かめどら居候日記

2007/11/28(水)01:03

映画 「ミッドナイト イ-グル」 と 「ナンバー23」

映画(74)

昨夜は、「ミッドナイト イーグル」、今夜は「ナンバー23」を観ました。 平日の夜は空いてるし、何しろ最終回だと1000円。 「ミッドナイト イーグル」は題名からしてB級アクションぽくて 「こんなもんでも観るか」といった気分にはぴったり。 でも、本もそうですが「これ」よりも「こんなもん」の方が意外とおもしろかったり 何回も観たく(読みたく)なったりすることもあります。 日本のクルマは、最近、カタログ上の最高出力280馬力という自主規制をとっぱらいました。 そんな自分自ら手を縛るようなことをしていては 今後の国際的な技術競争において勝ち残れないという判断でしょう。 同様に、日本の映画の世界(もちろん戦後以降)において、軍事であるとか戦争といった事を 取り扱う際には、ある種の作法というか文法というか そういったものに則っていなければならない空気があったようです。 自主規制ですね。 要は、反戦、厭戦、平和は大事という文脈においてしか、戦争を取り扱うべきではないということです。 戦争なんかないほうがよい。そんなことはもう議論の余地はない。 にもかかわらず、これでもかと繰り返される反戦プロパガンダ映画は 観る者をまとめてどこかへ連れてていこうとしている点で、戦時中の戦意高揚映画と 同根なのではないか。 戦争がいい時は、「戦え!一億総なんたらだ!」 んでもって今度は平和がいいとなったら「平和が好きと言葉に出すことが大事」とか。 正直、気持ち悪いです。 戦争(それに関わる物語)が心底嫌いにしちゃあ、昔から戦争映画は多いですし NHKは、戦国時代の物語が好きですよね。 前置きが長くなりました。 そういうバイアスをかけちゃうと映画がつまらなくなりやすいと言いたかったのです。 今回の「ミッドナイト イーグル」も相変わらず、そのへんの作法には忠実なんですが 先のクルマの自主規制撤廃じゃないけど、ずいぶんと軍事というものを自然体で扱える ようになってきた印象を受けました。 暴力にさわらないで、暴力の問題は解決できない。 長年、ハリウッドのアクション映画に胎教といっていい影響を受けてきた者には まだまだ物足りないですが、期待値が低かったせいか、楽しみました。 おかしかったのは、わたしの並びに座っていた行儀の悪い若いお兄さんがラストで しくしく泣いていたこと。 案外、そんなもんなんでしょうね。 「ナンバー23」はジム・キャリー主演のいかれた映画。 シガニー・ウィーバーさんは、「エイリアン」シリーズのせいで、すっかりエイリアンの女 というイメージになってしまいましたが、ジム・キャリーさんも「マスク」をはじめとする コメディ映画で、そういう男優というイメージが強いのですが 最近どうも芸風が変わったというか、そのイメージに抵抗しているようです。 物語の中で、問題になっている本の著者が「妄想作家」と名乗っていることについて 一緒に観た者が、観終えた後に異議を唱えた。 「いかれた人間が、その告白について、妄想と言うだろうか?」 「徹頭徹尾、大真面目で、本人にしてみればそれは真実の告白だったのでは。」 「それを妄想というのは、いかれていない(正気の)他者ではないか。」 「あれはおかしい!」 なるほど、鋭い指摘だと思いました。 それと、23が呪われいるだの、魔の数だのいわれるのは 単に素数だからそうなりやすいのではないかなどと元数学劣等生が思った夜でした。

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