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2008/12/20(土)16:35

負のカリスマその後 -戸川純

本・音楽・映画等(124)

昨日の日記に関連するのだが、通常のカリスマの逆で、“ネガティブなカリスマ性”の持ち主とでも言うべきボーカルがマレにいる。 カリスマというのはふつう「コイツには適わない」という、見る者の服従性を誘う英雄的な能力の一種である。しかし、むしろ見ているとついイジメたくなるような、「このバカ、見ていてこっちが恥ずかしくなるわ、ちょっと小突いたろか」と思わせるようなダメなキャラなのに、言葉に表せないその奇矯さになんだか目が離せなくって、つい惹き付けられてしまう、そんな負のカリスマが確実に存在する。 有名になる前の、初期のトーキングヘッズのデビッド・バーンとか、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンなどはその好例だと思う。 しかし、オレが今日ここで触れようと思っているのは、戸川純である。 オレは戸川純という、あの不思議少女的キャラはどちらかというと好きではない。しかし、彼女のCDは現役の頃から四半世紀を経た今でも、聴くと感動する。ひと言でいうと「バカなんだが、スゴイ」のだ。 バカといっても、戸川純の知能の高さは尋常ではないと思う。彼女の書いた文章やインタビュー記事を読むと、女性には珍しい「紙一重」タイプだと確信する。 ただ、彼女のステージでのアクションを見ると、「いい加減にしろ」と言って小突いてやりたくなるくらいバカである。本気で、しかも一生懸命にやっているのは分かるのだが、とにかく不恰好でみっともないのだ。でも、スゴイので圧倒されて、つい見入ってしまう。それはちょうど、ブスなのだが演技でなく本気で全力でやっているA-V女優の本番ビデオに通じるものがあるかも知れない(笑)。 実はオレは昨日の日記を書きながら、20年も前に一緒にバンドをやった仲間である鰻坂ヒカルのボーカルについて考えながら、ちょっと戸川純と共通するところがあるなあ…などとふと思い、楽天ブログにアップするための記事をここまで書きながらYouTubeで戸川純のビデオを検索していたのだが、そこになんと、ほんの数年前の戸川純(ヤプーズ)のライブのクリップを発見してしまった。そしてそれを見た途端、オレはあの当時の戸川のボーカルについて書くのがバカバカしくなってしまった。 とにかく、それが、スゴイのである。 クリックするとライブ映像にジャンプ 戸川純は1960年生まれだから、そろそろ50歳(笑)である。このビデオクリップは3~4年前だから戸川はもう40代も半ば、外国であればそろそろマゴがいる年齢である。 このビデオを見ると、その戸川は、さすがに年齢の自覚があるのか(笑)20年前のあの不思議少女キャラというかヘンな商売クサさを棄てて(もうランドセルも背負っていない(笑))、例のブリッコ唱法も一切取り入れず、全編『パンク蛹化の女』的な野太い絶叫で歌っている(そしてときどき狂女のように笑っている(笑))。この噴出する情念ボーカルはもうHolesのコートニー・ラブをも超えていると思う。 バックバンドのヤプーズの音楽もデジタル的な効果音を全編に盛り込み、バッドトリップ的なカオスの雰囲気を大いに盛り上げている。20年前のオコチャマ的な甘さのない本物のハードコア、これはもはやRozz Williams の死後 Eva O.をボーカルに迎えて復活したクリスチャン・デスの領域ではなかろうか(笑)。 考えてみると、このライブ映像は戸川純の妹の戸川京子が自殺した後のものだ。 このライブの戸川は、20年前にステージ上で見せていた苦悩や狂気からカメラ目線というか商売っ気を取り去った、真摯な苦悩・狂気を見せているのだろうきっと。 これを見たらもう20年前の商売クサさのある戸川なんて屁のようにさえ思える。 戸川はかつて自分のファザコン・マザコンぶりを説明するのに「自分には反抗期がなかった」と言っていた。戸川の当時のあのバカキャラというか不思議少女キャラは、彼女が「反抗」する代わりにパッシブ・アグレッシブ的に世界に対応する手段だったのだ。彼女の「負のカリスマ」というのは言わばそのパッシブ・アグレッシブ的な世界への対処の仕方が共感を得たものだったと思う。 まったくの妄想だが、戸川は妹の自殺を機に、ついに父親の抑圧と対峙し「パッシブ・アグレッシブ」からただの「アグレッシブ」になったのではないか。そして、負のカリスマを卒業して、闇の世界のカリスマになったのだ。今の彼女を見てオレは思う。「コイツには、適わない」

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