かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

2007/08/28(火)09:53

子どもを超えるちから

先ほど、40000アクセス、 突破しました。 48万アクセスを超えていた 前の日記が、突然削除されてから、 4月19日に再スタート。 またこつこつと、 積み重ねていきますね。 応援してください♪ ★今日のフォーカスチェンジ♪ 子どもを超えるちから 先日、この夏、上演した 横浜市青葉区 小中高生ミュージカルの 「お疲れさま」会がありました。 本番当日の 舞台のビデオを観ながら、 感想や、これからの 抱負を語り合う会です。 これまで、いくつかの 市民参加型ミュージカルや、 そのほかの演劇活動に かかわってきました。 子どもたちが出演する 機会もたくさんありました。 でも、 (七年かかわっているという  ひいき屓目を抜きにしても) この青葉の子どもたちの 表情は、何かがちがうなあと 感じていました。 先日、あらためてビデオを 観ていて、ああ、そうかと 感じたことがありました。 子どもたちは、 おとなたちとともにいるとき、 当たり前ではありますが、 子どもの顔をしています。 そこは、たいていの場合、 おとながリードし、 おとなが判断し、 おとなの指示で動く場です。 たとえ、子どもにたいして、 役割分担がされていても、 最終的には、おとなの保護の もとにあるという意識が、 どこかに残っているものです。 ところが、青葉の舞台は、 「小中高生ミュージカル」 という名のとおり、 下は、小学三年生から、 最年長でも、高校三年生。 全員が「子ども」なのです。 けれども、舞台に立つとき、 子どもたちは、 舞台を成功させるための すべての責任をにないます。 ダンスや歌など、 集団演技のおおい ミュージカルの舞台では、 ひとりのミスが、 確実に、全体にひびきます。 その責任の重さは、 おとなとまったく同等です。 でも、舞台のうえには、 たよるべきおとなは、 どこにもいません。 だれにも、助けをもとめる ことはできないのです。 いいえ、何よりも、 この舞台を選んだのは、 子どもたち自身なのです。 自分で決めて、いま、 ここに立っているのです。 「いま・ここ・自分」が すべてなのです。 ライトを浴びながら、 まっすぐに顔をあげ、 目をはっきりとひらいて、 自分の演技に集中します。 仲間と、こころを ひとつにあわせます。 そのとき、子どもたちは、 子どもでありながら、 子どもであることを やめています。 みずから選んだ責任を みずからのちからで まっとうする ひとりの人間として、 そこに立っているのです。 だから、かがやくのです。 観るもののこころに ひびく舞台になるのです。 もちろん、こんなことは、 スポーツや、ほかの さまざまな場面で、 見受けられることでしょう。 それでも…と思うのです。 私たちは、ふだん、 あまりにも、 子どもを子どもとして あつかいすぎてはいないか。 守りすぎてはいないか。 封じこめてはいないか。 押しつぶしてはいないか。 子どもたちは、だれでも、 子どもでありながら、 子どもを超えるちからを もっているのです。 ただ、それにふさわしい 場を、あたえられて いないだけなのです。 おとなは、もっと、 子どもたちを信じていい。 信じて、てばなすことが、 子どものちからを 真に引き出していくことに 気づいたほうがいい。 そうは思いませんか? そしてね。 あなたが勇気をもって トライしたとき、たぶん、 あなたは気づくでしょう。 子どもを信頼するいとなみ そのものが、実は、 あなたが、あなた自身を 信頼するプロセスでもあった ということに。 ●ブログランキングに、再登録しました。  きゃー、3位のかたに追いつかれそうですう~!(>_

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