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テーマ:愛犬のいる生活(77221)
カテゴリ:シーズーの愛犬ジャッキー
帝国との戦争に勝利して・・・
こんにちは、ジャッキーです。 永らく続いた戦争も帝国軍の全面降伏によって集結致しました。 帝国軍兵士(お父さん)のパソコンが3台、そして一般民衆(お母さん)のパソコン3台までも戦禍に依って破壊され、帝国は制御不能に陥って壊滅状態になりました。 帝国軍兵士は、パソコンを復旧する為に色んな方法で頑張ってましたが、どうしようも無かったようです。 毎日、何台ものパソコンを修理したり設定をしていましたが、全て無駄に終わったようです。 仕方なく他のパソコンにインストールや設定や環境を整えて、これまでの業務を行える様にしていました。 戦闘不能の状態が続いたので、それで帝国は共和国に対して無条件降伏を受諾したのです。 現在、かの諸悪の根元「帝国軍兵士」は「しーずー俘虜収容所」に収容されてます。 俘虜収容所の所長になった僕 実に僕ジャッキー将軍は、この俘虜収容所の所長として赴任してるのです。 普通はその収容所の規模によって、佐官クラスの大佐か中佐が所長に就任するのですが、相手が劣悪な帝国軍兵士なので、将軍である僕が所長として赴任する事にしました。 第一次世界大戦の後、中国の青島で捕虜となったドイツ兵約4700名の殆どが日本へ移送され、その内の約1000名が徳島県の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に建設された板東俘虜収容所に収容されることになりました。 この板東俘虜収容所は2006年制作の映画「バルトの楽園」で描かれてますが、ここの所長松江豊寿陸軍中佐(着任後大佐に昇進)が捕虜を人道的に扱ったので、彼は世界的に有名になりました。 そしてこの板東俘虜収容所が、日本だけでなくアジア圏で最初のベートベン作曲「第九交響曲」の初演地であります。 僕が住んでいる丸亀には、この板東俘虜収容所へ移送される前まで多くのドイツ兵俘虜が丸亀俘虜収容所(本願寺塩屋別院)で過ごしていました。 サッカーの「なでしこジャパン」発祥の地が、丸亀高等女学校(現:香川県立丸亀高等学校)と日本サッカー協会も認めましたが、女学生にサッカーを教えて呉れたのが、彼らドイツ兵捕虜達です。 丸亀でも鳴門でもドイツ兵達は、私達に音楽や芸術、パンの焼き方、印刷技術、土木技術等々多くの先進的な事柄を教えて呉れて居ます。 それも松江豊寿陸軍大佐に依って人道的な自由な生活を認められてたからです。 僕も邪悪な帝国軍兵士を人道的に処遇して、きっと世界的に有名な俘虜収容所の所長になってみせます!! 俘虜を監視している僕 毎日、元の帝国軍兵士を監視しながら、出来るだけ自由に過ごせるように僕は心を配ってます。 暑くなってますが、冷房もして快適に帝国軍兵士は過ごせてます。 大戦の時よりもっよ忙しくなったジャッキー将軍です。 代筆者:お父さん P.S. 上記の写真入りの記事は下記のホームページでご覧下さい。 四国風物史のご案内 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 16, 2012 03:35:21 PM
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