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カテゴリ:マラソン/山/トライアスロン
3日目
朝、食事用のテントで顔を合わせたヴェロニカは、昨日とは打って変わって元気がなかった。昨晩から腹の調子がおかしいという。朝食にもほとんど手をつけず、朝食と同時にポーターから手渡されたランチ袋からも消化のよいゆで卵とかを残してすべて朝食のテーブルに残していた。 そういえば昨晩トイレに行くためにテントを出たとき地面に誰かのゲロの跡を見た。吐き気と頭痛は典型的な高山病の症状なので、かなりグロッギー気味だったテキサス3人組の紅一点ジェイミーが吐いたものかと勝手に思っていたが、あれはヴェロニカのものだったのかも知れない…と思った。 8時過ぎに、ガイドのジョセフを先頭に、アシスタント・ガイドのハミスを最後尾に、シラ・キャンプを後にする。今日の行程は、3800m地点のシラ・キャンプから標高4600mのラーバ(溶岩)タワーまで一気に登り、それからまた標高3900m付近にあるバランコ・キャンプまで下りる計約15キロを、6-7時間掛けて踏破することになっている。昨日に比べるとややハードな行程といえる。 出発して10分もしないうちに、ヴェロニカが列を離れ草葉の陰で用を足し始めた。腹痛に襲われたらしい。いったん列に戻りまた皆と登山を再開するが、また5分もしないうちに列を逸れて岩場の陰で用を足している。今度は下痢だけでなく、食べたものを吐いている様子である。 そんなことを30分やそこらのうちに4-5回も繰り返しただろうか。ヴェロニカが用を足すのを待っているうちに、シラ・キャンプを出発した登山者とポーター50~100人程度の列に追い越され我々は最後尾になっていた。 何回目かの用を足し終わったヴェロニカとフィリップは、行進を再開する前にドイツ語で真剣に何かを話し合っていた。このような体調でこれからの行程をどうするかを話し合っていることは間違いない。 やがてフィリップが痛々しい表情で宣言した。ヴェロニカは以降の行程を踏破するにはあまりにも弱り切っている。この時点で彼女は下山し、フィリップ1人がチームに残ることにする、と。 …その決断を聞いて、ジョセフとハミスが話し合い、ハミスがヴェロニカに付き添って下山することになった。 ヴェロニカの下山のために2人はそれぞれのバックパックの中身の交換を始め、あとの3人はそれを黙って見ていた。フィリップはいかにも辛そうであった。うな垂れて涙を流していた。 後になって本人にから聞いた話だが、ヴェロニカが下山を決心したとき、フィリップはいったんヴェロニカと一緒に下山しようと思ったそうである。しかし、ヴェロニカの「あなただけでも山頂を目指して」という希望を聞き入れ、泣く泣くフィアンセと離ればなれになることを選択したらしい。 事実フィリップはキリマンジャロ登頂をもう何年も前から計画しており、フィアンセとともにその夢を果たすことに決めてからは、その準備やトレーニングのために(オイラなんかと違って)1年以上も費やして来たのであった。 だから、登頂をともにする相手がフィアンセでなく、何かの間違いで参加したようなアジア人の中年のオッサンであるオイラに変更になったわけだから、これが泣かずにいられようか。 ヴェロニカとハミスを見送り3人になった我々は、しばらくそのまま押し黙って先に進んだ。 4000mを超えると降雨は極端に少なくなるため草木は見当たらなくなり、地衣類だけが赤茶けた岩や地面の上を覆う、SF映画の火星かどこかのロケみたいな光景が続く。 一方で、4000m以降はそれまでははるか彼方に見えたキリマンジャロの頂上がすぐ眼前に迫って見えるようになり、いよいよ登頂が夢ではなく現実のものであるという実感が湧いてくる。 とくに、3日目の最大標高4600m地点にあるラーバ・タワーはまさにキリマンジャロ頂上のすぐ足元にある、という感じで、そのまま頂上まで登っていけそうな錯覚にさえ陥る。 実際、プロ級の登山者用ではあるが、ラーバ・タワーのあたりから頂上を目指す“近道”ルートが存在し、「ウェスタン・ブリーチ Western Breach」と呼ばれているその険しいルートを通常であれば6日間のマチャメ・ルートに盛り込み「5日間コース」として売っているツアー主催会社も存在した。 しかし、ガイドのジョセフの説明によると、今年の初めにウェスタン・ブリーチからの登頂を試みたアメリカ人登山者3名が事故で命を落として以来、この近道ルートはキリマンジャロ国立公園の当局から閉鎖を言い渡され、今は一般には公開されていない、ということであった。「一般登山者向けの山」といった印象のあるキリマンジャロであるが、やはり人が死ぬ程度の危険はあるわけだなあ…とあらためて思う。 オイラはジョセフの先導で、むしろ休息することを選択したフィリップを残し、溶岩流が固まってできたらしいこのラーバ・タワーに登ってみることにした。 標高4000m以上ともなると、登山者のほとんどは何らかの形で高山病の症状が出始め、グロッギー気味になる。わざわざラーバ・タワーのてっぺんに登ろうというヤツは、よほど体力に余裕のある少数派である。 岩の表面に張り付いて必死でタワーを登っていたところ、テキサス3人組の中でも体力自慢のライアンが上から降りて来ていた。彼の話ではやはり相棒の2人は休息を選択し、タワーに登ることにしたのはライアン1人とのことであった(笑)。 ラーバ・タワーを後にすると、あとはバランコ・キャンプまでほとんど下り道である。 下りの途中では、解け出した氷河が山頂付近から流れて作っている小川をいくつも横切ることになる。 実は、我々登山者のキャンプ中の飲料水はこの解け出した氷河が作った小川の水を、ポーターが汲んできて煮沸したものである。標高4000mともなるともはや降水は微々たるもので、解け出した何万年も昔の氷河だけが我々の命の元になるのである…というのはちょっとロマンチックである。 火星のような光景の中でも、小川の周囲だけは一部高山植物が生育し、蝶が舞ったりしている。バランコ・キャンプに向けて標高が下がるにつれて霧が出てきたりして、氷河の小川が流れる谷はなかなか幽玄な雰囲気を醸し出している。 午後4時くらいになってようやくバランコ・キャンプに到着した。先に到着したポーターが張ってくれたテントに入ってひと息つくが、昨日に比べると体調は悪くない。昨日の座禅とストレッチが効いたのかも知れない。 ただ気になるのは、バランコ・キャンプから先の登山道がさっぱり見当たらないことである。このキャンプは2つの尾根に挟まれた台地のようなところで、右を見ても左を見ても切り立った崖のような地形であり、頂上へと続く山道らしきものが見当たらないのである。登頂の前日となるはずの明日の行程に不安が募るではないか。 明朝、この不安はすぐに現実となるのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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