誰も行かない旅シリーズ? 佐倉編 その1
「誰も行かない旅シリーズ?}私のオリジナル企画のプチ旅行の続編・・・。千葉シリーズでこれまでの佐原、いすみに続き今回は佐倉!のんびりとしたいすみツアーとは一味違うてんこ盛りの旅行となった。今回は車で午前中から出発。昼に佐原に到着し、ホテルに車を置き駅前の観光案内所でレンタサイクルを借り夫が食べログで調べていた「幸食堂」に向かう。食べる場所のことだけは自分で調べる夫・・・。食堂の前になぜかたくさんのカメ・・・。なぜ佐倉にカメが多いのかは後で判明することとなる。鶴とカメがお出迎え?超庶民的外観の食堂だが出てきた定食のボリュームが「てんこ盛り!」笑デカいトンカツ!!お隣ではおじさんたちが昼から宴会をやっていた(笑)気取らない店の雰囲気が人気のよう!美味しかった!腹ごしらえを完了しさっそく佐倉城址へ!3年前くらいから構想を持っていた佐倉ツアーだったが先日タイムリーにBSの旅番組で佐倉が取り上げられて高橋秀樹さんが私が行きたかったところをバッチリ紹介してくれていた(笑)桃太郎侍にも児玉源太郎にも(高橋さんが演じていた)ピッタリの街!その番組では取り上げなかった佐倉城址にある国立歴史民俗博物館にまず入ってみる。しかし、とにかく広い城址!!平城なのに押しつぶされそうな重圧感がある・・・。国立歴史民俗博物館1日ではとてもまわり切れない内容の展示だろうとは下調べでわかってはいたものの、受付の女性に入口で「5キロありますので~」と言われ・・・(唖然)マラソンコースか?!と吹き出しそうになるが大真面目な受付さんに失礼になってしまうため笑いを飲み込んで中に入る・・・。が、入ってすぐにその「5キロコース」がフルマラソンに近いものだと気づく。。。。古代から現代まで6つの巨大な展示に分かれており膨大すぎる展示の量にのけぞりそうになる・・主目的は一応期間限定の展示の「大久保利通展」と城址の陸軍跡の見学なのでこのままだと見られなくなるのではという危機感を覚えフルマラソン?をあきらめしかたなく端折りながら5キロウオークをすることにした。ちゃんと見るには常設展だけで数日かかるだろうそれだけを目的に来ないとダメだ。(汗)展示は良くできているが複製が多いような気がした。こんなすごい量の展示を維持するのにいったいいくらかかってるんだろう?そしてなぜ「佐倉」にこんなスゴすぎる博物館が作られたのだろうか?もしかして地下に秘密組織でもあるんじゃなかろうかと思うくらい(?)法外な「てんこ盛り」展示に眩暈がしそうになった。夫は折り返し地点すぎで(?)ギブアップして「オレもう無理~~!チャリに乗りに行く~~!」と脱落。大久保利通展はひとりで行くが文書がメインの展示でやはり字が読み取れないとよくわからない。もう少し要約や手紙の背景などの説明がわかりやすくあったらなぁと思ったが明治天皇の歌の先生だった高崎正風の写真(大久保と同郷)があったのが良かった。もっとゴツい感じの人かと思っていたが意外と細面でひ弱そうな感じで驚いた・・・。しかし!ここまで見るだけですでに4時前!!自転車は4時半までに返さないといけないため博物館の外の陸軍施設の跡を見ている時間はなくなってしまった・・・。あわててチャリで来た道を戻るが途中でお目当ての施設のひとつを発見!油の倉庫?他の場所にある解説板がないのでよくわからない・・・。他のサイトでは油の倉庫だと言われているようだ。残しておけば何かに使えるかもと思ったのか?茶色くさび付いたドアが生々しい。時間がないので他の場所はまた明日来れたら来ることに!あわてて駅へ戻りレンタサイクルを返却。その後、京成の佐倉駅近くにある「市民風呂」という公共の銭湯(?)へミレニアムセンターというビルの最上階で温泉ではないようだが、きれいに管理されており葉山からこのお風呂を探して来た言うと受付のおばちゃんが喜んでくれて持参しなければならないシャンプーを貸してくれた。お風呂に入ると中にいたおばちゃんがリンスを貸してくれて歓迎してもらい嬉しくなった!公共施設で風呂をやるなんて佐倉スゴいです!!葉山もやればいいのに~!お風呂の後は温泉気分で居酒屋の「庄屋」へ。旅館で食べたら5,000~1万くらいとられそうな刺身盛り合わせが1500円!!ビジホ泊まりでお風呂と食事を分割すればめっちゃ安上がりで全然OKなっしー!!ビジホは1人3,500円ちょいの料金で朝食バイキング付き。まったく問題ございません!翌朝、夫大好きな朝食バイキングを堪能してから今度は徒歩で佐倉城へ向かう。途中にある「サムライの古径」を登りながら城へ入るコースを取り武家屋敷通りに先に行くことにした。ひよどり坂くっきりと晴れた朝の光をさえぎる高く伸びた竹林。雰囲気はあるがちょっと整備されすぎてるかな?武家屋敷通りには昭和57年当時には24の武家屋敷が残っていたそうだが今はほとんどなくなってしまい保存公開されているのは3軒のみ。うち2軒は移築されたもののためもともと残っているのは旧但馬家のみ。高く伸びた植栽が時代を感じさせる。こちらは移築された河原家通りには今でも旧宅を直しながらお住まいの家やアパートなどに立て替えてしまった家も・・・。通り沿いに土塁を築いた上に垣根を作る構造が特徴のようでこれは馬に乗った位置からも中がのぞかれないようにするためとのこと。馬に乗って通ってみたかった!!武家屋敷通り児玉源太郎が佐倉の連隊所属時代に住んでいた家の跡もあった。生垣でふさがれてしまったいて中は見えなかった。ここから児玉源太郎の軍人生活がスタートしたのかと思うと感慨深いが都内の連隊ではなくなぜ佐倉だったのだろうかという疑問は残る・・・。児玉源太郎旧宅跡そして徒歩で城へ向かうがアップダウンの坂道がキツい。独特の地形が平城向きだと痛感する。明治に入り徴兵制がはじまり、佐倉城は見事に取り壊されて陸軍の施設に変わる。佐倉兵営(昭和14年)敷地めいっぱい軍の施設に。城の礎石は兵舎の基礎に使いまわし。城の礎石を兵舎用に軍犬と軍馬の墓がなぜか重なっている。軍犬・軍馬の墓何も考えてない夫が一番気に入ったのはこの遺構12階段ネットでは「処刑台か?」などと心霊スポット扱いらしいが高所から飛び降りる訓練のために作られた施設らしい。デカすぎて壊されなかったために残ったそうだが夫曰く「ロックしてる」・・・アホです。でもソリッドな造形は美しいと感じる見方もできる。飛び降りるために極端に踏幅が狭い・・・。一番生々しかったのは・・・兵舎の便所跡便器がはまっていた穴?今に比べると非常に狭い。ここで泣いていた兵士もいただろうと思うと胸が痛む・・・。1日にアップできる写真が限界になったため写真はここで一度終了。立派な博物館の展示は確かに驚いたがあまりにてんこ盛りすぎてどうなんだろうかとも思ってしまった・・・。見学者が目的を絞って行かないと結局何も伝わらずに終了ってことにもなる・・・(汗)全部を網羅しなきゃいけないのが目的だから博物館はまったく悪くない。どちらかと言うと受け取る側のほうの問題なのだが物事を伝えることの難しさをあらためて感じた。個人的にはやっぱりその場所で実際に役割を果たし歴史と共に時を刻んできた本物の軍事施設の遺構のほうが何倍もリアルに迫ってくる。一部だけでも残せば良かったのに佐倉城を壊した時と同じようになんの躊躇もなく壊してしまったんだろうな・・・。そうして押し流されるように歴史は忘れ去られ公園となった城址はマラソンランナーや犬の散歩の人たちがのんびりと行きかう場所に・・・。その2へ続く➡