3第3回「こんかつ!こころの量稽古」 稽古用テキスト 9年前のメルマガ「今日のフォーカスチェンジ」から、読者さんの質問を抜き出してみました。それに対するかめおかゆみこの回答を、あとに掲載します。これが正解ということではなく、まず自分の回答を考えてから、ひとつの参考例として読んでみてください。 夢をあきらめるなとか言いますよね。目的を持てとか、 希望があるから大丈夫とか。 しつこくあきらめずに思い続けることが執着だとしたら、 夢も希望も目的も、言葉を替えたら執着なのでしょうか? かめおか回答…P2 なんとかいつまでも被害者である自分を終わらせたいと 思ってます。でもそう簡単に終わらせられない現実に悩んでます。 やっぱり練習なんでしょうか? かめおか回答…P4 言ってることが伝わらないと思うと、 「もういいや」という気になって、相手にたいして 働きかける気がうせてしまうのです。 アドバイスをいただけませんか? かめおか回答…P6 恐怖と向き合い、力に変えるのには どうするのが一番効果的なのでしょうか。 かめおか回答…P8 過去の経験で自己防衛を覚え、勇気を出して伝えたところで、 やはり傷つけられた。その経験が、 私の鎧をさらに固くしただけです。 勇気ってどれだけ出せばいいんでしょう? かめおか回答…P10 他力本願になっている人には、どう対応すればよいのでしょうか。 相手が気づくまで、何を言っても無駄なのでしょうか。 かめおか回答…P12 自分を許すと言うことが、自分を甘やかしてしまう きっかけになるのでは…と思うと怖いのです。 どうか、自分を許す方法を教えていただけないでしょうか? かめおか回答…P14 P2 夢をあきらめるなとか言いますよね。 目的を持てとか、希望があるから大丈夫とか。 しつこくあきらめずに思い続けることが執着だとしたら、 夢も希望も目的も、言葉を替えたら執着なのでしょうか? ★今日のフォーカスチェンジ♪ 810 いいじゃないですか、執着したって。 たとえば、 あなたが、失恋をしたとします。 もう、やり直しはできないと わかっていても、どうしても、 あきらめることができない…。 「いつかまた、2人で、 笑いあえる日が来たら、いいな」 そんな夢さえ、見てしまいたくなる。 でも、それって、やっぱり、 夢でも希望でもなく、 残念ながら、執着なんです。 終わってしまったものは、 終わってしまったものなのですから。 私たちは、「執着を捨てなさい」と、 ずっと、教えこまれてきました。 私自身、このメルマガをとおして、 「手放しなさい」と、 繰り返し、書いてきました。 でもね、執着って、絶対に いけないものなんでしょうか? どうしても、断ち切れない思いを、 それでもあきらめなくては いけないのでしょうか? いいえ。 いいじゃないですか、執着したって。 いつもと反対のことを書くようですが、 どうぞ最後までお読みくださいね。 ひとのこころは、簡単には コントロールできはしないのです。 どうしても、どうしても、 あきらめきれないと思ったら、 「あきらめる」ことを、 あきらめてしまいましょうよ。 そうです、とことん執着するんです。 ただ、このことだけは、 覚えておいてください。 私たちは、自分の、その思いに、 執着することはかまわないけれど、 その執着する対象までも、 コントロールすることはできないのだと。 そのことがわかったら、 さあ、トライです♪ 執着をしなければ、 こんなにも熱い気持ちは 一生、知らずにいたかもしれません。 執着のおかげで、あなたは、 こんなにも深い感情を、この世で 体験することができたのです。 あなたは、執着をとおして、 より、ひとのこころがわかる 人間に、成長するでしょう。 理屈ではない、感情の機微を きちんと受け止められる人間に なっていくでしょう。 あなたを人間として、 より深い存在にしてくれる、 あなたの執着に感謝してください。 だからね、今日の結論です。 執着は、していいんです。 とことん、してみてください。 あなたが本当にまっすぐに、 ひとつのことに執着したならば、 必要な結果は、ちゃんと、 あらわれてきますよ。 どうぞ、それを、まるごと 受け取ってみてください。 もしかしたら、そのときこそ、 執着だと思っていたものが、 夢や希望であったことに 気づくかもしれませんね。 それは、最後のお楽しみ… なのかもしれません。 P4 なんとかいつまでも被害者である自分を 終わらせたいと思ってます。 でもそう簡単に終わらせられない現実に悩んでます。 やっぱり練習なんでしょうか? ★今日のフォーカスチェンジ♪ 873 練習の成果なんです。 ときどき、こんな質問をいただくことがあります。 「うまく、フォーカスチェンジが できるようになるには、どうしたらいいでしょうか」 お返事は、ただひとつ。 「練習しかありません」 たとえば、この「今日のフォーカスチェンジ」。 2003年11月1日に、スタートさせて以来、 まもなく、2年5か月になります。(2006年3月時点) おかげさまで、今日まで書きつづけることができました。 つまり、私は、毎日、「フォーカスチェンジ」を書く ということをとおして、 「フォーカスチェンジ」の練習をしていることになるのです。 2年半近く、毎日のように練習をしていて、 それでまったく上達しなかったら、 それは、むしろ才能です。(爆) ところで、練習をつづけるには、 コツがあります。 それは、いきなり うまくなろうとしないことです。 たとえば、私は、子どものころ、 まったく泳げませんでした。 それが、数年前、たまたま、 友人たちと、プール通いを するチャンスがありました。 そのときに、友人に、ていねいに教えてもらったことで、 私は、なんとか 泳げるようになったのです。 はっきり言って、はたから見ると、 「おぼれている」と紙一重の かなりアヤしい泳ぎかたです。(笑) でも、曲がりなりにも、私は、 泳げるようになったのです。 泳げない私ではないのです。 あとは、上達したければ、 もっと練習すればいいし、 この程度でよければ、 それでもかまわないのです。 さて、あなたの毎日を 振り返ってみましょう。 どうしても、ネガティブに ものごとを見てしまうという あなた! 実は、あなたは、毎日、せっせと、 ネガティブな見かたの 練習をしているのです。 だから、あなたは、必然的に、 ネガティブな見かたの 達人になっているのです。 ねっ? 練習の成果なんです。 ということは、あなたには、 練習すれば、いくらでも 上達できる才能があるということ。 成果が出ているのですからね! まず、このことを認めましょう♪ そして、次は、ステップです。 いきなり、オリンピックに出よう などと、考えてはいけません。 うんとちいさなことから、 はじめるのです。 やりかたは、何でもかまいません。 たとえば、日常の生活のなかで、 ひとつでもいいから、 「ありがとう」と言える きっかけを見つけること。 見つけることが できるようになったら、 今度は、100回に1回は、 実際に口に出してみること。 時間をかけて、それを、 100回に20回くらいに 増やしていくこと…。 あなたが、ネガティブを 時間をかけて練習したように、 フォーカスチェンジも、 時間をかければいいんです。 あなたが、重箱の隅をつつくように、 ネガティブを引き出してくるなら、 同じく、重箱の隅をつつくように、 フォーカスチェンジを 引き出してくればいいのです。 だからね、毎日が練習なんです。 ひとつも、アクロバットなことは、 必要ないんです。 どうですか? 少しは、やれそうな 気がしてきましたか? あなたの練習を応援します! P6 言ってることが伝わらないと思うと、 「もういいや」という気になって、 相手にたいして働きかける気がうせてしまうのです。 アドバイスをいただけませんか? ★今日のフォーカスチェンジ♪ 892 ほっとぎなさい。 ひとのことが気になってしかたがない、 というひとがいます。 もちろん、それは、特別なことではなくて、 私たちは、大なり小なり、 そんな気持ちをもっているものです。 ひとのことを気にするのは、 別に悪いことではありません。 興味・関心というのは、 発明や発見に結びつくなど、 有益な感情だからです。 でも、ひとのことが気になったとき、 相手を変えよう、もしくは、 変わるべきだという気持ちが 起きてきたときには、ご用心。 あなた自身が、生きるうえで、 完全燃焼していないという 反映かもしれないからです。 なぜかって? 私たちは、自分がこころから喜びに満ちて 生きているときには、 ひとを変えたいとは思わないものです。 自分が生きていることで、 充分に満足ですからね。 ですから、不平や不満に感じること・もの・ひとが あらわれてきたとき、 それを「鏡と思え」というのは、 実はそういうわけなのです。 「いや、現に、目の前に…」 と、あなたは反論するかも しれませんね。 では、仮に、うまくいって、 目の前の、その不満に感じる ひと・こと・ものが、 いなくなったとしましょう。 でもね、なぜかまもなく、 似たような不満や不平を 感じるひと・こと・ものが、 また、あらわれてくるんですよ♪ だって、世界を映す、 あなたという鏡がそのままなのですからね! だからね、もしも、 あなたのまわりで、 「変わってほしいのに」と思う こと・もの・ひとがあったら、 私は、こうアドバイスします。 「ほっときなさい」 あなたは、あなたの人生を 十全に生きればいいのです。 ほかのひとの人生まで、 面倒を見る必要はありません。 頼まれてお金を積まれたって、 するべきではありません。 たいていのひとは、 頼まれてさえいないのです。 なのに、なぜか、理由をつけて、 相手に干渉しようとするのです。 そのひとの人生は、 あなたの人生ではありません。 あなたの期待するとおりに なることが、そのひとにとって、 幸福かどうかもわかりません。 ほっときなさい。 ひとのおせっかいをするほど、 人生は長くはないのです。 あなたのいのちは、 いまこの瞬間も、刻一刻と、 死に向かって流れているのです。 その貴重な時間を、 他人のことをあれこれ 気に病んで過ごすなんて、 もったいないじゃないですか。 自分の時間を生きるだけで、 人生は短すぎるくらいです。 ほっときなさい。 そして、何よりもまず、 あなた自身の人生を生きなさい。 P8 恐怖と向き合い、力に変えるのには どうするのが一番効果的なのでしょうか。 ★今日のフォーカスチェンジ♪ 900 あなた自身を愛してください。 暗闇を歩いているとします。 うしろから不意に明かりが入り、 目の前に、おおきな 黒い影が浮かび上がりました。 あなたは、驚いて悲鳴をあげます。 すると、その影もおおきく動きます。 振り返ると、そこには 地面にころがった、 ちいさな懐中電灯があり、 その明かりが、あなたを 照らしているのでした。 そうです。影はあなた自身でした。 あなたは、あなたの影に おびえていたのです。 生きていくうえで、私たちは、 さまざまな怖れを体験します。 たいていの場合、それは、 自分とは関係のないものが、 襲ってきたように感じます。 でもね、あえて言います。 それは、最初から あなたの内がわにあるのです。 あなたにずっと寄り添って、 今日までともに来たのです。 具体的に起きてくる現象は、 たいていは、その反映です。 現象にとらわれると、 そのことが見えなくなります。 あなたが怖れを捨てたいと 思うなら、最初にこのことを 受け入れなければなりません。 背筋を伸ばし、息を深くし、 しっかりと大地に立ちなさい。 あなたの足の裏は、どんなときでも、 この地球の中心とつながっています。 そのつながりを感じてください。 あなたは、あなたという 個体でありながら、 つねに、この地球と一体です。 この地球と一体であるということは、 この宇宙と一体であるということです。 宇宙と一体である自分を 感じてください。 そうしたら、もう、 怖れるものは何もありません。 あなたは、地球とつながり、 宇宙とつながっています。 そのあなたに、怖れるものなど、 あるはずがないのです。 「それでも、怖い」と、 あなたは言うかもしれません。 でも、あなたが見ているもの。 それは、過去のあなたです。 宇宙と一体であることに 気づかずにいたあなたです。 私たちは、しばしば 過去の記憶にとらわれます。 すでに終わった過去なのに、 まるで、いまもそうであるかの ように錯覚するのです。 だから、ここは、 急がずに行きましょう。 そして、ゆっくりと、 あなたのなかで、あなた自身を 育てていきましょう。 何ものをも怖れる必要のない、 宇宙の一部としての 尊厳に満ちたあなた自身を。 キーワードは、「愛」です。 あなた自身を愛してください。 それがすべてのはじまりです。 P10 過去の経験で自己防衛を覚え、勇気を出して伝えたところで、 やはり傷つけられた。その経験が、 私の鎧をさらに固くしただけです。 勇気ってどれだけ出せばいいんでしょう? ★今日のフォーカスチェンジ♪ 901 痛みの数だけ、やさしくなれる。 ひとを傷つけるような ことばを発するひとに出会うと、 胸が痛くなります。 そのことで、自分が 傷つくからではありません。 そのひとの内がわにある どうしようもない痛みを、 感じとってしまうからです。 私たちは、こころが 満たされているときには、 おだやかでやさしくなれます。 けれども、怖れや不満が こころをおおってしまうと、 いらいらしたり、とげとげしい 気持ちになったりします。 そのとき、こころは、傷ついています。 他人を傷つけずにはいられないほどに 深く傷ついています。 ひとを傷つけるような ことばを発するひとに出会うと、 ことばの表面ではなく、 その奥にある、深い痛みが 私には伝わってきます。 なぜ、そのように感じられるのか。 それは、私にとって、 終わらせた痛みだからです。 私もまた、その痛みの ただなかにいたときは、 ひとを傷つけていました。 ひとを傷つけることで、 また、自分自身を深く 傷つけていました。 その回廊のなかには、 自分を救うための 出口はありませんでした。 いまだから、言えます。 実は、ひとのことばに 傷つかない方法は、 とても簡単なのです。 それは、自分にまるごとOKを あげてしまえばいいのです。 まるごとOKの自分は 傷つく必要がないからです。 実際、それができたとき、 もう、私は、だれからも 傷つけられることが なくなったのです。 けれども、おおくのひとが 「自分を受け入れること なんてできない」 そう言って、自分自身を 否定してしまいます。 ですから、今日はちいさな提案です。 ひとから傷つけられたと 感じたとき、こんなふうに イメージしてみてください。 あなたのなかで、いま、やさしさが、 降りつもっているのだと。 あなたを傷つけるひとは、 こころのなかで、悲鳴を あげているのと同じです。 「助けてくれ」という ことばの代わりに、 あなたに罵詈雑言を 投げつけてくるのです。 そうまでしないといられないほど、 あなたのやさしさに、 すがってくるのです。 あなたは、相手のことばの 表面に振り回される必要は ありません。 だって、それが痛みだと もうわかっているのですから。 相手の痛みを、ただ静かに 受け止めてあげてください。 そして、その上に、 桜の花びらのように、 やさしさが降りつもっていく ようすをイメージしてください。 痛みを抱きしめて、 痛みを包みこんで、 終わらせてあげるほどの 深いやさしさが…。 そして、そのやさしさは、 あなたのこころをも 抱きしめ、包みこみます。 あなたは、あなた自身の やさしさによって、 自分の痛みを終わらせる ことができるのです。 痛みの数だけ、やさしくなれる。 傷ついたことのあるひと だけが知っている真実です。 P12 他力本願になっている人には、 どう対応すればよいのでしょうか。 相手が気づくまで、 何を言っても無駄なのでしょうか。 ★今日のフォーカスチェンジ♪ 935 自分で治っていくちからをもっています。 よく知られている問いですが、 あらためて聴いてみましょう。 「お医者さんは病気を治せますか?」 こたえは、「ノー」ですね。 お医者さんにできるのは、 病気の治りをよくするために、 薬や手術などを使って フォローすることだけです。 最終的に病気を治すのは、 あなた自身のからだです。 お医者さんが、あなたの傷口を 縫い合わせてくれても、 それだけでは治りません。 その縫い目がくっつくのは、 あなた自身のからだの 反応の結果なのです。 これって、同じことが こころの問題についてもいえますね。 ヒーラーさんやセラピストさんたちは、 いわば、そういう、 お医者さんのような存在です。 彼らは、あなたのこころの 問題を解決するために、 さまざまな方法で、 気づきのきっかけをくれたり、 支えてくれたりはします。 でも、最終的に、 悩みから抜け出すのは、 あなた自身のちからで、なのです。 私たちは、もっと、自分自身の ちからを信用していいのです。 どんなに「自分にはそんなちからはない」 というひとでも、 すり傷をつくれば、 三日もすれば治っていくでしょう。 あなたには、もともと 治るちからがそなわっているんです。 それは、人間ならば誰でも、 もっているちからなんです。 「そんなちからはない」 と、なおも主張するとしたら、 「私は人類ではない」と、 と言っているようなものです。 それならそれで、また 別の価値がありますから、 しかるべき機関に 出向いてください。(笑) 自分以外のさまざまな要素は、 どんどん参考にしてください。 本を読むのもいいし、 セミナーに出るのもOK。 修行をするのもいいし、 共通の話題をもつひとと 話してみるのもいいでしょう。 そのなかから、あなたの 好みの「治しかた」を 見つければいいのです。 あなたがその気になることが、 最初で最後のポイントです。 もうひとつ、おまけです。 たとえあなたのまわりに、 「いつまでも自分で 選ぼうとしないなあ」と 感じるひとがいたとしても、 それは、 あなたの問題ではありません。 そのひとを治せるのは そのひとだけです。 そのひとが、あなたに 助けをもとめてきたら、 必要に応じて、 返事してもいいでしょうが、 おせっかいは禁物です。 そのときでさえ、そのひとの領分を おかしてはいけません。 あなたにできることの 限界を知るべきです。 私たちは、誰もが、 自分で治っていく ちからをもっています。 今日はそのことを、 祝福しあいたいと思います。 P14 自分を許すと言うことが、 自分を甘やかしてしまうきっかけに なるのでは…と思うと怖いのです。 どうか、自分を許す方法を 教えていただけないでしょうか? ★今日のフォーカスチェンジ♪ 998 手放すとは、受け入れること。 私はこの「今日のフォーカスチェンジ」で、 しばしば、「手放す」という 表現を使います。 でも、「手放す」って、 一体、どういうこと? あらためて、聴かれてみると、 うまくこたえられないものですね。 それは、たとえていえば、 その存在を認知しつつも、 そこにたいして、一切の 決めつけも拘束もしないこと。 ただ、あるがままにあることを 受け入れること。 そう考えて、はっとしました。 手放すということは、 受け入れることではないのかと。 もはや、自分の手のうちから 離れてしまったものがある。 いとおしさや、せつなさや、 ときには、怒りや憎しみが、 繰り返し、繰り返し、湧いてくる。 誰もが、そんな感情を、 体験してきていると思います。 そんなとき、目をそらさずに、 耳をそむけずに、 まっすぐに、受け止めるのです。 取り返しのつかない後悔も、 伝えられなかった思いも、 ありとあらゆる、まるごとの 湧いてくる思いすべてを、 ひとつも、否定することなしに 受け止めるのです。 そして、ゆるすのです。 離れていったものをゆるすのです。 離してしまった自分をゆるすのです。 どこまでも、どこまでも、 ゆるすのです。 感情は、繰り返し、繰り返し、 湧いてくるかもしれません。 それでもいいのです。 その、湧いてくるものもすべて、 否定せずに、受け止めるのです。 受け止めて、ゆるすのです。 すると、その感情のかたわらから、 ゆっくりと、湧き上がってくる 別の感覚に気づくのです。 それは、深いやすらぎです。 怒りも悲しみもさびしさも すべてひっくるめて、 あたたかく抱きしめることの できる、やすらぎです。 このやすらぎのなかにあるとき、 私たちは、すべてを、 あるがままに、受け入れます。 もはや、感情が、それを じゃますることはありません。 感情もまた、ともに 受け入れられていることを 知っているからです。 このとき、私たちは、 すべてを認知していながら、 すべてを手放しているのです。 決めつけることも、 押さえつけることもなく、 ただ、あるがままの存在を、 受け入れているのです。 手放すとは、受け入れること。 世界は、いつでも まるごとで、ひとつです。 |