風見鶏のように
★今日のフォーカスチェンジ♪風見鶏のように---------------------------- 風見鶏 風の動きを ずうっと見てる 屋根の上で ずうっと見てる 飛べる鳥ではないけれど 喜怒哀楽を知っている とても素敵な鳥なんだ----------------------------これは、以前、ある演劇サークルに参加している女の子が、自分でつくりましたと、私に見せてくれた詩です。自分を表現することが、あまり得意ではなくて、いつも、静かに笑っている女の子です。でも、その目のなかには、不思議な深い光があって、何かを感じているのだろうなと、思っていたのでした。風見鶏。最近は、あまり見かけることもなくなったような気がします。 私が見落として いるだけでしょうか…。また、このことばは、たとえで使われるときには、必ずしも、いい意味では使われないことがおおいような気がします。でも、その風見鶏に、こんな、やさしくあたたかいまなざしを、その子は向けていたのでした。私たちは、日常生活のなかで、ついつい、目立つこと、派手な表現をするものに、こころをうばわれがちです。でも、それらのこと・ものと並んで、ひっそりと存在しつづけること・ものも、また、たくさんあるのです。もしかしたら、その女の子は、その、目立たないこと、静かに存在しつづけるものに、自分のありようを、重ねていたのかもしれません。その自分のありように、そっと、静かなまなざしを、注いでいたのかもしれません。ちいさな揺れるこころを、抱きしめて、抱きしめて、そのままでいいんだよと、そっと、語りかけている…。そのとき、そんなイメージが、浮かんできてしまったのです。もしかしたら、それは、私のセンチメンタルな思いこみかもしれないけれど…。そんなことを考えていたら、なんだか、目の奥が、つんと熱くなってくるのでした。あわただしくすぎていく日々。でも、ときには、立ち止まって、ゆっくりと深く呼吸して、風見鶏のように、風の流れを感じてみるのも、悪くはないかもしれません。胸の底に、思いはあふれて、自分の無力さを、ときにはなげきたくなることもあるけれど、それでも、自分にできるちいさなことを、ひとつ、ひとつ、積み重ねて…。そして、そんなちいさな自分を、何度でも、何度でも、抱きしめて。やさしくささやいてあげたい。「そのままでいいんだよ…」と。今日は、ひとりの女の子からもらった、この一篇の詩から、静かに思いをはせてみました。こころがざわざわするときに、くりかえし、この詩を思い返したいと思うのです。不思議な、やさしさに満ちた、その子のまなざしを、いとおしく思い起こしながら…。風見鶏…風見鶏…。動くことはできなくても、そこに、じっととどまって、風の動きを見守っている。ときの流れを見守っている。風見鶏…。風見鶏…。よろこびも、かなしみも、その胸のなかに、そっと抱きしめながら…。ひたひたと寄せてくる、あたたかな思いを、いま、あなたにも、手渡したいと、思うのです…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2070号(2009年6月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。