ブログ05

2007/10/30(火)00:59

少なくとも、霊界に食事が提供される、即ち、現実の人生の地位を持っていなければいけない(1)

神の摂理(622)

 副担任、自分中心の現実利益をやる方を背負う方は、もっと自分中心の現実利益をやれている方だけ。協力担任、為の人生の地位しか得られていない者は、もっと為の人生の地位しか得られていない方を背負うだけ。世の中の人間関係、そうなっていると思われます。  傷病手当金・傷病手当金附加金、障害基礎年金(H19.3.15)、障害共済年金(公務外)(H19.2.16)。  教育公務員として、御仕事をした対価としての御給料の現実支払いが先程、完了致しました。あとは、傷病手当金・傷病手当金附加金、障害基礎年金(H19.3.15)、障害共済年金(公務外)(H19.2.16)の現実支払いを続けるだけです。あと、両親に子育てしてもらっている、衣食住を与えて戴いているので、その現実支払いを続けるだけです。  私は26歳の時、3月に4週間程、網膜剥離で入院致しました。  また、44歳の時、H18.8.31に統合失調症で辞職する羽目になりました。  この運命は、おそらく、童貞でい続けた事によるものだと思われます。親の授業をしてしまった現実支払いと。だから、障害者になりたくなければ、親の授業をしてはいけないという事だと思われます。私はT元校長、H元首相の霊に、頭の中を抑えつけられて、全ての思い出を奪われて、非常に狭い意識状態にされました。殺されそうにもなりました。今は、回復しています。おそらく、それが、頭の中を支配される事が、御給料を戴いていた事の現実支払いだったのでしょう。世の中の学年会計をやらされていたから、そうなっったそうです、藤沢市民の声。  しかし、御仕事をこなすだけで、精一杯だった。自分の生活は無かった。結婚のけの字も考える余裕は無かった。これが人生の現実なのでしょう。その大変、忙しい現実の中で、障害者にされない為に、結婚もするのでしょう。私にはそこまでの能力は無かった。そういうやらされていく人生、やれる能力は無かった。普通の方は、それをやれていると。人生に対する諦念ができていると。大して、好きでもない方と結婚する事ができると。私はそういう事が全く不可能なのです。私が結婚したいと思った相手は、ラーマクリシュナの前世の女師匠と不犯の妻と。この二人だけ。あとは、不可能だった。前向きな人生しかやれないと。自分の肉体を犠牲にする生き方、不可能だったのです。私はソロモン王の前世も背負っている。初めて、前世を霊界から霊夢で教えてもらったのは、ソクラテスの前世だった。当時は、悪妻の感覚も生々しく思い出した。だから、勿論、ソクラテスの前世も背負っている。エマソンも恵果も。  今世は、前世よりも、上の生き様をするしかないと私の経験から思われます。背負っているから。前世を越えている生き様を計画してきていると思われます。私の意識が前世の意識を当然として始まっているのです。自分の意識のように思えます。  ソロモン王が滅茶滅茶やった人生をまさか背負わされていたとは。だから、私の意識が猛烈に高かったと思われるのです。地球霊界が全部、サタンに覆われていた。私だけ、神の子だった。それでも神を信じていたので、ここまでやれた。物凄い、物凄い、物凄い事をやり遂げたのです。自分でも信じられない。  しかし、前世がソロモン王だった事を知って、なる程と思わされました。  神は一人なので、二度目は無い。私は自分中心の人生はやらない。やりたいとも思わない。だから、統合失調症で辞職する運命になった事も受け容れる。その人生をやる。副担任やる人生、私にとっては無意味。私には、個人的な欲望が無いのだから。霊界生活の方が楽しい。この世は全然楽しくない。損害だけ。  人生の現実は苦い。幻想は甘い。しかし、その幻想を現実に体験する事はできない。現実体験になった瞬間につまらない現実になっているように感じられました。幻想はあくまで幻想で、現実にはならないと。だから、常に、夢と希望の世界に生きていた方が幸せな気がする。夢想している世界を生き続けると。理想の世界に生き続けると。  現実の幸せ、物凄く、徳分を消耗する。幸せーと感じると、物凄く、徳分が無くなってしまう。人生の危機がその後、訪れると。やってはいけない現実の幸せだとつくづく思わされているんです。  私が今思う人生の現実の生き方とは、最低限の生き方をする事です。豊かな生活というのは、心を貧しくする。どんどん、傲慢な人間にしていく。豊かさを当然として、さらに奪う生活にしていく。この生き様、地獄へまっしぐらと。  私は市立中学校の教員として、働き続けている間、ひたすら、副担任、自分中心の喜びの世界を奪われ続けた。全て奪われてポイされたと。世の中、そうなっているのでしょう。こんな世の中、楽しい筈無い。生きていく為に、お金が必要だから、働く。しかし、働く事は自分の副担任、自分の喜びの世界を奪われ続けていく事だったと。お金を得た分、自分の楽しみを奪われてしまったと。徳分を支払いさせられていくから、どんどん自分の楽しみが無くなっていったと。  もし、結婚していたら、両親の地位を遣ってしまったと思われます。これを私は絶対にしたくなかった。永遠の後悔、絶対にしたくなかった。親は子の為に犠牲になっていくと。その酬いとして親の位を得るのでしょうが、これをやられると、子は永遠の後悔になる、慟哭になる、嗚咽になる。この苦しみだけは絶対に味わいたくなかった。両親の地位は遣わないと。両親に返済し続けました。 -引用開始- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ナザレのイエス(Jesus of Nazareth,Iesus Nazarenus, 紀元前4年ごろ - 30年ごろ)は、宗教指導者である。 生涯 イエスは紀元前7年~4年頃、現在のパレスチナ自治区のベイト・ラハム(ベツレヘム)でマリアの婚前交渉(フェニキア人ローマ兵士ティベリウス・イウリウス・アブデス・パンテラにより強姦されたと言う意見が主流)の結果の私生児として生まれ(ヨセフの実子であるという学者も少数存在する)、ヨセフを父としてイスラエル(当時はローマ帝国領ユダヤ自治区)のナツラット(ナザレ)で育った。ヨセフとマリアはともにユダヤ系のガリラヤ人である。 -引用終わり-  イエスの生き様を見ると、自分の現実を犯しまくっていたと。強姦された結果としての私生児と言われて、なる程と。人生の現実の地位を大切にしない生き様だったから。  全部、自分がやったように返ってくるから、自分がする事はよくよく考えてした方が善いと思われます。  世の中、悪党の運営しかされていないように思われます。ひたすら、協力担任をやり続けたのに、為にやり続けたのに、自分の地位を全部犯され尽くしてポイされたと。前向きな現実、何も得られませんでした。  だから、自分中心な事は一切やらない方が善いと思われます。為に生きていくだけの生涯を送ると。楽しみを体験すると、その分、執着心が発生する。楽しんだ分以上に、苦しむという結果になる。愛着したものを無くした時に、物凄く苦しまされる。  一寝入りしました。障害年金の副担任は無い事が判明致しました。だから、協力担任をする必要はありませんでした。人生の地位が何も支払いされないから。単なるお金に過ぎないから。自分だけの現実に何も支払い要らないと。万物復帰の摂理が終了致しました。神の副担任が無い御仕事あり得ないから。  莫大な貸し状態と。  ついに、両親の現実の人生の地位が見えてくる地位にまで下がれました。私-母親-父親(童貞の私は母親の下の地位なのです。母親の人生の下の地位をやっているのです。)の人生の地位をやります。私-母親-父親-以前やっていたお店の御客様が支払いして下さったお金と。 -引用開始- 二宮町ホームページ http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/ 世帯数:11,143 人口:29,715 2007年10月1日現在 http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/info/syoukai/mark.html 更新日:平成17年11月17日 町章・木・花 町章  「宮」を図案化した に図案化した「二」を配し、円型と翼型とにまとめ、融和団結と飛躍伸長を象徴する。 町の木 つばき  古くから武士や高貴な身分の人々にめでられ、品種も多く挿し木などで簡単にふやせます。町の中にも多く、親しみの深い木です。 町の花 カンナ  明治の末に渡来した花で生命力が強く、赤や黄と色も鮮やかです。他の花の少なくなった頃に咲き出して、町の中を明るくします。 http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/info/syoukai/tyoumin_kensyou.html 更新日:平成17年11月17日 町民憲章  わたくしたちは、美しい自然に恵まれた「長寿の里」二宮の町民であることに誇りと責任をもって、より明るく豊かな町づくりのために町民憲章を定めます。 一. 郷土を愛し、自然をいかすきれいな二宮町をつくりましょう。 一. ふれあいを深め、ことばをかけあうさわやかな二宮町をつくりましょう。 一. きまりを守り、良習をはぐくむ住みよい二宮町をつくりましょう。 一. 幸せを願い、健やかな明るい二宮町をつくりましょう。 一. 教養を高め、文化のかおる豊かな二宮町をつくりましょう。 (昭和53年7月5日制定)

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