当時、一緒にチェッカーズを追いかけていた友人たちの中には、 今も藤井フミヤの大ファンで、 足しげくライブに通っているひともいる。 けれど、わたしとっての「フミヤ」は、 やっぱりチェッカーズの「藤井郁弥」。 ときどきテレビや雑誌でみかける、 すっかりおじさんになってしまった藤井フミヤは、 誰がなんと言おうと、 わたしにとって「フミヤ」ではないのだ。 擦り切れるほど聞いていたLPレコードは、 今はもう、それを聞くプレーヤーすらないけれど、 ときどきラジオから流れてくるチェッカーズを聞くと やっぱりドキドキしたりする。 彼らはやっぱりわたしにとって、 <永遠のアイドル>なのだ。 ↑最近話題になったのはコレですね...。 「チェッカーズ」 著者:高杢禎彦 ↑王道は、やはり初期のアイドル時代だと思います。 ああ~久しぶりに聞きたくなってしまった! ↑オリジナル時代の曲も結構好きでした ^_^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
わたし、藤井郁弥さんとは同い年です。大学を卒業する頃でした。そういえば、なんだ、あの中途半端なズボンは!という印象を持ったのを覚えています。カラオケでよく唄っていました。
(2005年02月16日 20時35分46秒)
ジェットストリーム、飲んでました!
(2005年02月17日 07時47分57秒)
はじめまして。
以前から、友の会を通じて、カメハハさんの存在は、存じておりました。 実は、お気に入りに入れさせていただいて、訪問させていただいていました。 そうこうしているうちに、自分でもブログをはじめちゃったんです。 これからもよろしくお願いします。 さて、チェッカーズと聞いて、この私が黙っておられるはずもなく、当時就職間もない私は、あの映画「タンタンたぬき」(「たんたんタヌキ」だったっけ?)でやられました~。 それ以来、給料のなん%でしょうか、毎月チェッカーズにつぎ込む生活が始まりました。 ビデオも買っちゃったんだな~(当時はかなりの高級品) 私は、尚之が好きで、今思うとアホになってましたね~ 私は、結婚、出産を機に、だんだん心が離れていきましたが、今でも、シングル、LP、ビデオ、そうそうなんとパイレーツツアーで買ったトレーナーは今もパジャマとして愛用しています。 何か、書いてると嬉しくなってくる~。 あの頃にタイムスリップしてしまいました。 キュンとくる感覚を思い出させてくださってありがとうございました。 (2005年02月17日 08時49分19秒)
>ファイルティーチャーさん
ええっ☆ 同じ歳ですかぁ~! あの頃、フミヤは「大人の象徴」だったんですけれど、 大学生くらいの年齢だったんですねぇ。 しかし、憧れのアイドルの歳を、知らぬ間に自分が越えていた ときは軽~くショックでした ^_^; 最近、過去のニュースでも気になるものは 「12年の手帖」に書き留めるようにしていますが、 その時代、自分がハマっていたものを見つめてみると 「何に惹かれていたのか?」がひもとかれるようで 面白いですね♪ >バッカス★さん きゃ~! ジェットストリーム!! 懐かしすぎます。あのポスターが欲しくって、 酒屋さんにお願いしたなぁ。 確か、マウンテンデューみたいな味でしたよね。 マッシュルームカットの ポッキーの大きなポスターも持ってました! >ムックマミさん はじめまして! そうそう、『TANTANたぬき』は最高でしたね~♪ わたくし、がっこを休んで、 公開初日の初回から最終上映まで全回見ました(笑) 今でもほとんど台詞を覚えてます。 実はわたしも尚之ファンだったんです。 でも、今思い返すと、 チェッカーズはやっぱり「フミヤ」あっての チェッカーズだったと思ったりします。 (2005年02月17日 09時21分27秒)
って、歌ありませんでしたっけ?昨日は思い出せなかったのですが、今思い出しました。
This is song for USAのさびのところが好きで、気持ちよくカラオケで歌った事を覚えています。当時はカラオケボックスではなく、お店のお客が全員無理やり聞かされるお店しかなかったので、かえって面白かったです。・・・・なんだか、こういう話題も楽しいですね。 (2005年02月18日 12時03分59秒)
ファイルティーチャーさんと、チェッカーズの話をするとは夢にも思いませんでした^_^
わたしは昨日、ラジオから「神様ヘルプ!」が流れて来たので驚きました。あの曲を聴いたのは15年ぶりくらいですから....これぞシンクロですね☆ (2005年02月18日 13時23分18秒)
はじめまして!ちびレモンと申します。
ファイルティーチャーさんからご紹介をいただきまして お邪魔させていただきました。 私は デビュー当時からのフミヤさんのファンで 現在も変わらずファンをしております。 先ほど カメハハさんの日記を読ませていただきました。 当時のメンバーたちに かなり近くにいられたことがあるんですね! びっくりしました(^_^o) 今はフミヤさんから離れてしまったのですね。。^^ もしご迷惑でなかったら 当時のことでもかまいませんので お話しを聞かせていただけたらと思います! よろしくお願いいたします! (2005年05月17日 17時42分36秒)
「Song for U.S.A. チェッカーズ カテゴリ:song」に
上記の内容について、記載しました。 もしよろしかったらaccessしてみてください。 (2019年11月04日 19時24分23秒) |
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