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2009/05/30(土)13:57

坂道

たわごと・仕事・愚痴(200)

ぼくの住んでいる地域の特徴は、山がない代わりに丘が多い点である。 日本では、東北、首都圏、関西のいずれに住んでいたときも、東西南北どちらかを向けば背景に必ず山があった。 今住んでいる地域はもともと氷河期の終わり頃は(現在の)五大湖の湖底だったのだろうが、こんななだらかな丘が地平線の果てまで延々と続いている。 この地形が自転車のトレーニングには最適である。 アメリカとの国境の街に住んでいた頃は、デトロイト川の土手(約5m)が最大標高であり、何キロ自転車を走らせようがまっ平らで、ちっとも脚が鍛えられないのであった。 しかし今は家を出て東西南北どちらに500mも走れば必ず坂に突き当たる。どこに行くにも坂を上らなければならないし、いったん下った坂は家に戻るためにはあとで必ず登らなければならない。 坂といえば思い出すのは高校時代のことである。 オレの通っていた学校は進学校であるにも関わらず運動部が強いことで知られていたが、その理由として誰もが指摘していたのが、学校が高台のてっぺんにあり、生徒のほとんどが自転車で通学していた点であった。学校に通うのに生徒の大半が毎朝自転車で坂道トレーニングをしていたわけで、通学するだけで足腰と心肺能力が鍛えられていたのである。 思えばこの坂が半端では無かった。東西南北どの方角から通学してこようが、標高0mから標高150mまで登らなければならないのだが、これが長くてややなだらかな坂から心臓破りの急坂までの組み合わせであった。とくに心臓破りの急坂は「全力で漕げば何とか自転車から降りずにてっぺんまでたどり着けるギリギリの勾配」であり、毎朝が「登り切れるか、挫折して途中で自転車から降りるか」という自分との闘い、葛藤であった。 その頃の経験が記憶の底にあったのかどうか分からないが、こちらに引越してきてから自転車で外出するときはいつも緊張した。「あの坂に立ち向かわねばならない」という一種の恐怖感があったのである(笑)。もちろん下り坂はラクちんだが、いったん下った坂はあとで必ず登らねばならないという「ツラさの先取り」がつねにある。つまり、大袈裟に言えば坂とは「自分との闘い」の象徴であり、自転車で外出するたびにその葛藤が条件反射的に心中に沸き起こるのである。 引越して約1年、ようやくこの恐怖感から開放されたような気がする。 この周辺の坂道は東西南北20キロ半径内はほぼ走り尽くしたが、何べんもその坂を征服しているうちに、どんな急坂でも自転車で登りきれない坂はもうない、という自信がついてきた。いちばん勾配のキツイ急坂でも、いちばん軽いギアにして立ち乗りで地道にペダルを漕ぎ続ければ、気がつくと坂のてっぺんに到達しているものだ。...そう思うと、もう自転車で外出するときの葛藤も感じなくなってきた。まあ、そんな自信がついたのは、1年間のトレーニングの成果というより、さいきん10数万円出して買ったカーボン製の車輪のおかげというのも事実ではあるのだが(笑)。 まあ、マラソンを始めたのといい、アイアンマンを目指すことにしたのといい、究極のところは自分を追い詰めて、自分とたたかって、自分に克つという経験がしたかったのだと思うのだが、この「坂道の恐怖」を克服したというのは、アイアンマン本番まであと3ヶ月を残すのみとなった今となってようやく「自分に克つ」自信がついたということなのかも知れない、とちょっとだけ思った。(おわり)

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