亀山築城の小部屋

2012/02/06(月)14:41

今日聴いた音楽ではありませんが・・・その1

我が青春の時を懐かしく思い出して(10)

今回の風邪は色々と考えさせられました・・・ ご無沙汰を致しております。 去年の暮れに「嘔吐下痢症」・・・実質五日間何も口に出来ない日が続き体力が落ち込んでしまいました。 まだ体調が完全に戻っていないのに、嫁ハンの実家の姪の結婚式に出させて貰い・・・風邪を引いてしまいました。 そのまま一時は良くなりかけましたが、ずっと調子の悪いまま・・・。 臥せって居て・・いつもだったらヨーロッパの古代から使われていた四線譜の楽譜「ネウマ譜」で書かれたグレゴリオ聖歌や、南米のインカ文明の民俗音楽を聴くのが普通ですが、今回は結婚時から嫁ハンと聞き始めた、嫁ハンが大ファンの「さだまさし」の曲を聴いていました。 勿論、グレゴリオ聖歌やフォルクローレも聴いて居ましたが・・・。 私が持って居るLPからご案内致します。 先ず最初に聴いたのが、さだまさし主演の映画「跳べイカロスの翼」の主題歌「道化師のソネット」です。 私達二人で見に行った映画ですが、今でもそのシーンを思い出す事が出来ます。 無難な軌道に乗ったままの人生からサーカスの世界に飛び込んだ青年(栗原徹)が、キグレサーカスの中で苦労しながら努力して、花形のピエロになり、綱渡りの最中に転落して死亡する筋書きです。 彼は全身打撲の瀕死の状態で「お客さんが心配する・・・」と言って、サーカス団は急遽代役のピエロを立て、観客の前にびっこをひきながら代役のピエロが登場し、観客は一安心する場面・・・。 実は私も・・・ピエロになりたかった人間です。 勿論、サーカス団に入ったり、芸能界でピエロになる訳でなく、「道化師のソネット」で唄われているように「人の為に笑って貰える動作」をしたかった・・・。 研究所勤務時代でも、実験室や研究室では(真面目に研究をしている他の研究者の邪魔になる)真剣に自分の研究業務を遂行しなければなりませんので、執務室に戻った時に自席でアホな事を演じていました。 その内に、その事が面白いと感じた博士の一人が加わるようになって、二人でピエロを演じていた懐かしい思い出が有ります。 そして学生時代に所属していた元の○○○放送局混声合唱団で唄った堀口大学作詞「月光とピエロ」を唄えた事がとても幸せに感じた事も・・・。 「跳べイカロスの翼」のyoutubeの映像が有るかと検索してみましたが有りませんでした。 youtubeでお聴き下さい。 道化師のソネット さて、「雨やどり」は皆様が良くご存じと思います。 雨やどり それでは「雨どりあ」は? 雨どりあ 随想録より 演奏会での幕間の休憩で急に演奏が始まり、それまで賑やかだった観客が「シーン」とするのが可笑しいですよね? 「もう一つの雨やどり」これは? もう一つの雨やどり 風見鶏より 私達夫婦はこんなシーンが有った訳ではありませんが、学生時代に活躍して居たボランティアグループの活動説明の為の春の合宿に、嫁ハンが来ていて同じ斑で行動し、その年のハンセン氏病の国立療養所での一週間のワークキャンプに嫁ハンが参加して呉れて、それから私達の付き合いが始まりました。このワークキャンプで嫁ハンにはファンクラブが出来て吃驚した事も・・・。勿論、私も女子高校生を中心としたファンクラブが有りましたが・・・。 もしも嫁ハンがボランティア活動に興味を示さなければ、今の私達が存在していなかったと思います。 この微笑ましい「雨やどり」シリーズは、その頃の思い出を懐かしく感じさせられる曲です。 この曲は長男が小学校を卒業して、九州の中高一貫校へ行っていた頃を思い出す曲です。 さだまさしも高校生の頃に家元を離れて、九州から関東の学校へ行って居たそうです。 その時の彼の父親の気持ちを描いた唄ですが、我が家でも同様なイメージを感じさせられて、印象深い唄の一つです。 高松空港から伊丹空港(経由して九州)へ飛び立つ長男を見送り、私の横で涙に暮れる嫁ハン・・・。 勿論、私も長男の事を心配していましたが、もっと心配だったのは嫁ハンでした。 小学校を卒業したばかりで、誰も知らない所へ息子を見送る母親・・・。 帰って来て元気な顔を見るまでは、本当に心配の毎日だったようです。 案山子 随想録より サナトリウム・・・皆様はそこをどの様な所だと思われますか? 私は子供の頃に兄が副院長を務めていた病院に付属するサナトリウムが遊び場でした。 日永一日、日光浴をしたり本を読んだりしている患者さん・・・。 私は大きな病院から渡り廊下で繋がっている結核のサナトリウムへ忍び込むのが大好きでした。 それは看護婦と鬼ごっこが出来るから・・・。 感染したら大事!と血相を変えて追い掛ける看護婦を尻目に、私はカーテンで仕切られた大部屋の高いベッドの下を潜り抜けては大喜びで遊んでいました。 でも、次々と仲良くして貰っていた患者さんのベッドが空になっているのを目にして・・・。 子供心に悲しいと感じた事が何回も・・・。 療養所 (サナトリウム) 随想録より 第三病棟 随想録より この曲を聴いて下さい。 椎の実のママへ 如何でしたか? さだまさしの叔母さんの生涯を唄った曲です。 私の大好きな唄「精霊流し」を、彼が作曲する切っ掛けのお話しです。 それまで、もの悲しい曲だと思って居た「精霊流し」が、この曲を聴いてからはもっと悲しい曲になりました。 ベッドの中でこの「椎の実のママへ」と「精霊流し」を聴いていて、目からは暖かい物が・・・。 精霊流し 長崎では立派な精霊流しの舟を作るのですね! カトリックの私には不思議な光景です。 今日聴いた音楽ではありませんが・・・その2 に続く

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