ベルサイユのバラが教えてくれたこと*1979年
『キャンディ・キャンディ』のことを書いてから、ほとんど忘れていた小学生時代のことをふっと思い出すことが多くなった。実は、そのほとんどは、読んだ本や少女マンガのことだったりする(苦笑)。小学生時代は間違いなく、わたしの人生に於いて、いちばんたくさんの本を読んだ時だ。学校の休み時間、帰り道、家に帰ってから...ず~っと本を読み続けていたような気がする。低学年(1,2年生)のときには、「伝記シリーズ」にハマって、図書室にある本を読破した。ヘレン・ケラーと、キュリー夫人の伝記が、特に好きだった。そのあとは、いぬいとみこさんや椋鳩十さんの動物モノ。岩波少年文庫の「ドリトル先生シリーズ」も大好きだった。しかし、ある時をさかいにして、子供時分のわたしは、あまり本を読まなくなってしまった。それは、少女マンガとの出会い....。明けても暮れても少女マンガばかり読みふけっている娘を見て、読書家の父は口をすっぱくして「マンガはおやつ。主食(本)を食べなければ栄養にはならん!」と言っていた。それでも、わたしの少女マンガ熱はおさまらず、そのうちに、少年マンガにも触手が伸び始めた。そして、小学校3年生のある日、そんな状況を見かねた父から、遂にひとつのおふれ?が出されることになる。「毎週1冊、指定する本を読んで感想文を提出すること。 そうすれば、いくらでもマンガを読んでよろしい」それまでは、おおっぴらに家でマンガを読むことができなかったので、(怒られたときに閉じ込められる納戸の中に数冊隠しておいたり、学校からの帰り道に歩き読みしたりしていた)小学生のわたしは、このおふれに異論はなかった。毎週、毎週せっせと本を読み、読書感想文を書き続け、そのかわりにたっぷりと、マンガの世界にも浸らせてもらった。父が選んでくる本は、『モンテクリスト伯』とか『三国志』とか、自分では決して選ばないであろう歴史物や冒険物が多くて、読んだ時はそれなりに面白かったのだが、実はほとんど内容を覚えていなかったりする(笑)それでも、小学校5年生の頃まで続いた「毎週1本読書感想文を書く」という習慣は、確実に、文章力や編集力の向上につながったと思うし、子供ながらに、本を熟読しなくても感想文を書く秘術?のようなものを知らぬ間に身につけてしまった。つまり、流し読み(かっこよく言うと速読)ができるようになったのだ。提出した感想文は、父の批評が赤ペンで書き込まれて戻って来るのだが、これがなかなか厳しくて、3年間で、褒められたことは数回しかなかった。その数少ない<褒められた感想文>の中で、もっとも印象深いものが、『ベルサイユのバラ』の感想文。この週はじめて、「好きな本を選んでいい。そしてそれはマンガでもいい」と父に言われて、当時いちばん読み込んでいた『ベルバラ』を選び、この作品についてずっと抱いていた想いを書き綴ったのだ。たしか、「この物語の<バラ>とは、誰を指すのか?」「マリー・アントワネットはどうしてフランス民衆の<バラ>になれなかったのか?」というようなことを書いたような気がする。そして、それに対する父の批評は、「やはり好きな物語のことを書くと文章が生き生きしていますね。もう、好きなマンガを読んでいいですよ」というものだった。つまり、これにて、<読書感想文修行>を卒業したのである。『キャンディ・キャンディ』と違って、『ベルサイユのバラ』では、特定の登場人物にハマる...ということはなかった。それよりも、マリー・アントワネットやフェルゼン伯や、ロベス・ピエールやサン・ジュストなどの実在人物や、壮大な物語の歴史的背景がとても気になった。ギロチンの露と消えたマリー・アントワネットについては、図書館へ行って、いろんな関連書を読んだ記憶がある。(18歳のとき、人生はじめての海外旅行先には、迷いなく「ベルサイユ宮殿」を選んだくらい...アントワネットが最後に幽閉されていたという礼拝堂やお墓にも行った)『ベルサイユのバラ』は、言うまでもなく、フランス革命という歴史的事実を素材にした著者・池田理代子さんの創作物語だ。(男装の麗人オスカルは、『バラの騎士』というオペラからヒントを 得たそうだ)この世に存在するあらゆる創作物語は、マンガに限らず、何らかの素材(歴史的事実だったり、個人的な経験だったり、他の作品だったり)を、その人なりに<編集>し直したものである。例えば、『冬のソナタ』の脚本家が、『キャンディキャンディ』など日本の少女マンガを参考にしたように、そして、その『キャンディキャンディ』は、『赤毛のアン』の世界観をベースにしているように。それがわかると、誰でも、自分だけの物語を生み出すことができるようになるのだが、そのことにはじめて気づかせてくれた作品が、『ベルサイユのバラ』だったと思う。1972年に連載が開始した『ベルバラ』は、30年の時を越え、大人になった今読んでも、少しも色褪せることはない。マンガであれ、小説であれ、映画であれ、“かる~いスナック菓子”ではなく“どっしりと食べごたえのある主食”になりえる物語だけが、時代も空間も越えて語り継がれていくのである。↓BGM付きコミックス...こんなのがあるんですね~。どんな曲なんでしょう...聞いてみたいっ☆