宮古島ウルトラ遠足参戦記その2
昨日の日記の続き、宮古島ウルトラ参戦記≪1月17日≫朝、というか夜中の2時半、今度こそしっかりセットした携帯のアラームが鳴り、起きる。朝は強い私。すぐ起きて、うん、体調悪くない。これなら大丈夫!りんすけさん、まだ目を閉じたまま、「う~ん、もうちょっと寝てていいですか~・・・」どうやら、彼女は寝起きが悪いらしい。まだ若いからね。まだまだ、時間はたっぷりあるので、ごそごそ1人で準備を始める。3時にはりんすけさんも起きて、それから一緒に朝食会場に行く。胃がなんだかもたれていて、あまり食欲がなかったけど、それでもおいしい朝食だった。さて、準備してホテルのロビーへ下りるともうそこはランナーでごったがえしていた。まだ外はもちろん真っ暗。ちなみに、宮古島の日の出、日の入りはこんな感じ。(16日撮影) 中間地点に置く荷物を預け、二人でスタート地点へ。(ホテルのロビーからすぐ)ドキドキだよ 5時スタート胸に付けたランナースさんにつくってもらったお守りを片手でそっとにぎってから走り出す。ゆっくりゆっくり暗いのでヘッドランプをつけて走った。何かしら、明かりがないと足元があぶない。現に、ちょっとした段差でころんでいるランナーもいた。私の持って行ったヘッドランプは、登山に使っていたものだが、軽くて明るくって長持ちなので、日の出前も日没後も大いに役に立ってくれた。途中、トイレに行きたくなったが最初と2番目のコンビには何人か並んでいてパス。同じぐらいのベテランそうな男性が、その先にあるホテルのトイレがすいていて、きれいだと教えてくれた。でも、その前にすいている公衆トイレで二人ともすませる。気温はゆっくり走るのにちょうどいいぐらい。20キロ前後のところで同じぐらいのペースの年配の男性がいたが、そのときはわからなかったが、その方はなんと84歳。本大会の最高齢者で、16歳のお孫さんと参加されていたそうだ。7時を過ぎて、あたりはようやく明るくなり始めてきた。エイドはこんな感じ。地元の学生さんたちがボランティアしてくれている。 池間大橋の手前。風力発電の風車が見えた。 池間大橋。海が素晴らしい。 写真を撮っていたら、すでに折り返してくるランナーが「余裕だねぇ~」ほんと、後半の辛さをまだ認識できていなかった私。池間大橋のところで、またトイレに行き、そこでりんすけさんに「まるちゃん、私はゆっくり行くから先に行って」と言われ、そこから1人で走りだした。30キロぐらいのところで、若い女の子に追いついた。ゼッケンを見ると、沖縄県と書いてある。横に並んだ時に「沖縄からいらしたんですか?」と話しかけると彼女はたいそうビックリして、「何でわかったんですか!?」「ゼッケンに書いてあるんですよ」と言って、笑っちゃって、そこからずっと彼女と走った。彼女はまだ、フルマラソンが最長距離だとのこと。私と同じくらいのペースだったので、いろいろおしゃべりしながらそこから30キロほどご一緒させてもらった。日が昇るにつれ、どんどん暑くなってきた。前の方の人たちも走ったり歩いたり。私たちも、ついついエイドやトイレ休憩が長くなってしまう。予定よりかなり遅れて48キロの着替え休憩ポイントに到着。ここでも、甘いさとうきびジュースを飲んだり、オニギリを食べたりしてたっぷり休んでしまった。そして、びっくりしたことに「まるちゃん!なんでここにいるの!?」の声が。なんと、ずっと歩いてきたりんすけさんに追いつかれてしまった。これにはびっくり。私は歩いていないのに追いつかれちゃったんだ~(^^ゞりんすけさんはとても元気そうで、この分では100k完歩できそう。そして、そこでうれしいことに、今回は応援のオタッキーさんに会い、うれしい応援の言葉をかけてもらった(*^_^*)私もこの時点ではまだまだ元気で走れた。ので、またりんすけさんより先に行かせて貰う。一緒に走っていた沖縄の女の子の知り合いの男性が中間地点から一緒に走ったが、途中、時々胸が痛むということで危険なので彼はリタイアすることに。その地点で、歩きのりんすけさんに一旦追い抜かれていた。また、走り出したが沖縄の子は遅れがちになり、ついに60キロ過ぎると「私は早歩きにしますから、まるちゃんさん先に行ってください」と言われついに1人旅になってしまった。でも、そこでもまだ元気で、少しペースを上げた。前日に行った東平安崎の灯台をまわって70キロを越したあたりからから急に辛くなってきてしまった。写真は、前日とったもの 72キロのエイドで止まったとたん、両足が攣ってしまった。すね、ふくらはぎ、足の裏までいっぺんに攣ったのは初めての経験。どうしても走れなくなってしまった。そこからトボトボ1人歩きが始まった。つい、ちょっと前までの元気な自分は何だったんだろう。それからの1キロ1キロの長くて辛いこと。携帯の仲間からの応援を何度も読みながら一生懸命手を振りながら前へ、前へ。 無常にもどんどん、日は沈みあたりは暗くなってきた。 ウェストポーチからヘッドランプを取り出し点灯。何度か走ろうとしてみるが、また攣ってしまう。そして上半身がおかしくなってきた。咳をしながら走ったので気管があやしくなってきた。この時点で早歩きから、トボトボ歩きに。男性に追いつき、その方と一緒に進む。後ろからも女性が1人追いついて真っ暗な中、三人一緒に進む。あんまりたいして明るくないものしか持っていなかったりんすけさんが心配になり携帯で連絡すると、まだまだ元気そう。でも、道がこの先わかりづらいとの男性の言葉にやっぱり、りんすけさんを待つことにする。そしてりんすけさんも合流して、暗闇の中を4人で歩く。82キロすぎ、大会関係者の車がとまり、声をかけてきた。まだ、制限時間まで1時間半以上ある。歩けますと言ったが、でも、このペースで歩くとゴールはずっと遅くなりこちらとしても責任が持てないのでということを言われ、結局82.7キロの11番目のエイドまで行って、4人ともリタイアすることに承諾した。時間さえあればゴールまで歩けたかどうか?正直私は自信が無い。それにくらべ、りんすけさんはまだまだ充分元気そうで、リタイアでがっかりしていた。車に乗っても、ひどい吐き気で苦しかった。ゴール地点で車を降りると、そこにはまだ次々とゴールするランナーたちが。うれしそうにゴールする人たちをぼんやり眺めながら完走できなかったんだ私は・・・・(;_;)やっぱり悲しいテントでは、オタッキーさんが皆に温かいスープを注いでくれていた。自分は膝の故障で走れなかったのに、かいがいしくボランティアされているオタッキーさんの笑顔を見て、本当に癒された。偉い人だと思う。私の宮古島ウルトラ初挑戦は82.7キロで終わった。いつかリベンジできるのかな。リベンジしたくなるのかな・・・・