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残念なことですが、明日の演奏会で、私はおそらく感動することはできないでしょう。
この団体、こんなに好きになれない団体といい音楽なんて出来るわけがないのです。 音楽大好きな私が、一緒に音楽する人たちを好きになれないなんて、たぶん初めてのこと。 本当に悲しいです。 この団体(というかこの企画)、きょうになっても、なぜ?と思ってしまうことの連続。 真剣にやらなければ、観客はもちろん、指揮者をはじめとする他の演奏者に失礼だと言った私に、お祭りだからこれでいいといい、文句があるなら出演しなければいいと言っておきながら、前日になったら、平気で真剣にやりましょうと書いたプリントを出演者に配ったのです。 この感覚、信じられません。 人の話を素直に聞けない、過ちを認めず無礼を謝ることができない、そんな人に、人を感動させる音楽ができるはずがありません。音楽の神様がそんなことを許すと思いますか? 練習も全く変わりません。 相変わらずの私語。指示を聞かず、守らず、それが許されるどころか当たり前という態度。 きょうは、幾分気合いが感じられた部分もありましたが、前日になってようやく気合いが入るようでは遅すぎます。 本来、前日はもうリラックスするべきときだと思います。 前日になってもいまだ気合いの入らない人たちには、怒りを遥かに通り越した、私の気持ちを表す言葉が見つかりません。 当初の予定にはなかった演出に、これでは指揮が見えないという意見が出ると、我慢しろという指示。 演奏会ですよ。あり得ないと思いました。 音がずれてしまうかもしれないじゃないですか?音より見た目の方が大事? 指揮者が台に上がってもいいと思いますし、指揮が見える位置に動く指示が出るのかと思いました。 足が少し不自由で、素早い移動ができない方がいらっしゃることに気づきませんでしたか? 音楽をすることにすばやい移動が必要ですか? 大事なのは、かっこいい演出ではなく、音楽をしたいと思って集まった人たちを思いやる気持ちではないでしょうか? 東日本大震災で被災された方々に、頑張れ日本!の気持ちを込めて、選曲した歌。 これが原語では、意味がわからず、応援する気持ちが伝わらない。 だから、スクリーンに日本語訳を写したらどうでしょう?という私の提案は、しっかり受け入れられていました。 これは、昨年の第九の反省に基づいて(スクリーンの文字にふりがなをつけて欲しいといったら、もう間に合わないと言われたので)早めにと思い、先週、伝えておいたのです。 いい演奏会だったと言われるかもしれないことなので、私のしたことは良かったと思いますが、複雑な気持ちです。 苦情は受け付けません、嫌われるようなことは人にいいたくないですから。でも、いいアドバイスはして下さい、私たちが考えたことにしますから・・・・ こういうのを自分勝手というのではありませんか? この怒り、どこにぶつけたらいいのでしょう? この不満、明日までにどう解決できるというのでしょう? 私は、ストレスのかたまりになっています。 肩こりがひどく、頭痛と吐き気が襲ってくるのを待っているような状態です。 明日は、偏頭痛の頓服を忘れずに持っていこうと思います。 良かったことが一つだけありました。 帰りに大学の先輩にお会いしたのです。 私は、この先輩に所にお稽古に行こうとずっと思っているのですが、指が痛いこともあり、まだ実行できていません。 次回はオケのメンバーとして、ステージに乗りたいので、きょう、お会いできたことをチャンスに、必ず実行につなげたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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