1510122 ランダム
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おいでやす。郡山ハルジ ウェブサイト。

北海道マラソン2004

HokkaidoMarath

【出走前】
オイラにとっては6回目のフルマラソン。荒川市民マラソン以外ではじめて出走する日本国内のフルの大会であると同時に、5キロごとの関門があるはじめての本格的な大会でもある。

大会前の数週間忙しくでロクに走れなかった上、その週末も社用で休めない可能性があったため、出走をなかばあきらめかけたオイラであったが、さいわいなことに週末の2日間の両方を休めることが判明し、「とりあえず、完走できなくとも出走することに意義がある」と自分に言い聞かせ、札幌までやってきたオイラ。

...とにかくオイラは走る前から疲れていた。何んせ前の週末は仕事で徹夜だったし、ここ1週間も帰宅できるのはせいぜい9時。過去数週間の疲労もこの1週間ではちっとも取れず、土曜日に札幌に着いたオイラは42キロを4時間以内で走るには疲れ過ぎていた。「やっと土曜日に休める!」と思ったら、翌日はフルマラソン、という皮肉(笑)。

そう、「市民マラソン」ではなく、国内外の一流選手を招待して開かれる由緒正しい本格的な大会である北海道マラソンは、「出場資格」がある上に「関門」のある大会なのだ。1キロを5分35秒ペースでコンスタントに42.195キロを走りきらないと、関門封鎖で強制的にバスに収容されてしまう。「マイペース」で入れる大会ではないのだ。

前日の晩ホテルで開かれた「開会式」に出たオイラは、疲労のためずっと頭痛がしていた。こりゃ、明日は完走はムリだ。とりあえず「35キロ関門通過」を目標に走ろう、と決めた。

当日朝。6時間半も寝たのは何週間ぶりだろう。ベッドの中で、身体の芯に疲労感が横たわっているのを感じる。このまま一日中ベッドの中でじっとしていたような気分。オイラは目を覚ました後もベッドの中でギリギリまでウダウダしていた。

楽天広場のマラソン仲間とスタート会場である真駒内競技場に到着すると、スタートまでまだ2時間くらいあるというのに、参加者達は早々とウォーミングアップで走り回っている。これまでいわゆる「市民マラソン」しか走ったことのないオイラは、参加者のほとんどがスタート数時間前に会場に到着してウォーミングアップしている様子にショックを受けた。

オイラはこの大会への「出場資格」である「フルマラソンを4時間以内で走った記録があること」という条件を何とかギリギリで満たすことでこの大会に申し込むことができたクチであった。ほかの参加者は、招待選手は勿論のこと、いわゆる「市民ランナー」たちもそのテの趣味の人たちとしてはかなりレベルの高い連中なのだ。オイラは自分がこの大会で一番レベルの低い部類に入る事実を痛感した。


【いよいよスタート】
正午を10分まわって、レースがスタートした。気温は17.5℃、しかも小雨。この季節のマラソン大会としては最高のコンディションである。「暑さ」を言い分けに途中棄権できなくなってしまった(笑)。しかし、真駒内競技場のトラックを半周まわって競技場を出るとき、オイラの後方には誰もいなかった。最初の2-3キロも、オイラはずっと最後尾の集団の中にいた。3キロを走って、「もうイヤだ」と思った。ここ数週間、せいぜい5-6キロしか走っていなかったし、前々日は2キロ走っただけでバテてしまい立ち止まったくらいスタミナが消失していたのだ。オイラはまだ10分の1の地点を走っている段階で、残り10分の9の距離を想像し早くも「リタイヤ」を真剣に考えていた。

それから2-3キロ我慢して走りつづけるうちに身体が温まってきたのか、マラソンでいう「セカンドウィンド」というヤツであろうが、「もうイヤだ」という感覚の峠を越えて不思議と調子が出てきた。35キロは分からないとしても、「ハーフまでは行けるな」という気がしてきた。ススキノの大通りを通り抜け、三越の横の10キロ地点を通過したとき、オイラは依然として最後尾のひとりではあったが、関門時間の1-2分前に通過することができた。スタート時の渋滞による時間のロスを考慮すれば、まあ、許せる範囲内のタイムであった。

15キロ地点まで、ずっと街の中である。沿道で走者を応援する人たちの波が途切れる様子もない。アフリカ出身の高速ランナーの一群や千葉真子さんのような招待選手のトップ集団はもうとっくの昔に通過したハズなのに、沿道を去ることなくオイラたちのような関門ギリギリのシロウト走者たちにも懸命に小旗を振って惜しみのない応援をしてくれる道民に、ちょっぴり感動した。

そうこうしているうちに、走り始めてまだ1時間半くらいしか経っていないはずなのに、進行方向からトップ集団が突進してきて猛烈なスピードで対向車線を走り過ぎて行った。オイラの全力疾走のときのスピードと変わりない(笑)。それから数分して、男子選手の第2、第3集団の後を、ストーカーまがいの多数の野郎どもに囲まれた千葉真子選手が走り去っていった。ムサいオッサン・ランナーたちに囲まれて、なんだか迷惑そうだった。そういうオイラも、走り去る千葉選手の背中に「千葉さん頑張れ!」などと応援の声をかけているメーワクなオッサンのひとりではあった。

【やがて最初の折り返し】
やがてハーフ地点を過ぎ、そろそろ知り合いのランナーとすれ違う頃かと思いつつ対向車線を注意して見ていたところ、第1折り返し地点に向かう途中でMickeyKさんがちょっと驚いた表情でこちらに手を挙げて合図してくれた。4月のレースで3時間40分を切った彼は、すでにオイラより3キロ先を走っているのだった。しかしそれから折り返し地点までの約1キロは、中央分離帯の植え込みに遮られて対向車線を走る仲間の姿は確認できなかった。

この第1折り返し地点を過ぎると、コースは極めて緩い上り坂になるとともに、往路では追い風だったものが強い向かい風となって吹きつけてきた。周りのランナーも目に見えてペースが落ちている。
数百メートル前方で、レースの係員が25キロ関門閉鎖まであと2分何十秒というアナウンスを始めた。35キロ関門をゴールと考えているオイラにとっては目標どおりのタイムであったが、完走を目指しているほかのランナーたちはそれを聞いてかなり慌てたハズだ。

ここでペースの落ちているみんなと一緒に走っていたら35キロ関門突破は覚束ない。オイラはここで誰も走っていない道路の中央側に寄り、潰れるのを覚悟の上で、キロ15秒くらいペースを上げた。残り17キロは維持できなくとも、35キロ地点までの10キロまでであればこのペースで走れる自信はあった。

そこから30キロ地点を少し過ぎるまでの6-7キロは、自分としては快調なペースで飛ばした。たぶん数百人は抜いたと思う。少なくとも、この間に誰かに抜かれたことはなかった。しかし、街中へと向かう国道に入るちょっと前のポイントで、ちょっとペースを上げようとしたらハムストリングが攣った。ちょうど3月の荒川マラソンで、やはり同じくらいの地点で経験したのと同じ症状。30秒くらい前屈してストレッチしているうちに、余裕で100人くらいのランナーが追い越していった。

これ以降はハムストリングが攣らない程度の強度でだましだまし走るしかなかった。脚に力を入れると攣りそうなので、腹筋による腿上げと腕振りでスピードを維持した。少なくとも周りのランナーたちと同じくらいのスピードを保つことはできた。街中の35キロ関門を目指し、あとはひたすら前進するほかなかった。辛くはないし、スタミナがまだ余っている感じなのにスピードを上げられないのは実にもどかしい。

【35キロ関門へ】
...この先、いつまで経っても35キロ関門はやってこなかった。オイラの脇を、経過時間を表示した馬鹿デカイデジタル時計を載せた乗用車が過ぎて行った。関門時刻まではどうせまだ余裕だろうとタカをくくっていたが、どうやらそうでもなかった。この乗用車の中からスピーカーかメガフォンで、またしても35キロ関門閉鎖まで2分何10秒というアナウンスが流れた。しかもご丁寧に、10秒刻みにカウントダウンまでして焦らせてくれる。何がいちばん焦るかと言って、35キロの表示がまったく見えてこない。目指すところの関門が見えないことにはどれくらいスピードを上げたらよいかも想像がつかないではないか。

慌てる我々ランナーは、この乗用車を追って高架下の100M弱の坂を下った。そして今度は高架下をくぐり抜けて坂を上り終えたところで、ようやく前方に35キロ関門が目に入った。通過時刻、関門制限時刻の2分弱前。...これで何とか「私的なゴール」はなんとかクリアできた。これはもしかすると最後の40キロ関門(通過制限時間:3時間45分)も通過できるかも知れない。貯金2分弱で40キロ関門を通過するために、オイラは勝負に出ることにした。ハムストリングに負担をかけずにスピードを上げるためにやや前傾姿勢をとり、足を地面に叩きつけるような「ハーフマラソン向け」の走法に切り替え、バタバタと走り始めた。

ところで実はオイラは10キロ付近くらいからずっとオシッコを我慢していた。何んせ10キロ前後はずっと街中だったし、20キロ地点までも比較的人通りの多いところで、立ちションのできる場所はなかった。だからそれまでずっと、「あと5キロガマンしよう...」と自分に言い聞かせているうちに、テキトウな場所がないままついに35キロまで到達したのであった。

33キロ付近で濡れスポンジを脚にあてがったところ、体が冷えたためか尿意があらためて昂然と沸き上がってきていた。オイラは前日、最後の7キロの下見をした際に、37キロ付近の歩道橋下に公衆便所があることを知っていたので、そこに到達すれば思う存分ショーベンができるのだと自分に言い聞かせ、尿意を抑えてスピードを上げたのであった。

前日歩いて下見した時にはエライ長い折り返しに感じられた5キロであったが、実際走ってみると、やや頭がボーっとしていることもあって(笑)気がつくと折り返し地点に到達していた。40キロ関門まであと2.5キロ。最後のスパートで血中のアドレナリンが増加していたためか、歩道橋下の公衆便所のことも尿意のこともいつの間にか忘れていた。スピードを上げても脚が攣りそうな気配もない。この時点初めて、完走できるたしかな手応えを感じた。あとはもう悔いの残らないよう、全力で走るのみであった。

この地点としては自分でも驚くくらいの勢いで走っていたのだが、38キロ地点ではオイラのすぐうしろでアニマル浜口に感化されたらしいオッサンが「気合だー!」と叫んでスパートし、オイラの脇をすり抜けてあっという間に先に行ってしまった。このオッサンについて行こうかとも考えたが、ベジタリアンのオイラではアニマルの気合には適わなかった。そういえば、36キロ地点でまるで悶え声のような妖しい声の混じった激しい息遣いの女性が、「ハァン、ハァン、ハァン...」と言いながら走っているのに遭遇したが、この女性も速くてオイラには着いていけなかった。

【40キロ関門突破-ゴール】
豊平川に掛かる橋を渡り切ると39キロ。関門閉鎖時刻まではまだ10分はあるはず。彼方に見える街中の方から大きな声援が聞こえていたはずだが、頭がボーっとしていたためあんまり記憶に残っていない(笑)。最後の直線となるすすきの大通りに向けてひたすら走る。40キロの関門に表示されていた時計が見えたが、まだ3時間40分に達していなかった。5分以上の余裕。オイラは思わず「やったー!」と大人げない率直な感想を声に出して関門のマットを通過した。

最後の40キロ関門をクリアしたら、そこから先はもう走らなくてもいいんだよな…などと一瞬考えてスピードを落とそうかとも思ったが、「全力を出し切った満足感」を味わわないと後悔しそうな気がしたので、すすきの大通りに入ってからもハイペースを維持した。
(…でも、「ハイペース」だと思っていたのは自分だけで、あとで計算してみたらスタート時と同じキロ5分30秒ペースだった。周りの人のペースが落ちていたので、自分がハイペースで走っていると勘違いしていただけのようである。)

交通が遮断されたすすきの大通りのド真ん中を、沿道の観衆の声援を浴びながらゴールの中島公園に向かって突き進む自分を、ちょっぴり誇らしく思った。通常の市民マラソンでは味わえない、ちょっとした「本物のランナー」の気分である。でもさすがに最後の2キロはツラかった。中島公園がひたすら遠く思えた。中島公園に入ると、ゴールまであと700メートル。

公園内の石畳で最後のスパートを試みるが、さすがにもう体がついて来なかった。ラスト数百メートルでは、小柄なジイサンが猛烈なピッチで皆を追い抜いて行ったが、彼に付いていく力も残っていなかった。オイラは最後の100Mやそこらで何とか最後の力を振り絞ってラストスパートしたが、結局ジイサンの背中を見たままゴールのゲートをくぐった。
ゴール直前では、反射的に「グリコ」の万歳ポーズをしていた。これまでにも5回ほどフルマラソンを完走しているが、こんなポーズを(しかもごく自然に)とったのは初めてであった。タイムは3時間53分。もともと35キロ関門をゴールと決めて走ったにしては、上デキ過ぎるタイムである。

ゲートをくぐってすぐ、ボランティアのボーイスカウトの少年が完走メダルを首にかけてくれた。これまでにもカナダの大会で完走メダルを何回かもらっていたが、今回の完走メダルは我ながら本当に誇らしく思った。
その後、クーリングのためにボランティアの方からホースで脚に水を浴びせてもらったところ、パンパンになっている膀胱のことをようやく思い出しトイレに直行した。よくまあこんなに大量の尿をガマンできたものだと思われるくらい、スゴイ勢いで大量のショーベンが出た。そう言えば、ついに一度もトイレに入らぬままフルマラソンを走りきったのは、これが初めてのことであった。

誰か知り合いがいないものかと思いつつゴール会場付近をブラブラしていたところ、ミノルトトさんに会い、楽天仲間のアザラシさんやヒデさんらも無事完走したことを知らされた。アザラシさん完走のニュースは自分のことのようにうれしかった。アザラシさんと言えば2ヶ月前が初マラソンで、しかもそのタイムが4時間30分を超えていたのである。それを一気に30分以上短縮し全関門をクリアしてゴールしたというのは、睡眠不足&練習不足のオイラが完走する以上に厳しい条件だったはずだ。オイラはスタート前に家族と固く握手を交わすアザラシさんの姿を思い出し、ちょっと感動した。

よかったよかった。いい大会だったよ北海道マラソン。参加してよかったです。沿道で応援してくれた道民の皆さんや親切な多数のボランティア及び係員の皆さん、そしてこの大会をより思い出深いものにしてくれた楽天をはじめとするマラソン仲間の皆さんに感謝。

10km… 00:55分 (関門57分)
15km… 1時間23分 (関門1時間25分)
20km… 1時間50分 (関門1時間52分)
25km… 2時間18分 (関門2時間20分)
30km… 2時間45分 (関門2時間48分)
35km… 3時間14分 (関門3時間16分)
40km… 3時間40分 (関門3時間45分)
ゴール… 3時間53分


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